コロナ禍に立ち上がった現代集落プロジェクト
能登半島地震の1年前、2023年に能登半島珠洲市真浦にある「現代集落」を訪ねた。1月というのに青空が広がる、地元の人たちも不思議に思うほどの晴天に恵まれた日で真浦の海は空よりも青く美しかった。
真浦町は能登半島の突端にある珠洲市の日本海側、輪島市に隣接したまちで、現代集落のフィールドとなっている集落は能登半島の海岸部をぐるりと走る国道249号の旧道沿いにある。人家はごくごく小さな入り江に沿った旧道沿いのわずかな平地に並び、そこから少し上がった山裾にも住宅が点在する。
2021年、コロナ禍の最中にこの集落をフィールドとして現代集落のプロジェクトが立ち上がった。立ち上げたのは金沢市内で宿泊業を営む林俊伍さん。2020年に発売された「シン・二ホン AI×データ時代における日本の生成と人材育成」(以下シン・二ホン)という書籍に触発され、同年、この地に空き家を購入。そこから徐々に動きが始まり、現代集落という名のもとにプロジェクトがスタートすることになったのである。
林さんがインスパイアされた「シン・二ホン」は情報科学者、脳科学者で慶應義塾大学環境情報学部教授の安宅和人さんによる著書で、そこには都市への過度な集中が進む社会への疑義、その先に予測される未来に対するオルタナティブとして「風の谷」という空間が提示されている。
名称から予測される通り、風の谷は映画「風の谷のナウシカ」に由来する。映画の舞台となった世界ではほとんどの土地は人が住めない腐海に覆われており、主人公ナウシカが暮らす小国・風の谷は海風が吹き込んでいるため、腐海の毒から守られているという設定になっている。
これを現実に置き換えると腐海は産業革命以降、増加する人口を吸引し続けてきた都市ということになる。もちろん、実際の都市は腐海ほど瘴気に満ちた場所ではないが、一方で地方が疲弊、やがて消滅する可能性があることを考えると、将来、人間は都市にしか住めないことになってしまう。
それが果たして豊かな、次世代に残すべき未来なのだろうか。安宅さんは酸性雨の降りしきる過密都市を舞台にした映画「ブレードランナー」を例に出し、人工物しかない猥雑な都市に生きる以外の未来、希望の地としての風の谷を提唱。実際、プロジェクトを進めているという。
目指すのは食料に加え、水、電気も自給自足できる集落
風の谷に触発されてスタートした現代集落も目指すところには共通する部分がある。集落の過疎化を食い止めようというのではなく、これからの時代の集落を目指すという意思からプロジェクト名は現代集落である。
では、現代集落は何を目指しているのか。
ホームページ冒頭には「地域資源の循環型村」を志向することが掲げられており、食料だけでなく生活インフラ全ての循環を目指すとされている。食だけでなく、水や電気なども自給自足できる集落というわけである。
もうひとつ、印象的なのは「自然に還って原始的で不便な暮らしをするのではなく、自然と共生しながら人の快適性を追求します」という部分。自然だけがある暮らしをしようというのではなく、自然の中に都市のダイナミズムをも備えた暮らしをテクノロジーを駆使して作り上げていくVILLAGE DXというのである。
その方向性がよく分かるのはメンバーはオンラインで募集され、オンラインで議論を重ねてプロジェクトを進めてきたという点。近接するのと里山空港は東京・羽田空港から1時間。近いといえば近いが、気軽に来られる場所とは言い難い。
そこでオンラインを利用、集落の全体像を議論、その中から立ち上がってきた宿や畑、交流拠点、エネルギーなどといった個別プロジェクトを調査し、仮説を立てて実証実験を行うなどといったやり方で少しずつ問題を詰め、実現を図ってきたのである。
訪れた時にはすでに第一期工事として集落の中心にシェアハウスのリノベーションが行われており、そこを拠点にメンバーたちの活動が行われるという計画だった。さらに宿にする予定で空き家を1軒購入。シェアハウス購入時におまけとしてついてた1000坪以上の耕作放棄地の活用も含め、着々と計画は進められていた。
能登半島地震到来で集落が孤立
ところが、そこに能登半島地震が到来した。
幸い、集落では木造の納屋が1軒倒壊しただけで、建物完全倒壊はなかった。現代集落のシェアハウスも建物が5センチほどずれたが、石場建てという石を基礎とする昔ながらの工法だったため、問題はなかった。石場建てはある意味、昔の免震構造なのである。
だが、集落は孤立してしまった。集落と外部を繋ぐ国道249号の2つのトンネルが崩落、通れなくなってしまったのだ。
集落の暮らしは、環境はどうなっているか、やきもきしながら時間が過ぎ、再訪が叶ったのは9月半ばのこと。初期から現代集落に関わってきた金沢市在住の建築家・小津誠一さんに案内いただいたのだが、建物自体は倒壊しなかったとはいうものの、集落を囲む風景は大きく変わっていた。
集落の前にあった入り江は2mほど隆起しており、かつての青々とした風景は砂で覆われ、わずかばかりの水があるばかり。周囲の山は大きく崩れ、ところどころに白い岩肌があらわになっていた。そしてトンネルも輪島市に続くものは通れるようになっていたものの、珠洲市に続くもう一ケ所は土砂に埋もれたまま。電気は数週間程度で復旧したものの、水道、通信ケーブル(テレビ、ネット)のライフラインも復旧していない。
能登半島地震では水道の復旧が遅れたことは報道された通りだが、それでも再訪した9月時点ではかなりの地域で復旧していたはずだ。
「珠洲市の浄水場そのものの復旧が見通せないため、珠洲市側からの給水ができないので、今月、輪島市側から簡易水道を敷いてもらうことになっています。ただ、水道が引かれる以前の真浦は井戸水、山水を利用。他の地域も水は自給自足できていたはずでした。また、現代集落は立ち上げの頃から水や電気も含めて自給できることを目指していました。
今回、地震でライフラインが分断されたことで今後30年で実現しようと思っていたオフグリッド化などが一気にここ数年後の目標になった気がします」
ライフラインが復旧したとしても今後、また分断される可能性があるとしたら地域が自立できる仕組みは用意しておく必要があるというわけである。
目指すのはオフグリッド集落としての創造的復興
石川県も今後「創造的復興」を目指すとしており、そのリーディングプロジェクトのひとつに大きな電力・水道網から自立したオフグリッド集落の整備を挙げている。これはまさに現代集落の目指そうとしている姿である。
石川県の能登半島地震復旧・復興本部のアドバイザリーボードに前出の安宅さんが入っていることもあり、現代集落の構想は地震を経てこれまで以上に現実味を帯びてきたのである。
元々珠洲市など能登半島では経済が止まっても日常的な生活には困らないほど、かつての自給自足的な暮らしが残されていたという。もちろん、この地で生産できないもの、医療や教育など地域内だけでは循環できないものはあるものの、それ以外が自立できるなら災害のダメージは多少なりとも軽減できる。そして、そのための事例が珠洲で作れたら、それを日本の他の地域にも広めていくことができる。
そう考えてか、震災以降、現代集落プロジェクトに関心を抱く研究者、技術者、企業などが増えたという。
「日本のそうそうたる大手企業などの視察が相次いでおり、技術者たちは何ができるかを見極めようとしています。その中でどこと組んで何をしていくか。東日本大震災後には陸地をコンクリートで固める強靭化を進めましたが、それだけでは災害に抗せない。それとは違うやり方で地域の力を高めていく必要があると考えています」
プロジェクト全体の進め方と同時に今、考えているのは集落全体でどうやって同じ未来を向いていくか。
子ども達の未来のために意見を調整中
震災前に22世帯、約30人ほどいた集落は現在3世帯、7人ほどに減っている。毎週通ってきている人や小津さんのように住んではいないものの関わろうとしている人も多いが、そのうちには意見の相違もある。現代集落を目指そうという人もいれば、現状維持を望む人もおり、そこをどう調整していくか。
「集会をすると小中学生の子ども達が参加してくれます。彼らには私たちが今話し合っているのは君たちが大人になった時の村の姿だよと言っています。大人としては子ども達の未来のためにモノを考える必要がある。それを理解してもらえればと思うのですが……」
足元にも現代集落実現を阻む伏兵がいるわけだが、災害国であり、ライフライン維持に多額の費用を投じてきた日本のこれからには自立、循環する集落は目指すべき姿。その後の豪雨なども含め、苦難の多い道のりではあるが、現代集落の今後の進展には大きく期待したいところである。
能登半島では今回の地震で被害は受けたものの、改修できる、残すべき建物も多く点在しており、小津さんは今後、能登R不動産を立ち上げ、そうした不動産を借り上げて改修、サブリースするような事業を検討しているという。
「当初は移住希望者は多いのに賃貸住宅が少ない珠洲市を中心に考えています。住宅を提供できれば人口の回復に寄与できるはず。また、二拠点居住などを含む濃い関係人口の増加にもお役に立てればと考えています。幸い、休眠預金を利用した補助金で改修に利用できるものがあり、それを使うことで新たな住宅供給のルートを作れれば住宅も残せ、人も増やせると思うのです」
今回の取材では珠洲市周辺を回りつつ、被災の状況も見て来たので最後にそうしたもののうちのいくつかをご紹介したい。
文化財、珠洲名産の切り出し七輪、観光名所も被災
能登半島到着後、最初に向かったのは輪島市にある重要文化財・上時国家住宅。この住宅は配流された平時忠(平安時代の公家。平清盛一門)を祖とする時国家のもので、大型の民家が多い北陸地方でも有数の規模を持つもの。重要文化財の指定にあたっては「江戸末期の民家のひとつの到達点」と評価されている。
民間の住宅ながら2023年までは公開されていたが、コロナ禍で維持管理費の捻出が難しいと公開を終了。その後ほどなくして被災。建物が潰れて大きな屋根がその上に乗るような状態になってしまった。その後の豪雨で周囲には土砂が流れ込むなどして茅葺屋根の劣化が心配されているそうだが、再建費用は多額に上るとされており、今のところ、再建の道は見えていない。
能登半島では多くの文化財が被災している。しかも、能登半島では14年前にも地震で被害を受けており、そこから再興したところで再度の被災という例も多数。言葉がない。
珠洲名産のひとつに切り出し七輪があるが、そうした工場も被災した。珠洲市の地下にはここにしかないという天然珪藻土の層があり、切り出し七輪はそこからひとつずつ手で切り出し、形を整え、焼き上げて作られている。歴史は1000年以上にも及ぶそうで、熱効率が高い上に丈夫で軽いのが特徴。他の場所では採取できないものでもあり、長らく日本の食文化を支えてきた存在である。坑道が塞がれたなど大きな被害を受けた事業所もあり、被害は甚大。その後の豪雨で周辺が大きく流されたところもあり、今後、どうなることだろう。
街中では倒壊したままで放置されている住宅も多く見かけたが、これについては瓦をどうするかなど問題も多く、書き始めると終わりそうにないので、最後に観光名所・名勝「見附島」の崩落現場を。ここは切り立った姿から軍艦島として親しまれてきたが、地震、津波で姿を変え、海岸から見えない側は大崩落と言える状況。幸い、海岸側はまだ姿をある程度保ってはいるが、地元の人にはショックが大きいと聞いた。
取材後、9月の豪雨で能登半島はまたも大きな被害を受けた。原稿を書いた10月前半の時点で現代集落では復旧するはずだった水道がまたしてもストップ。途絶えた電気の年内送電復旧は難しいらしいと小津さん。地域の携帯電話中継局も断線で不通という。
だが、これを強制オフグリッド化と捉え、現代集落の本領発揮の機会到来としたいとする姿勢には心底頭が下がる。遠く離れた地にあっても能登半島に心を寄せ続けたい。
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