ブルーノ・タウトの日本での活動を支援した井上房一郎
井上房一郎(1898~1993年)は、群馬県高崎市出身の実業家だ。
本業は建設会社、井上工業の社長だが、戦前には建築家のブルーノ・タウトを日本に招いて「日本文化の再発見」に貢献したり、戦後には群馬県立近代美術館の建設に際して新進気鋭の磯崎新を設計者に推薦してブレイクさせたりした。大の建築好きであり、目利きであり、パトロンだった。
その井上が戦後間もない時期に、ある建築家の自邸に感銘を受け、真似して建てたのがこの「旧井上房一郎邸」だ。
ある建築家とは、アントニン・レーモンド(1888~1976年)。本連載では、戦前の1928年に完成した「旧イタリア大使館別荘」をすでに取り上げた。
この連載は1建築家・1住宅に絞ろうかとも思っていたのだが、戦後初期の“現存する住宅”で何かひとつと考えると、やはりこれしかないと思い、再度レーモンドを取り上げることにした。
旧井上房一郎邸はレーモンドの自邸兼事務所を「写した」建物?
旧井上房一郎邸は高崎駅北口のすぐ近くにあり、現在は高崎市美術館の施設の一部として一般公開されている。
高崎市のサイトでは、こう説明されている。
「旧井上房一郎邸は、東京・麻布の笄町(こうがいちょう、現 港区西麻布)に1951年(昭和26)に建てられたレーモンドの自邸兼事務所を写した建物として知られ、いわゆるレーモンド・スタイルがよく表れている建築です。1952年(昭和27)、高崎の自邸を焼失してしまった井上は、『笄町の自邸』を再現しようと計画し、レーモンドの快諾を受けた後、井上工業の職員に建物を実測させ、これらを元に同年新たに井上邸の設計・建築をしました」。
市のサイトなので間違ってはいないと思うのだが、「レーモンドの自邸兼事務所を写した」という表現は誤解を招くと思う。筆者もこれまでそういう説明をうのみにしていて、かつてこの住宅と全く同じ間取りの建物で、レーモンド夫妻が暮らし、一部を設計事務所として使っていたのだと思っていた。
調べてみると、そうではなかった。レーモンドが1951年に東京・麻布の笄町に建てた建物は、倍以上の大きさがあった。井上邸を南北に2棟並べ、西側をつないでコの字にした形の建物だった。南側が主に住宅で、北側と西の連結部が設計事務所に充てられていた。
自邸を焼失した井上が「再現しようと計画し、レーモンドの快諾を受けた」のは、南側の住宅部分だ。そして「井上工業の職員に建物を実測」させたと聞くと、全く同じように建てたのかと思ってしまうが、間取りを見比べると、半屋外のパティオを中心に大きく東西が逆転している。それも完全な裏返しではなく、諸室の構成が違っている。
仕上げも全く同じではない。例えば、床は、レーモンド自邸では土足で生活するためにプラスチックタイルだったが、井上邸ではじゅうたんになっている。
ポイントは「半割り丸太を用いた両側挟み込み式鋏状トラス」
原設計はアントニン・レーモンドだが、実際の設計者は井上房一郎だ。えっ、じゃあ何を学べばいいの?と突っ込まれそうだ。いや、だからこそ井上の頭の中を想像する価値がある。単純なコピーでないということは、「変わっていない部分」が、井上が惹かれた部分ということになる。それは、大きくいうと、屋根と窓を構成する“仕組み”だ。
まずは、深い軒と、そこから連続する天井の木造架構の美しさだ。柱の丸太の両側を、半分に割った2本の丸太(半割り丸太)が挟み込む形で斜め上方に延び、トラス(三角形の架構)を構成して傾斜屋根を支えている。
美術館でもらえるパンフレットではこう説明されている。
「戦後間もないこの時期、コンクリートや製材が高価で不足していたため、建築には簡易さと経済性が求められました。その結果、レーモンドが木造建築をつくる様式として、現場で用いた杉の足場丸太を使用し、柱や登り梁を2つに挟み込む構造『鋏状(はさみじょう)トラス』が生み出されたのです」。
これも公式資料なので間違ってはいないのだと思うが、誤解を招く書き方だ。それは、「鋏状トラス」という部分。鋏状トラス(英語で言うとシザーズトラス)は、レーモンドの木造建築を語るときによく登場する言葉だが、筆者は先ほどのような説明を読んで、1本の木材を2本の木材で挟み込んで構成するトラスを「鋏状トラス」と呼ぶのだとずっと思っていた。
しかし、別の記事を書いているときにこれが間違いであることに気づいた。鋏状トラスとは、正しくは、正面から見た形が「鋏」のようなトラスのことを言うのである。えーっ、そうだったのか。恥ずかしい。
なので、レーモンド流のこの木造トラスは、正確に書くならば、「半割り丸太を用いた両側挟み込み式鋏状トラス」だ。今後、筆者と同じような勘違いをする人がいないように強調しておく。(2本の木材を組み合わせて梁を構成する「挟み梁」というものもあるので、なんともややこしい…)
モダニズムの理念を木造で昇華させた「芯外し」
井上の心を捉えた仕組みのもう1つは、南側の障子やガラス引き戸を構成する木製の建て具だ。普通の木造住宅ならば、柱と柱の間に建て具がある。その場合、2枚の建て具であれば左右どちらかにしか寄せることができない。
この住宅では、柱の外側に建具がある。だから、柱の位置を越えて引き戸を寄せることができる。真ん中には、遮るものが全くない空間が出現する。これは、柱同士を結ぶラインから敷居がずれているという意味で「芯外し」とも呼ばれる。
連載の初回、「サヴォア邸」(1931年)を取り上げたときに、ル・コルビュジエ(1887~1965年)が提唱した「近代建築五原則」の中に「水平連続窓」がある、と書いた。
横長にガラス窓が並んでいるだけでも先進的なのに、この住宅ではそれがガバッと開いてしまうのだ。モダニズム建築の歴史としてもすごいことなのである。
簡素なのに高級、レーモンド五原則の真骨頂
さて、本連載のテーマは建築家の“愛”についてである。もう少し踏み込んで、井上房一郎ほどの目利きが、なぜレーモンド自邸にそれほど惹かれたのかを考えたい。
ここからは筆者の推測だが、ひとつには「簡素なのに高級に見える」ということではないか。
高崎市の説明文にもあったように、レーモンド邸の木造架構は、現場で用いた杉の足場丸太を使用したものであったという。足場に使われるということは、安い材料の代表格ということだ。そんな材用を使いながらも、「両面挟み込み式鋏状トラス」という手の込んだ架構にし、それを同じ方向にひたすら繰り返すことで、空間にリズムと深い陰影が生まれている。
そして、芯外しの建て具。柱から少し外側に並ぶガラス面は、庭の緑を横長の絵のように切りとる。それ以外の部分の仕上げが石だろうが、コンクリートだろうがほとんど関係はない。天井と軒、緑の壁で勝負あり、なのだ。
コルビュジエの五原則ほど有名ではないが、レーモンドにも五原則があって、それは「Simple(単純さ)、Honest(正直さ)、Direct(直接さ)、Economical(経済性)、Natural(自然さ)」。まさにこれは、五原則どおりの住宅だ。
真の「Honest」に井上は打たれた?
読後感としてはここで終わってもよかったのだが、元建築専門誌編集長としては、井上が惹かれた理由がもう1つある気がしてならない。それは「建築専門誌に載りそうにない住宅」だったということだ。
この連載を楽しみにしている建築好きの方であれば、この木造架構、どこかで見たことがあるのではないか。軽井沢の「聖パウロカトリック教会」だ。これはレーモンドの設計で1935年に完成したもの。レーモンドは戦前から鋏状トラスを使っていたのだ。
そしてもう1つのポイントである芯外しの建て具も、「軽井沢夏の家(旧アントニン・レーモンド軽井沢別邸、現ペイネ美術館)で先に使われている。こちらは聖パウロカトリック教会の2年前、1933年に完成した建物だ。
つまり、鋏状トラスも芯外しも、レーモンドにとっては特に新しい技術ではなかった。間取りが斬新かというと、そんなこともなく、各部屋が東西一列に並んでいるだけ。敷地に余裕がある住宅であれば、基本のキともいえるプランだ。
いかに物資の乏しい時代とはいえ、「雑誌に発表して国内外の話題に」という野心があれば、もう少し奇をてらったものにしただろう。そうではなく、レーモンドが本当に自分たちのためだけに選んだ方法がこれだったのだ。先ほどレーモンドの五原則について触れたが、これ以上の「Honest(正直さ)」はない。
それゆえに希代の目利きである井上の心に深く刺さった、と見るのは深読みし過ぎだろうか。
■概要データ
所在地:群馬県高崎市八島町110-27 高崎市美術館内
原設計:アントニン・レーモンド
実設計:井上房一郎
階数:平屋
構造:木造(磨き丸太鋏状トラス架構)
延べ面積:209.96m2
竣工:1952年(昭和27年)
■参考文献
現代住宅併走「梁を挟む 旧井上房一郎邸」藤森照信著/TOTO通信2021年夏号
https://jp.toto.com/pages/knowledge/useful/tototsushin/2021_summer/modernhouse/
公開日:












