50年間続いている、歩行者天国があるまち
毎週日曜日、歩行者天国の時間帯になると、車止めの看板が道路の真ん中に置かれ、子どもたちが集まり出す。ボール投げをしたり、シートを広げてゲームをしていたり、道路の真ん中に座り込んで絵を描いていたりする子どももいる。その横で、バザーやマルシェが行われていたり、近所のおじいちゃんと子どもが路上で囲碁をしている風景に出合えたりすることもある。この東京都文京区・藍染大通りは、歩行者天国として使われ始めてから2022年11月で50周年を迎える。
「藍染大通りの歩行者天国には衝撃を受けました」と、歩行者天国研究家の内海皓平さんは話す。大学の卒業論文のために、公共空間の使い方をテーマにした場所を探していたところ、藍染大通りに出合ったという。春には根津の名物のツツジを眺め、夏にはスイカ割りに勤しみ、秋には盆踊りを楽しみ、冬は七輪で暖をとる。この道路は、まるでまちのリビングのよう。一年を通して、ここまで多様に活用されている道路がほかにあるだろうか。
「年間を通して、バリエーション豊かな催しが開催されています。単純に子どもの遊び場として使われていたり、毎年のお祭りのときだけ使ったりなどのケースはよく見られますが、別々の状況が同じ場所で重なっているというのは希少です。利用者が、子どもに限定されておらず、大人が積極的に活用しているところも面白いんですよね。また町外の人がイベント主催者やスタッフとして関わるケースもあり、町内、町外を問わず、人がまちに関わるきっかけを生み出しています」
浮かび上がってきた、藍染大通りの歴史
改めて歩行者天国の定義を説明すると、道路に自動車通行止めの規制が行われ、一定時間、その道路全体を歩行者の自由を認める制度のことを指す。車を気にすることなく道路を歩ける、歩行者の立場に立った便利な制度だ。
ここで一度、藍染大通りの歩行者天国の歴史を振り返ってみたい。
藍染大通りが、歩行者天国として利用され始めたのは1972年。当時、自動車交通の急成長に伴って交通事故の発生が急増して、ある種の社会問題化していた。人がどんどん事故に遭う様子を『交通戦争』と呼ぶようになり、この現象に反する言葉として、『歩行者天国』が登場するようになった。「子どもを安全に遊ばせたいが公園がまだまだ足りない。そんな子どもの遊び場がない時代に、『遊戯道路』として使おうというところから始まりました」
子ども向けイベントを中心に利用され始めた、藍染大通り。1984〜1998年に発刊された町内紙「こんにちはあいそめ」では、町内で起こっている大小さまざまなニュースが取り上げられた。藍染大通りが活発に活用されている様子が掲載されている。その後、積極的に使われない時期もあったが、「こういう時期も乗り越えたからこそ、今の通りがある」と内海さんは話す。このまちは小さく、住居空間の大きさも限られている。家族構成や生活が変わる際に、転居を余儀なくされるケースも多い。人が減ったり、イベント運営で主要に動いていたメンバーがいなくなったりするタイミングで、通りの使われ方も時代によって少しずつ変わってきた。
再び活性化するのが、2014年ごろ。この頃から道遊びや路上映画会などが行われるようになり、2015年には、1階は地域の住民の居場所となる共有スペース、2階は住居兼シェアオフィスである地域のサロン「アイソメ」がオープンした。同時に町外の人が関わって、この通りを使うイベントも増えるようになり、近年では地域で活動する団体や学生による、社会実験やアートプロジェクトなども積極的に生まれている。
歩行者天国の責任者は誰?どうやって続けられてきたのか
内海さんらが中心となって制作した記念誌『みんなの藍染大通り』という冊子がある。ここには50年間の歴史や道路の活用方法、まちの人々へのインタビューが織り交ぜられている。
内海さんが活動する中で、改めて藍染大通りが現在に至る経緯がわかってきた。歩行者天国50周年を迎えるということも調査中に発覚したそうだ。そこで内海さんが発起人となり、記念誌を制作し、2022年11月に「記念式典&ピクニック」が開催される流れとなった。
制作のきっかけは、コロナ禍の緊急事態宣言下。歩行者天国を続けるかどうか、感染症のリスクに関しては誰が責任を取るのか?歩行者天国の責任者は誰なのか、そもそもいつ始まったのかも知らない、どうして続いているのか……。これまでグレーゾーンを切り抜けて、長年続いてきた歩行者天国の歴史に暗雲が立ちこめ始めた。
「これはまずいと思いました。そこで、歩行者天国の在り方を明文化したガイドラインを作ろうとしたのが冊子制作を始めたきっかけです」。冊子制作の中で発覚したのは、2022年に、歩行者天国50周年を迎えることを、ほとんどの人が知らないこと。それが、歩行者天国50周年を記念して、記念式典&ピクニックにつながった。
いざ作り始めると、責任の所在や思惑がみんなそれぞれ違うことが浮き彫りになった。
「過去の蓄積や警察の資料をまとめていくうちに気づいたことは、ルールを明白に決めてしまいすぎないことの大切さ。歩行者天国は、奇跡的な要因がたまたまうまく重なったから、長く継続できている。再現性の難しさを感じました。この通りが育んできた豊かな日常を共有することから始めたいです」
道路に染み出る、まちの人の暮らしや思い
歩行者天国はいわゆる交通規制なので、“道路の活用”という目線で見ると、不完全なルールだ。標識が立っているだけでは、人は道の真ん中を歩かない。何もなければただ広くなった道を歩くだけだろう。「道路の中にテーブルがあるから、座ってみようかとなる。屋台があるから立ち止まる。まちの人が関わって、イベントを開催して、人を集めなければ活用されません。不完全さを補うために、いろいろやらなければいけないことが、道路の面白さを生み出すのではないでしょうか」
藍染大通りの歩行者天国の魅力は、いろいろな人の関わりしろがあることだと内海さんは話す。人を家にこもらせず、屋外に引き出す効力がある。まちに関わりたいと思う人でも、参加できることが、祭りの実行委員のみに限られてしまうとハードルが高く、できる人とできない人がでてきてしまう。
「でも歩行者天国の運営の場合、看板を置くとか、道路で遊ぶ子どもを見守るとか、イベントに遊びに行くとか、まちへの関わり方をさまざまなに選ぶことができる。まちの人が、色んな濃度で、色んな役割で、関わり方ができるポテンシャルがあると思います」
不完全さや余白があるからこそ、色づけができる。道路の使われ方自体が、まちの個性。人がまちに出て活動する、そこに暮らし、関わる人たちの色が混ざり合い、そのまち独特の雰囲気をつくっていくのではないか。
「この通りを見続けていて思うのが、みんな各々、まちについて思っていることがあるということ。隣にいる人は、全く違うことを思っているかもしれない。そのことをまず知ることが大切なのではないでしょうか。そろえなくてもいい。みんなバラバラだけれども、まちにとって歩行者天国が間違いなく一つの価値としてあることが藍染大通りとそのまちらしさだと思います」
藍染大通りでは、歩行者天国がまちのひとつの共通言語となり、ひとつの文化になっているのかもしれない。
「道路にはまちの個性が表れます。道路に対して、まちの人がどのように気を使っているか、コミュニケーションがどんな風に行われているかに注目すれば、そのまちの雰囲気がわかります。例えばまちなかの花壇の花をとっても、ただ植えてあるだけのものと、手書きの看板を付けて歩いている人に見てもらいたいという意思がにじみ出ているものとは、受ける印象が異なると思うんです」
今自分が暮らしているまちや、住んでみたいまちの道路や公共空間にはどんな風景があるだろうか?歩行者天国に限らずとも、まちに出かけて、ゆっくり道路を歩いてみるのも良いかもしれない。それがきっと、まちを改めて知る手がかりになるだろう。
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