著名なドラマやマンガに登場する間取り図を推理する「間取り探偵」。今回紹介するのは、2016年に公開されたアニメーション映画「この世界の片隅に」です。そして今回は特別編としてもう1本、なんとCMから。ハウス食品アニメコマーシャルに登場する家の間取り。この2本から「田の字型住宅」の変遷を見ていきます。

※「間取り探偵」過去の推理一覧はこちら
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アニメ映画「この世界の片隅に」は戦中、広島県呉市の北條家に18歳で嫁いだ“すず”のお話。
ハウス食品アニメコマーシャル「おうちで食べよう」シリーズは、スタジオジブリとタイアップした終戦後の家族のお話。
年齢層的には50代以上の皆さんは下町や地方都市でギリギリ見たことがある景色や間取りだと思います。

 

まずは「この世界の片隅に」の間取りから見ていきましょう。この建物の建つ場所の呉市の背景から。
地形的にあまり手を加えずして港ができたことから古くは村上水軍(脚注1)の根城として、明治時代以降は帝国海軍・海上自衛隊の基地となっています。
戦中はその性格から40万人が暮らす大都市でした。
すずの夫周作は、呉鎮守府(脚注2)の軍法会議書記官。
義父の円太郎は広海軍工廠(脚注3)技師と軍に関する仕事についていました。
この時の二人の給料を調べてみましたがそれには地方差があるので、名古屋陸軍造兵廠史に記載のある昭和20年の給与比較表を参考にして一般庶民の給料の比率を算出してみました。

 

円太郎(技師)の給与は一般平均より30%程度高く、周作(書記官)は20%程度高く。2人の収入を合算した場合裕福なほうだったのではないでしょうか。

 

港を擁する呉市の街

港を擁する呉市の街

さて、北條家の間取りはというと典型的な田の字型農家住宅ですね。

 

北條家の間取り

北條家の間取り

 

大戸(玄関)から直ぐに土間(台所)。その北側には納戸(小上がり)。
この納戸という表現は今では収納と解釈していますが、当時は配膳室みたいなところをそのように呼びました。
そして、四畳半2室と六畳2室が田の字型に配置されています。
映画からは分かりませんでしたが、技術者・役人の家系の家としては独立した玄関がないことなどから北條家のご先祖様はこの間取りから農家もしくは兼業農家だったのかも。

 

ただ、たとえ、給料が良かったとしても物資不足や戦時中ということで、建て替えなどは考えられなかったのでしょう。

 

【概要】
所在地:広島県呉市
推定床面積:92.74m2
間取り:5K
構造:木造平屋建(倉庫除く)
入居者:北條円太郎・サン・周作・すず

 

(脚注1)村上水軍は、中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)
(脚注2)呉鎮守府は、広島県呉市にあった大日本帝国海軍の艦隊の後方を統轄した機関
(脚注3)広海軍工廠は、日本海軍の主に航空機開発を担った軍需工場

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続いて、こちらは戦後のお話。ハウス食品のコマーシャルです。ハウス食品と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、「カレー」でしょう。

 

まずは家庭でカレーライスが作られるようになった時代のお話から。
いわゆる即席のカレーと呼ばれた製品は明治39年代からありましたが今のような固形タイプの商品が出てきたのが大正15年、大阪ハウス食品の“ホームカレー“(脚注4)からです。かなり手間が掛かったようで国民食と呼ばれるにはまだまだ程遠かった模様。

 

家庭に普及したのが終戦の年、昭和20年。オリエンタルが、その手間をかなり省いた、“オリエンタル即席カレー”販売してから一気に広まってゆきました。
さて、ハウス食品のアニメコマーシャル「宣伝カー篇」を見てみましょう。

 

走っている宣伝カーは、即席カレーが販売開始された明治・大正時代のものではなく昭和のものであることがわかります。
また、コマーシャルからかすかに聞こえる街の人の会話が大阪弁ではないことから、恐らく舞台は東京と思うのですが、川が傍にある商店街全体が空襲を受けた感じがしなということでエリアを絞ってみました。
同じくCMの「おつかい篇」では平坦な道路で高低差がなく、「裏路地篇」も平坦で狭い路地。

 

国際日本文化研究センターの戦災消失区域表示帝都近傍図で戦火を免れた場所とそれらのコマーシャルの背景をてらし合わせてみると高低差がなく、水路があり、町全体が戦火を免れた場所とすると佃島・築地界隈が舞台となっていそうな気がします。

 

いわば日本の国民食、カレーライス

いわば日本の国民食、カレーライス

間取り探偵の推理による、ハウス食品のCMに登場する家の間取り。風呂の無い、田の字型の間取り

間取り探偵の推理による、ハウス食品のCMに登場する家の間取り。風呂の無い、田の字型の間取り

 

間取りは3Kで風呂なしの都市型一戸建て。
こちらも外観の寸法とわずかに見える居間から和室六畳3室と恐らく風呂はなく、台所が田の字型に配置されていると推理。
都市型と言ったのは当時の一般的な戸建てには風呂が付いていなく、近隣に多くの銭湯があったから。

 

戦中、東京にあった銭湯は2796軒、多くが戦禍に会い400軒足らずに激減してしまったそうです。(脚注5)
銭湯が激減したために家風呂が増えていったとか。きっとこの家にも後々風呂が増築されたことでしょう。

 

【概要】
所在地:東京都(推理では中央区佃近辺)
推定床面積:61.27m2
間取り:3K(風呂なし)
構造:木造平屋建
入居者:父・母・子供二人・犬

 

薪を炊く香り。黄色いカレーの香り。

昭和39年産まれの間取り探偵の父方の実家は“この世界の片隅に”。
母方の実家は“ハウス食品”の両家と間取りとほぼ同じ。
当然建て替えましたが、懐かしく思い出深いのです。

 

(脚注4)商標登録の関係で、現在のハウスカレーと名称を変えた
(脚注5)全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会調べ

 

間取り女子

間取り女子

 

※掲載の間取り図とパースはMEGASOFT 3Dマイホームデザイナーで作図しています

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更新日: / 公開日:2017.12.13