その昔、大塚は駅を中心に城北エリア(皇居の北側にある地区。文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区)を代表する繁華街だったというと驚かれる方が多いのではないでしょうか。戦前は池袋よりも賑わっていたのです。

今回は、街の賑わいの歴史に焦点を当ててお伝えしたいと思います。
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1843年(天保14年)の大塚周辺。「御江戸大絵図」(高井蘭山/芝神明前尚古堂)より。
大塚駅の誕生以前、周辺は人家も少ない郊外のさびしい場所だったようです。江戸時代後期、1843年(天保14年)の地図を見ると、現在、大塚駅があるあたりには、谷端川(やばたがわ)が流れているほか特筆すべきものは見当たりません。

 

目立つのは、南側に「福ゾウ寺」(現在の天祖神社)、さらに南には護国寺。東には「東フク寺」(現在の東福寺)、「六ジゾウ シン正寺」(現在の眞性寺)、北側には「スガモ庚申塚」(現在の庚申塚)などが記されており、比較的広いエリアが凝縮されて掲載されている、といった印象を受けます。

 

「江戸名所図会」に描かれた天保年間(1830~1844年)頃の十羅刹女堂(現在の天祖神社)。仏教的施設だが、鳥居があることから神仏混淆の聖地であることがわかる。門前の道が現在のサンモール大塚商店街。門前の道を右上へ進んだ先、図の右上隅近くの1軒の小屋が描かれている辺りが現在の大塚駅となる。
天祖神社は江戸切絵図には熊野社とか、神明社などと記されていますが、このあたり一帯の鎮守社として古くから信仰されてきました。ただし、江戸時代この場所にあったのは十羅刹女(じゅうらせつにょ)堂。

 

十羅刹女は法華経に記された10人の鬼神で、別当の福蔵寺(火災によって焼失、現在はありません)が管理していました。

 

天祖神社。
天祖神社と改称したのは明治になってからで、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:明治維新政府の神道国教化政策にともなって起きた仏教の廃止運動)、神仏分離を受けてのことでした。

 

天祖神社のイチョウ。
天祖神社の境内にはご神木とされている一対のイチョウの木があります。樹齢600年の古木で、往時は高さ50mにも達したといいますが、戦災を受けて樹勢が弱ったため、巨木だった江戸時代の面影は現在は失われました。

 

サンモール大塚商店街が天祖神社の参道。
大塚駅南口から正面に延びる「サンモール大塚商店街」入口には、鳥居を思わせるゲートがあります。この商店街が天祖神社の参道となっていて、商店街を進むと神社に到着します。

時代は明治時代へと移ります。明治の文明開化によってもたらされた新たな習慣や文化。そのなかに洋食文化もありました。江戸時代以前にはほとんど飲まれなかった牛乳もそのひとつ。洋食の普及とともに、乳製品は庶民の間でも親しまれるようになったのです。といっても、消費の中心はやはり外国人や上流階級の人々でした。したがって、牛乳の最大消費地は東京の中心部ということになります。

 

しかし、当時は輸送手段が整備されていません。保存技術も未発達でしたから、消費地と生産地が近接していて毎日配達する必要がありました。大塚のあたりは、距離的に東京中央部とあまり離れておらず、古くからの農村地帯だったため牛の飼料となる牧草の生育にも適していた、ということがあったのでしょう。

 

数多くの牧場が誕生し、東京近郊としては屈指の酪農地帯になっていました。現在、コーシン牛乳などで知られる乳製品メーカーの興真乳業も、大塚周辺に誕生した牛乳生産牧場がルーツです。

 

疫牛供養碑(石段の右)と東福寺山門。
そうした牧場地帯だったことを物語るのが東福寺門前の「疫牛供養碑」。1910年(明治43年)、「牛乳搾取業巣鴨支部」によって建てられたものです。

 

ちなみにこの東福寺には、かつて天祖神社にまつられていた「十羅刹女像」が伝わっています。

 

東福寺の十羅刹女像。
十羅刹女は仏教由来の神仏であり、明治の神仏分離の際に天祖神社から別当寺である福蔵寺に運ばれ、その後福蔵寺が火災で焼失、十羅刹女像はここ東福寺に運ばれたのです。

 

境内の一角に十羅刹女堂があります。十羅刹女を単独で信仰の対象にしている例は全国的にも珍しく、また10体の像が現存しているのも貴重といえます。

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大塚駅の周辺は、1903年(明治36年)に豊島線が開業後、飛躍的な発展を見せるようになります。それに一役買ったのは王子電車(現在の都電荒川線)。明治末期の城北エリアでは唯一、山手線と他社線が交差する大塚は、その便利さもあって大いに賑わったのです。

 

王子電車が走る王子には、当時、王子製紙をはじめ工場などが多く、そこで働く人々が王子電車を利用して大塚まで遊びにきたり、山手線を利用して周辺からやってきたりする人々も少なくなかったようです。

 

大塚三業通りの入口付近の様子。
そうして、大塚には三業地(さんぎょうち)ができました。「三業」とは、料理屋(料亭や仕出し屋)、芸妓置屋(げいぎおきや:芸妓の手配などを扱う芸妓組合事務所)、待合(貸座敷。仕出し料理を取り寄せ、芸者遊びをする)の3種類の業態のこと。これがそろうと「花街」と呼ばれます。

 

1922年(大正11年)、西巣鴨町平松の一帯が指定許可を受け、料理屋と芸妓置屋が建ち並びました。その後、関東大震災で被災したものの、ほどなく活気を取り戻し、1924年(大正13年)には待合の営業が許可され、三業地として発展していきます。

 

最盛期には料理屋85軒、待合18軒が軒を連ね、芸者の数は200名を超えたとか。谷端川に沿って軒を連ねる料理屋の灯が川面に映り、三味線の音色が風情を誘う眺めだったそうです。その勢いは神楽坂の花街をしのぐほどだったともいわれています。

 

1945年(昭和20年)に空襲を受けますが、戦後、花街として復興。昭和40~50年代(1965年~1984年)には城北エリアきっての花街として賑わっていました。

 

こぢんまりした飲食店が点在する大塚三業通り。
現在の大塚三業地はひっそりとしていますが、営業を続ける料亭もあります。人数は少なくなりましたが、現役の芸妓も存在します。「芸者遊びはお座敷で」という常識を覆し、テーブル席でも芸者さんを呼べるなど、大塚三業地では比較的カジュアルに芸者遊びを楽しめるようです。

 

近年、大塚三業通り商店街として再スタートし、地域活性を目指す取り組みが盛んになってきているというから今後が楽しみです。

ありし日の旧白木屋百貨店の様子。
さて、大塚は夜の街としての花街が発展する一方で、昭和初期には、商業地としても賑わいを見せました。城北エリアで初のデパートとなる白木屋(後の東急百貨店)が大塚駅北口駅前に誕生したのは1936年(昭和11年)。その後、資生堂、高島屋10銭ストア(今の100円均一ショップのような店)などが次々と建ち、買い物客が集う街になりました。

 

その白木屋は1937年(昭和12年)に全面改装し、地下1階・地上6階建てのモダンな店舗になるのです。当時、人気があった繁華街といえば、買い物をするなら大塚の白木屋か上野松坂屋、新宿三越。映画を見るなら浅草、夜の街なら大塚か神楽坂、といった状況だったようです。

 

その後、大塚の白木屋は1956年(昭和31年)に松菱ストアーとして再度オープン。しかし、その頃には池袋が繁華街として急速に成長してきており、集客は望めず、3年後に閉店となってしまいました。以後、複数のオフィスが入るビルとして使われ、「大塚ビル」の名称で2017年(平成29年)まで残っていました。昭和12年竣工の百貨店建築ということで貴重な建物でしたが、現在は解体され、新たに商業施設を併設したマンションの建設が進められています。

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同じ北口駅前でも、エリアによって表情が異なる。「北口商店街」(写真)はここ20~30年くらい雰囲気が変わっていない印象。
この旧大塚ビルの跡地をはじめ、大塚駅北口では再開発が進められています。

 

古民家をリノベーション。昔懐かしさと新しさが同居する「東京大塚のれん街」。
その一環として2018年5月にオープンしたのが「東京大塚のれん街」です。空き家だった古民家をリノベーションし、飲み屋街として再生。昔懐かしい昭和レトロな店舗が話題になり、若者を中心に賑わっています。

 

大塚駅北口駅前に誕生した「星野リゾート OMO5 東京大塚」。
また、「東京大塚のれん街」のすぐ近くには、2018年5月に「星野リゾート OMO5 東京大塚」もオープン。この新しいシティホテルと「東京大塚のれん街」の誕生で、北口駅前の雰囲気は変わりつつあります。

 

大きく変わった大塚駅南口。ランドマークとなっている「アトレヴィ大塚」。
一方、駅南口も大きく変化しました。駅前ロータリー周辺は、以前は地方のローカル駅の駅前のような雰囲気を漂わせていましたが、新たなランドマークとして駅ビル「アトレヴィ大塚」が誕生。ビルの中央部、エスカレーターが見える部分が吹き抜けのようになっていて、ガラス張りの外壁から中の様子が見えるのが特徴的です。

 

「アトレヴィ大塚」を中心に大きく変貌した大塚駅南口の駅前。
アトレヴィの誕生で、南口の駅前広場も姿を変えました。かつては路線バスの乗り場だった一帯を、バス停を移動させ、ベンチと植え込みを配してくつろげる広場としました。

 

また、全国でもトップクラスの放置自転車数だったことを受けて、地下に広大な駐輪場を設け、すっきりとしておしゃれな感じの駅前となりました。かつての、ごちゃごちゃした印象の駅前を知る筆者にとっては、隔世の感があります。今後、大塚がどう変わっていくのか、見守っていきたいと思います。

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更新日: / 公開日:2019.03.12