山手線の鶯谷駅について、どのような印象をお持ちでしょうか。調べてみると、鶯谷には興味深いエピソードが数多く秘められていました。

今回は、鶯谷駅をめぐるさまざまなトリビアをご紹介します。

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ホーム南側の高台には寛永寺墓地が迫る

ホーム南側の高台には寛永寺墓地が迫る

1830年に記された『新編武蔵風土記稿』では、江戸時代初期、1688~1704年ころの元禄年間に、上野寛永寺の門主がこの地に鶯を放ったのが鶯谷の名の起こり、としています。

 

当時の江戸では、ウグイスは珍しい鳥ではありません。それをわざわざ放鳥した理由は、飼っているウグイスの鳴き声をよくするため。

 

周囲のウグイスが美声であれば、飼っているウグイスもその声を真似て美しく鳴くようになるとされ、平安時代ころから、京都の公家の間で行なわれていた風習です。

 

現代の研究でも、野鳥の鳴き声は先天的なものではなく後天的に学習するものとされ、同じ種類の野鳥でも、地域によって鳴き声に違いがあることが指摘されています。

 

平安貴族が行なっていた「美声のウグイスを放鳥して、飼っているウグイスに鳴き声の学習をさせる」のは、科学的にも正しいことなのです。

 

寛永寺の門主は親王などが京都から江戸へ下向して務めるのが慣例。そして「江戸のウグイスは鳴き声が武骨で訛りがある」と、京都からウグイスを運ばせ放鳥したのです。

 

それにしても、門主が気に入らなかった当時の江戸の野生ウグイスはいったい、どのような鳴き方をしていたのでしょうか。少しばかり、気になるところです。

下谷エリアには昭和初期の長屋建築が現役で残っている

下谷エリアには昭和初期の長屋建築が現役で残っている

実は、「鶯谷」という駅名は、駅付近の地名によるものではなさそうなのです。そもそも「鶯谷」がどこにあったのかも、明確にはわかっていません。

 

1829年に徳川幕府がまとめた地誌書 『御府内備考』では、「谷中初音町」という項目の中で、「七面坂から南、御切手同心組屋敷の間の谷を鶯谷という」と記されています。

 

『新編武蔵風土記稿』には、「谷中在町方分」という項目に、「信濃岩村田藩内藤氏抱屋敷の裏の坂を鶯谷という」と記されています。

 

どちらの史料も、主な地域名の紹介のなかで、坂道の名称として「鶯谷」が記されているだけです。

 

しかも、これらの場所は鶯谷駅からかなり距離があり、隣駅である日暮里駅、あるいは2駅離れた西日暮里駅の方が近い場所です。この史料にある「鶯谷」を、駅名の由来とするには違和感があります。

 

もし、周辺の地名を駅名として採用するのであれば、駅南側一帯の「桜木」か、駅の所在地となっている台東区根岸の「根岸」。あるいは駅の東側一帯の「入谷」となります。

 

どれも古くから知られた歴史的地名であり、駅名として採用されるにふさわしい地名となるでしょう。なのに、地元にはない「鶯谷」の駅名が採用されたということですから、そこには何か事情があったのかもしれません。

 

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鶯谷は、実は山手線の中の駅としての乗車人数のポジションは微妙です。

 

鶯谷駅の乗車人数は、2015年のデータでは2万4447人となっています。山手線29駅中の最下位で、ワースト2の目白駅(3万8008人)に1万4000人あまりの差をつけられ、他の追随を許さないダントツの最下位です。山手線で唯一、1日あたりの乗客数が3万人に満たない駅なのです。

 

乗車人数が少ない理由のひとつとして、「他のJR線や私鉄、地下鉄などに接続していない」ということがあります。こうした駅を単独駅といい、山手線では鶯谷駅のほか、目白と新大久保の両駅が単独駅です。そしてこの3駅が、利用者数の少ない駅のワースト3を占めています。

 

鶯谷には京浜東北線も停車するのですが、鶯谷で山手線から京浜東北線に乗り換えても隣接駅に変化はないので、乗換駅とはみなされないのです。京浜東北線も日中は快速運転のため鶯谷には停車しないので、この駅に確実に停車するのは山手線の電車だけということになります。

 

鶯谷駅のプラットホームは、1・2番線ホームと3・4番線ホームからなり、1・2番線は京浜東北線北行と、山手線内回り田端・池袋・新宿方面行。3・4番線が山手線外回り上野・秋葉原・東京方面行と、京浜東北線南行。山手線と京浜東北線が並行して走る区間ではおなじみの島式2連ホームです。

 

鶯谷駅は、1927年ころにこのホームを整備しました。しかし、当時は現在の1番線と4番線だけを使用しており、内側の2・3番線には線路は敷かれていません。また、京浜電車(後の京浜東北線)が鶯谷に延伸するのは1928年なので、当初は山手線のみの駅なのです。

 

そして、京浜電車が開通してからも、長い間、山手線と京浜電車は線路とホームを共用してきました。その後、京浜東北線と改称して複々線化され、それぞれ別の線路を走るようになったのは1956年のこと。このとき初めて、2・3番線に線路が敷かれるのです。

 

鶯谷駅のホームが造られたころは、京浜東北線との相互運転は想定されていましたが、複々線化しての運転は想定されていません。ですから、一般的には、プラットホームを1つだけ作っておき、複々線化の際にホーム増設、という経過をたどります。

 

ところが鶯谷駅は、いつかは実現するであろう(実際には30年後に実現)複々線化を見込んで、今すぐには使わないけれど、ホームを2つ作っておいた、ということなのです。これはある意味、奇跡的ではないでしょうか。

 

鶯谷駅の南西側は高台で、寛永寺墓地が迫っています。一方の東北側は、低地に人家が密集しています。駅と線路はこの高台と低地の間にあって、スペースが限られています。

 

特に高台の寛永寺墓地の側に線路やホームを増設することは不可能です。ホームの東北側も、さらに線路が増えていく可能性があります。だから、とりあえず、余裕のあるうちにホームを作っておこう――、そんなことがあったのかもしれません。

 

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数年前まで金杉通りにあった古民家。現在はマンションになっている

数年前まで金杉通りにあった古民家。現在はマンションになっている

乗客数が少ない背景のひとつに、「鶯谷を最寄り駅とする台東区根岸、台東区下谷、台東区入谷、といったエリアには、中・低層住宅が多く、高層住宅はほとんど見られない」ことが挙げられます。

 

しかも、低層住宅のなかには、1945年の東京大空襲の被害を免れた、大正時代末期~昭和初期(1924年ころ~1935年ころ)の町家が点在し、そこで、昔ながらの暮らしを守っている人がいるという希少スポット。

 

低層住宅が多いということは、人口密度が低いということでもあり、駅の利用客が増えないことにも関連するでしょう。でもそれは、人情味あふれる江戸下町の風情が今日まで伝わっているということでもあるのです。

 

このエリアは道が入り組んでいて、そこかしこに路地があります。そうした路地を歩けば、門扉がなくて玄関が道路に面している下町ならではの町家が軒を連ねているのが目に入ります。玄関先に鉢植えが並んでいたりすると気持ちもやわらぎます。

 

駅付近のラブホテル街が、他の地域よりもディープな印象を与えるのも、迷路のように入り組んだ路地が一役買っていると思われます。この細い道は、昔ながらの地割に基づくもので、江戸時代以前の道筋が残っているところもあります。

 

駅の東側から北上して南千住へ向かう金杉通りは、江戸時代は「将軍御成通り」でした。日光東照宮へ将軍が参拝するときのルートだったのです。

 

このエリアには古くからの歴史を重ねた神社や寺院が数多く点在するのも特徴です。

 

独特の屋根がホームからも見える元三島神社

独特の屋根がホームからも見える元三島神社

駅のホームからも独特の形の屋根が見えるのは、元三島神社。1281年の創建という歴史ある神社です。

 

真源寺

真源寺

また、江戸時代から「おそれ入谷の鬼子母神」と呼ばれ親しまれた真源寺は、子授け・安産にご利益絶大とされ、最近では妊活のパワースポットとして人気があるところ。

 

小野照崎神社

小野照崎神社

平安時代初期の公卿で歌人としても名高い小野篁ゆかりという小野照神社は、1200年近い歴史を持つ都内でも屈指の古社です。

 

小野照神社の境内には、国の重要有形民俗文化財に指定されている富士塚もあります。

 

正宝院

正宝院

正宝院は1530年の創建で、奈良大峰山から空を飛んできた「飛不動」として知られています。

 

「空を飛ぶお不動さま」ということで航空安全のパワースポットとなり、航空会社のパイロットや客室乗務員の間でも、この寺の「飛行護」というお守りが人気、ともいわれています。

 

英信寺

英信寺

江戸時代の建物が残る英信寺には、「三面大黒天」という変わった仏像があることで知られています。

 

このように、数百年、あるいは1000年以上の歴史を重ねた神社や寺院が現代まで伝わっているのです。歴史ある神社や寺院が多いということで、江戸情緒を伝える伝統行事も見られます。

 

入谷朝顔市

入谷朝顔市

毎年七夕の季節に開催される入谷朝顔市は、江戸時代に端を発するという伝統の行事です。

 

また、正月には周辺の神社や寺院をめぐる「下谷七福神めぐり」も実施されます。

 

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駅前の入り組んだ路地に密集するラブホテル

駅前の入り組んだ路地に密集するラブホテル

鶯谷のラブホテル街は、他の駅と違い、駅のホームからも林立するラブホテルが見えます。駅の改札口を出るとすぐにラブホテル街の迷路のような路地になるという立地は、鶯谷だけの特徴でしょう。

 

渋谷や新宿、池袋ではラブホテルが駅から離れたところにあり、駅周辺のイメージにはさほど影響を与えていません。ところが鶯谷は、改札口から徒歩数十秒でラブホテル街に到着する、という立地です。

 

鶯谷のラブホテル街は、もともとは上野駅に近い立地ということで、集団就職や出稼ぎで上京してきた人々への低価格旅館がルーツのようです。時代の流れでそういった客が減少していき、旅館としては男女向けの休憩中心の営業に転身、そして現在のようなラブホテルへと姿を変えていったようです。

 

そうして誕生したラブホテル街によって、不名誉な称号を得た鶯谷駅。ですが、鶯谷はそのラブホテル街によって、新たな光が見えかけているのです。それは、訪日外国人観光客が増加していること。訪日外客の増加で宿泊施設が不足しているなか、宿泊施設としてラブホテルが注目されているのです。

 

最近では、大型のトランクや、テーマパークで買ったと思われる大きな袋を抱えて、鶯谷駅から午前中の山手線に乗車してくる外国人旅行者も見かけるようになりました。

 

ラブホテルというのは、日本独特の存在です。日本人にとっては「性行為を連想させる特殊な施設」であり、観光旅行の際にラブホテルに泊まる、というのはまずありえないと思われます。しかし、訪日外国人にとっては、そうしたネガティブイメージはありません。むしろ、母国にはない形態の格安な宿泊施設、ととらえられているようです。

 

ラブホテルを宿泊施設としてみた場合、一般的なビジネスホテルよりもアメニティは充実している、と思われます。カップル利用を前提としているため、浴室は広く、ベッドもキングサイズ。ラグジュアリーな雰囲気や、ゴージャスな印象を強調するホテルもあります。

 

国や地域によっては日本のラブホテルよりも設備が劣るシティホテルが存在するでしょう。そのくらい、ラブホテルの設備は充実しています。それでいて宿泊料は2名で5000円~1万円くらい。

 

2名利用が原則になること、チェックアウトタイムの融通が利かないこと、フロントを含め係員が外国語対応できないであろうこと、といった不便さはありますが、ラブホテルの専用予約サイトも登場し、外国人観光客がラブホテルを利用するハードルはかなり低くなりました。

 

鶯谷は訪日外国人に人気の観光地である上野公園へ徒歩圏。浅草や押上にも近く、これも外国人旅行者にアピールするポイントとなっています。外国人観光客のラブホテル利用という新しいムーブメントは、鶯谷のイメージを変えていくことでしょう。

 

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更新日: / 公開日:2016.08.08