実は超都心! 秋葉原・東京に近い「馬喰町」の交通事情

このエリアにはJR総武快速線の馬喰町駅、都営新宿線の馬喰横山駅、都営浅草線の東日本橋駅の3駅が近い距離にあり、連絡通路経由で乗り換えが可能。5分ほど歩いた距離に東京メトロ日比谷線小伝馬町駅がある。駅間の距離が近いため、行き先によって駅を使い分けられるのはとても便利。

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周辺駅

旅館街から問屋街、 そしてリノベーションで変わる街へ

かつて馬喰町は、博労町(ばくろうちょう)だった。博労とは「馬の善し悪しを鑑定し売買・仲介をする人」のことで、博労の頭である高木源兵衛や冨田半七などが住んでいたためそう呼ばれていた。

「初音の馬場」と呼ばれた馬場もあって、関ヶ原の戦の際には、ここで馬ぞろえ (出陣前の馬の検閲と演習) が行われたそう。1657年の明暦の大火の後、浅草御門、今の浅草橋のたもとに関東郡代の屋敷が置かれると、地方からの公事師 (訴訟代理人) のための旅籠屋が増えていった。その頃の馬喰町は問屋街ではなく旅館街だった。

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馬喰町

問屋街の横山町

お隣の横山町は、当初から問屋街で、小間物、紙、薬、呉服、瀬戸物、塗物など様々な問屋が軒を連ねていた。各地から仕入れ、売り込みに訪れる商人たちは馬喰町で宿をとった。しだいに馬喰町には、大小の旅籠が集中するようになり、江戸一番の旅館街として賑わいをみせることになる。

「馬喰町の宿屋へ泊り、横山町の問屋の商品を宿屋へ持参させ、じっくり吟味する」
そういった持ちつ持たれつの関係を両町は築いていた。幕末にはさらに各種問屋が集まるようになり、明治に入っても問屋は増え続けた。

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問屋街

馬喰町の歴史

馬喰町が旅館街から問屋街へと変わっていくのはこの頃から。交通網の発達が、馬喰町から泊まり客を遠ざけていく。そして馬喰町の問屋街化を決定づけたのは、1914年に東京駅が開業したこと。東京駅が東京の中央として見られるようになると、馬喰町から宿屋は減っていった。
 
今、「横山町・馬喰町問屋街」はおよそ1,500の衣料品・ファッション雑貨・生活雑貨等の卸商社や店舗が並ぶ「日本最大の現金卸問屋街」。多くの店が「素人お断り」「業者専門」と掲げているけど、個人で購入できる店もちらほらある。浅草観光の流れで訪れる外国人の姿も多い。

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馬喰町

リノベーションで変わる胎動を感じる馬喰町エリア

変わりゆく時代の流れで人口が減り廃業する問屋が増えているのも事実。そして、廃業後の問屋の建物をリノベーションして店舗を開く人が増えてきた。

契機は2003年に始まった「セントラルイースト東京(CET)」。東東京を盛り上げることを目的としたこの動きにより、馬喰町にアトリエやギャラリーなどのアートな場所が生まれた。そして、リノベーションビル「アガタ・竹澤ビル」が誕生し、今ではアートな街というイメージも定着しはじめている。

街を歩くと、リノベーションで変わる胎動を感じる馬喰町エリア。
歴史を積み重ねて静かに佇む建物の中では、この場所で何かを始めようという元気にあふれていた。

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リノベーションされていく馬喰町

いま、最新の暮らし方は リノベーションが進む街で暮らすこと…?!

古い建物を壊して新しい建物を作る…それが“進化”だからと、当たり前に行われてきたことが馬喰町では当たり前ではなかった。元問屋街ならではの、歴史を重ねても機能する建物があり、それを魅力と感じる人が集まってきていた。

築年数が古い物件は安い傾向があって、自由にできる安い物件は何かを始めたい人にはうってつけで、リノベーションしてお店を開く。このサイクルがきれいに回っている馬喰町エリアは、第2のスターネット東京や北出食堂、アガサ・福澤ビルが現れる日がすぐに来ると思う。

建物の再利用をして新しい動きが始まるのを身近に感じながら暮らすのは、きっとエキサイティング。いま、最新の暮らし方は、街ごとリノベーションが進んでいる場所で暮らすことなのかも!

※2014年02月18日の情報です。最新の情報は訪れる前にご確認ください。

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リノベーションが進む街で暮らすこと

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(2014/02/18)