「値上げ=物価上昇」は間違い?

エネルギー価格や小麦価格の高騰を受けて、さまざまな商品が値上げされることで、「物価」の高騰が注目されている。日本は、長い期間にわたりデフレ経済下にあり、政策的には2%のインフレ率が設定されてきた。しかしその目標が2022年4月に達成されると、今度はインフレが問題だという。この矛盾は一体どこから来ているのか。物価とは一体なんであるのか。住宅市場とどのような関係があるのか。本稿では、このような問題を考えてみたい。

食品や日用品の値上げが相次いでいるが…食品や日用品の値上げが相次いでいるが…

そもそも「物価とは一体なんであるのか」という問いから考えてみよう。

私たちは毎日、さまざまな「財・サービス」を消費している。食事をするためには、スーパーに出かけ、お米、お肉、魚、野菜や果物を買う。お酒を飲む人は、リカーショップで日本酒やビール、ワインなどを。季節ごとに、服も買うだろう。このような消費活動は、「財」を買うという。また、いつも家の中で食事をするのではなく、たまにはレストランに出かけることもある。お酒も、居酒屋やバーなどで楽しむこともある。このような場合には、「サービス」を買うという。つまり、私たちは日々「財・サービス」を消費しているのである。そうすると、このお肉やお酒の価格が値上がりしているのを、「物価が上がっている」と考えがちである。しかし、それは間違いである。

同じ満足度を得るために支払う金額が上昇したかどうか

物価は、財・サービスの「価格」と合わせて、「数量」を一緒に考えないといけない。私たちは、お肉にしてもお酒にしても、「価格×数量」を計算し、何を、いくらで、どれくらい買うのかを考えている。この意思決定をするときには、お財布の状態を見ながら、最も自分の満足度が高くなるように選択をしているはずである。私たちの消費活動は、暗黙の裡に、「自分の最も好きなものを買う」ことで満足度を高める。そして、このときには、お財布の範囲内で、「最も安く買う」という条件が追加される。

このような前提を置いたときに、1ヶ月の物価の変化を見ようとしたときには、前の月に「自分の最も好きなものを」、「最も安く買った」ときに支払った金額と、今月に「同じだけの満足度を得る」ために支払った金額とを比較して、その支払った金額が上昇したのか、下落したのか、それとも変化していないのかを比較することとしよう。ここで大切なのが、満足度が変わらない、経済学でいう「効用」が変わらないという条件下で、金額を比較するということである。この金額が上昇していれば、物価があがった、つまり「インフレ」となり、その金額が下落していれば、物価が下がった、つまり「デフレ」ということになる。物価とは、同じだけの満足度を得るために、生計費がどの方向にどの程度変化したのかを見たものと考えるのである。

そうすると、物価が上がったというのは、同じだけの満足度を得るために支払わないといけない金額が上昇したわけであるから、もし私たちの所得が上昇していないとすれば、私たちの厚生水準は低下してしまうことになる。そのため、インフレになると、マスコミや政治が騒ぎ始めるわけである。しかし、エネルギー価格や小麦価格が上昇しているにもかかわらず、物価を上げないでいるということは、企業の利潤が減少してしまうことになる。企業の利潤は、私たちの所得の源になっているわけであるから、物価が上がってけしからんというのは、あまりにも短絡的であるということは理解できるであろう。

物価が上昇した場合、所得も上昇していなければ厚生水準は低下する物価が上昇した場合、所得も上昇していなければ厚生水準は低下する

住宅のサービス価格は比較的低く推移

ここで住宅サービスを考えてみよう。私たちの消費活動の中で、最も大きな比重を占めているのが住宅であるということは、容易に予想することができるであろう。どの国においても、おおよそ2割から3割の比重を占めている。

また、物価の変化は消費者物価指数(Consumer Price Index:以下、CPI)によって知ることができる。下図は、消費者物価指数総合と、その中における持ち家の帰属家賃、民営借家の家賃の変化を見たものである。図1は、2000年を起点とした原系列であり、図2は対前年比で見た変化率を示している。

図1 2000年を起点とした、消費者物価指数、持ち家の帰属家賃、民営借家の家賃の変化図1 2000年を起点とした、消費者物価指数、持ち家の帰属家賃、民営借家の家賃の変化
図1 2000年を起点とした、消費者物価指数、持ち家の帰属家賃、民営借家の家賃の変化図2 消費者物価指数、持ち家の帰属家賃、民営借家の家賃を、前年対比で見た場合の推移

日本は、1990年のバブル崩壊後、長期間の景気後退とデフレーションに苦しんできた。CPIの原系列では、長期間にわたりCPIが下がり続け、その中でも帰属家賃の下落幅が大きいことが理解できるであろう。このような状況下で、物価の安定に責任を負う日本銀行は、2%のインフレーション・ターゲットを設定したのである。物価が正しく上昇していかないと、私たちの所得も上昇することはなく、そして企業もまた、生産性を高めて成長していくことができないためである。逆に言えば、企業の生産性の向上と成長を通じて、所得が上昇し、物価も一緒に上昇していくというのが、好ましい姿なのである。

CPIの変化率をみると、2014年に消費税率が8%から10%へと上昇した影響を受けて、一時的にインフレーション率は2%を超えた。しかし、その期間を除けば、目標は2022年の4月まで達成することはできなかった。現在発生している物価上昇は、前述のようにエネルギー価格や小麦価格の上昇を受けたコストプッシュ型のインフレである。このような企業が生産活動を行う上で投入する原材料の価格の変化を物価に転嫁していくことは「パス・スルー効果」といわれる。生産コストのパス・スルー効果は限定的であることは知られていることから、日本は「また低インフレの状態に戻る」というのが、専門家の中では一般的な見立てである。2%のインフレが継続するためには、賃金の上昇が不可欠である。賃金のパス・スルー効果は持続性が高いためである。

ここで、上図の住宅のサービス価格の変化を見ると、賃貸住宅の家賃も持ち家の帰属家賃も共に、2000年以降下落してきたことがわかる。他の財・サービスの物価の変化よりも、住宅のサービス価格が大きく下落してしまっているのはどうしてなのであろうか、という疑問が出てくるであろう。

下落の原因は測定誤差?

住宅サービスの下落が、日本のデフレの原因の一つではないかと指摘されてきた住宅サービスの下落が、日本のデフレの原因の一つではないかと指摘されてきた

住宅のサービス価格の測定を巡っては、さまざまな政策的議論が展開されてきた。前述のように、物価において住宅サービスが大きなウェイトを占め、そして、強い下落圧力を持っていたことから、日本のデフレは、住宅のサービス価格の下落が大きな原因の一つではないかと指摘されてきた。つまり、日本が長期間にわたり、デフレにあるのは、金融政策に問題があるのか、物価の測定方法に問題があるのか、その両方であるのかといった問題を取り巻く、多くの議論が展開されてきたのである。

その議論の中でも、消費者物価指数のうちおおよそ20%から25%のウェイトを持ち、下落率が大きい持ち家の帰属家賃の測定に注目が集まるのは自然であった。持ち家は、毎月のサービスに対して支払いをしていないため、どのように測定しているのかという疑問が出てくるであろう。
「帰属家賃」という言葉を使ったが、実際には毎月支払っていない支出を、統計局が推計しているのである。日本では、持ち家の「帰属家賃」は、「家賃近傍法:Equivalent Rent Method」と呼ばれる方法によって測定されている。持ち家の毎月の支払いを、近くにある賃貸住宅の家賃から類推しようというものである。周辺の家賃から類推しようとすると、その家賃は、時間が経過するにつれて経年減価していくということは、容易に予想できることであるが、そのような補正は、現在の測定の中ではしていない。そうすると、自然に下方に圧力がかかってしまうのである。また、賃貸住宅の品質は、持ち家の品質と比べて低いことから、賃貸住宅の家賃で持ち家の費用を測定して良いのかという問題も指摘されてきた。地方部では持ち家率が高く、家賃を調べることはとても難しい。さらには、現在では、人口減少の影響を受けて、高い空き家率に苦しんでいるため、家賃によって正しく持ち家市場の費用を測定できているのかどうかといったことは、今後の大きな課題であることが指摘されている。

持ち家の帰属家賃の測定は、日本だけの問題ではなく、欧州や米国でも等しく議論されている、物価指数の最も大きな測定問題の一つなのである。

インフレが継続すると、住宅市場はどうなる?

物価が上がり続け、所得が上がらない状況が続くと住宅市場はどうなるのだろうか物価が上がり続け、所得が上がらない状況が続くと住宅市場はどうなるのだろうか

測定問題はさておき、もしインフレが継続した場合には、住宅市場にどのような影響がもたらされるのであろうか。前述のように、投入物のコストプッシュ型のインフレは長く続かないという憶測は正しいものと考えられる。仮に、最悪のシナリオとして、物価が上がり続け、所得が上がらない状況が続いたとしよう。そのようなときに、私たちは、家賃や持ち家の取得を控えるように行動するであろうか。

本稿では過去20年間の物価の変動率を見てきたが、正しく住宅サービスの価格が測定されているという仮定を置けば、住宅に対する支払いは、極めて安定的である。物価研究においては、「粘着的」であると言われている。その理由としては、家賃であれば、その契約改定は2年に一度しか訪れないし、持ち家においては、その時々の状況を踏まえて購入するのではなく、長期的な視野の下で購入するのが一般的であるためである。そのように考えれば、インフレが進んだからといって、住宅市場に影響が出るとは考えにくい。しかし、インフレの先に、景気後退や将来の期待が悪化すれば、賃貸住宅市場よりも、持ち家市場の行動に大きな影響が出ることは確かである。

リーマンショックを経て、東日本大震災、そして、新型コロナウィルスの感染拡大とさまざまなショックが住宅市場を襲ってきたが、今回ほど将来の見通しが困難な状況はないと言っても過言ではないであろう。慎重に市場の行方を見ていきたいと考えている。

物価が上がり続け、所得が上がらない状況が続くと住宅市場はどうなるのだろうかインフレの先にある住宅市場の行方とは?

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