「愛の名住宅」から最も遠いイメージの建築家?

建築家・篠原一男(1925~2006年)は2025年の今年、生誕100年となる。それを記念して東京・乃木坂のTOTOギャラリー・間では現在、「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」が開催中だ。

篠原は、「愛の名住宅」というこの連載のテーマから最も遠いイメージがあるかもしれない。「住宅は芸術である」という名言を残した建築家だと聞けば、建て主の暮らし方なんかまるで考えない超越的な人を想像してしまう。

「白の家」の西側吹き抜け。解体・移築する前の2007年6月に行われた見学会で撮影した。「白の家」の写真はすべてこの時のもの(写真:宮沢洋)「白の家」の西側吹き抜け。解体・移築する前の2007年6月に行われた見学会で撮影した。「白の家」の写真はすべてこの時のもの(写真:宮沢洋)

今回取り上げる「白の家」は篠原の初期の代表作である。「住宅は芸術である」と書いた1962年の4年後、1966年に東京都杉並区に完成した。このとき、篠原は41歳。

木造2階建て。正方形平面の白い箱の上に、瓦葺きの方形屋根が架かる。家の真ん中で強い存在感を放つ丸柱。建築雑誌で見る写真のほとんどがモノクロであることもあり、「写真映えのためにつくったのでは…」と思えてしまうヒンヤリした美しさだ。人の暮らしを想像するのはなかなか難しい。

だが、筆者は実際にこの住宅を訪れたとき、不謹慎にも「楽しそう!」と思った。同時に「穏やかさ」も感じた。いずれにしても全くヒンヤリはしていなかった。

ヒンヤリとした抽象性は篠原自身が世に浸透させたかったイメージなのだろうと思う。が、それによって「楽しそう」で「穏やか」な生活感がそぎ落とされ、篠原が掲げた「芸術」の本当の意味が伝わらなくなっている危惧を感じる。ここでは筆者が見て感じたままの「白の家」をお伝えしたい。

「白の家」の西側吹き抜け。解体・移築する前の2007年6月に行われた見学会で撮影した。「白の家」の写真はすべてこの時のもの(写真:宮沢洋)「住宅は芸術である」の真意ははたして…(イラスト:宮沢洋)

3人の子どもとワイワイ、2階の小窓が「楽しそう!」

まず、こんな平面であることを知っておいてほしい。正方形の西側3分の2が吹き抜けで、東側は1階が「寝室1」、2階が「寝室2」だ。図面を見ると2階にベッドが2つ並べられているので、当初は2階が夫婦の寝室だったのだろう。

各階平面図と断面パース(イラスト:宮沢洋)各階平面図と断面パース(イラスト:宮沢洋)

スギ丸太を磨いた柱は、正方形の平面の中心に立つ。吹き抜けが半分よりも広いので、寝室の壁から少し離れて柱が立つ形だ。吹き抜けの南北に障子窓が並ぶ開口部、北西の角にキッチンや浴室などの水回りがある。

建て主の家族は、出版に携わる夫と染色画家の妻、3人の子どもたちだ。子どもがいる家だったことに驚く。3人の子どもは年齢が近く、完成時には10歳+α。

夫は、誰もが知る児童書をヒットさせた著名な編集者だ(故人)。本人がこの家の建て主であることをあまり言っていなかったようなので、仮にA氏とする。

こういう家族構成であると知ると、この家の間取りは腑に落ちる。筆者が「楽しそう」と思ったいちばんの理由は、2階から吹き抜けを見下ろす窓だ。

建築雑誌の写真はいつも2階の窓の障子が閉じていて、なんだか息が詰まりそうな緊張感を与えている。それが開け放たれて人が顔を出すと、一気にホンワカムードになる。上下階での家族の会話が見えるようだ。

各階平面図と断面パース(イラスト:宮沢洋)2階の小窓(写真:宮沢洋)

障子の開け閉めで印象が激変

1階の吹き抜けも同様。南側の障子を開けると庭の緑がカバッと目に入り、すがすがしい。庭先に子どもたちが友達を連れて「ただいま!」と現れそうだ。

南側の障子を開けた状態(写真:宮沢洋)南側の障子を開けた状態(写真:宮沢洋)
南側の障子を開けた状態(写真:宮沢洋)2階から吹き抜けを見下ろす。子どもたちが友達を連れてくると、こんな感じだったのでは?(写真:宮沢洋)

記憶の中に強く刷り込まれたこの家の抽象性は、閉じた障子の効果が大きいのだ。

子どもたちと夫婦は、この吹き抜けで食事をし、会話をし、ときにふざけあったに違いない。

1階の寝室には、当初の図面では3人の個室を仕切る壁がない。小学校高学年から中学生の子どもたちだから、1人1部屋をつくる選択肢もあったろう。だが、児童文学を生業とするA氏は家族の交流を重んじた。子どもたちが3人とも、文学などのクリエイションの道に進んだのはこの家の影響もあったかもしれない。

南側の障子を開けた状態(写真:宮沢洋)障子を閉めると静的な印象にガラッと変わる(写真:宮沢洋)

浴室が正方形から飛び出しているのはなぜ?

「平面が正方形」というのも実は正確ではなくて、1階の西側には浴室が正方形のラインから飛び出している。隣家が近いため、浴室の上部から湿気が抜けるようにしたのだろう。上から光を入れる狙いもあったかもしれない。

抽象化にこだわるならば、正方形のラインにきっちり収めることもできたはずだ。だが、そうはしなかった。そんなところにも、篠原が生活をちゃんと考える人だったことがうかがえる。

実は正方形から飛び出した浴室(イラスト:宮沢洋)実は正方形から飛び出した浴室(イラスト:宮沢洋)

筆者が「楽しさ」とともに感じた「穏やかさ」は、“夫婦二人の家”として見たときの印象だ。部屋が細かく分けられていないので、子どもたちが巣立った後、さほど手を加えずにスペースをゆったりと使える。夫婦が高齢になれば、1階に寝室を移すことも可能だ。篠原がそれを見据えてこの家を設計したことは間違いない。

篠原が設計に込めた「永遠性への期待」

この家は完成当時から「解体」の運命がつきまとっていた。竣工直前になって、敷地内を都市計画道路が横切ることが決まったのだ。竣工時の『新建築』1967年7月号に、篠原はこう書いている。
「2、3年のうちにはこの家は取り壊されることになろう。(中略)永遠性への期待というものはその挫折によってかえって鮮明になるのだ」

その道路計画が実際に事業化されたのは約40年後の2005年だった。A氏はこの家の移築を決意。数百m離れた場所に土地を購入し、篠原の教え子である建築家の白澤宏規氏に監修を依頼して、2008年に移築を実施した。

筆者は移築後の「白の家」も訪れたことがある。そのときのA氏のこんな言葉が印象に残っている。
「住み始めて15年くらいしてから愛着を感じ始めました。この家での暮らしには葛藤もあるけれど、心地よい緊張感を与えてくれる。もう、他の家には住めません」

「15年」というと、子どもたちが巣立つまでの期間と重なる。やはりこの大部屋のつくりでは、成長した子どもたちとの生活には摩擦もあっただろう。3人が巣立ち、夫婦2人になって、本当に自分たちの家になったと感じたのだ。きっとそれは篠原の狙い通りだったに違いない。

「永遠性への期待」は抽象的な意味だけではなかったのだ。

南側の外観(写真:宮沢洋)南側の外観(写真:宮沢洋)

「住宅は芸術である」の真意

冒頭に触れた「住宅は芸術である」という名言は、こんな文章の中にある。

「住宅という空間は今日の人間のさまざまな感情の動きとさらに深くかかわることによってのみ、その存在が保証される。さらにあえていうならば、人間の生活のかかわりかたにおいて、他のどの芸術よりも全的なものであることを注目すべきだろう。生活のすべてをかけた強烈な芸術だとさえ私は思うのである」
ちょっと哲学的でわかりにくいが、そこに『人間の生活』という言葉があることに気づく。

「白の家」完成時に篠原が書いた文章では、その部分をもっとわかりやすく書いている。
「日本の空間様式の様式をしだいに捨象しながら、抽象空間を造形し、それを日常生活の中に戻していきたい」

篠原が目指した芸術は、単に家の形ではなく、日常の営みの中で成立する空間の美しさなのだ。使われてこその芸術。まさに愛の名住宅ではないか。

「永遠」は抽象的な意味だけではなかった(イラスト:宮沢洋)「永遠」は抽象的な意味だけではなかった(イラスト:宮沢洋)
「永遠」は抽象的な意味だけではなかった(イラスト:宮沢洋)屋根裏部屋のような2階の寝室(写真:宮沢洋)

なお、「TOTOギャラリー・間」で開催されている「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」は、2025年6月22日(日)まで。入場無料なので、ぜひ足をお運びいただきたい。

■概要データ
白の家
所在地:東京都杉並区
設計:篠原一男
施工:藤田組(当初)
階数:地上2階
構造:木造
延べ面積:141.3m2
竣工:1966年(昭和41年)、2008年に移築

■参考文献
『新建築』1967年7月号
『日経アーキテクチュア』2008年8月25日号
『住宅論』篠原一男著、1970年

「永遠」は抽象的な意味だけではなかった(イラスト:宮沢洋)東京・乃木坂のTOTOギャラリー・間 「篠原一男 空間に永遠を刻む――生誕百年 100の問い」展。2025年4月16日撮影(写真:宮沢洋)
「永遠」は抽象的な意味だけではなかった(イラスト:宮沢洋)TOTOギャラリー・間の展示風景。2025年4月16日撮影(写真:宮沢洋)

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