東京・青山の超高層ビルの足もとに移築された「土浦亀城邸」
東京・目黒(品川区上大崎)にあった建築家・土浦亀城(かめき)の自邸「土浦亀城邸」がこのほど東京・青山の「ポーラ青山ビルディング」の敷地の一角に移築された。一時は解体の危機が伝えられていたので、移築に奔走した関係者の方に拍手を送りたい。
建築関係者の間では知らぬ者はいないだろう名住宅だが、「何それ?」という方のためにまずは概略を説明しよう。
土浦亀城自邸は、1935年に建てられた日本の初期モダニズムを代表する小住宅だ。白い箱型の外観は“ザ・モダニズム”あるいは“ザ・バウハウス”という印象だ。
前々回に取り上げた“白い豆腐”の住宅「三岸アトリエ」の翌年の完成だ。この連載の初回で取り上げたル・コルビュジエの「サヴォア邸」が1931年竣工なので、1930年代半ばごろの日本では、進歩的な建築家の間で欧米の“白い豆腐”が大きな関心事だったことがうかがえる。
土浦亀城邸も三岸アトリエと同様、木造だ。三岸アトリエと大きく異なるのは、「乾式構法」を採用している点。木造の骨組みに、石綿スレートで仕上げた外壁やボード状の内壁(テックス)を張ることで、左官工程を減らし、工期短縮とコストダウンを図った。土浦は、これからの日本に根付くように木造によるモダニズム住宅を自邸で実験的につくったのだった。バウハウスの創設者であるワルター・グロピウスが先導した鉄骨乾式組立構造の木造版ともいえるだろう。
川の流れのような立体連続空間
構法の先進性は見ただけではわからないが、誰が見ても驚くのは内部空間の立体性だ。3フロア(地下1階・地上2階)、建築面積66m2(20坪)の小ぶりな建物の中に、スキップフロアを多用することで、驚くような空間の連続感が生み出されている。
まるで、川の水が段差を越えて流れていくよう…。この空間を見て、フランク・ロイド・ライトの「ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)」(1924年)を思い出したあなたは鋭い。そう、土浦はライトの弟子なのだ。
土浦は1897年、茨城県水戸市生まれ。画家の横山大観が大叔父にあたる。東京帝国大学工学部建築学科在学中の1921年、帝国ホテル建設中のライトに出会う。卒業後、妻となる信子とともに渡米し、ライトの事務所に入所。およそ3年間、ライトの下で建築を学ぶ。1926年に帰国した後、大倉土木(現大成建設)に勤めながら住宅の設計を開始。1934年、土浦亀城事務所を開いて独立する。
帰国直後はライトの造形に影響を受けていたが、やがてバウハウススタイルの白い箱型の建築を手掛けるようになる。そうはいっても、ライトのマインドを捨てたわけではなかった。土浦亀城邸では、ライトとバウハウス、それぞれの良さを統合した。土浦は「強羅ホテル」(1938年)や銀座の「三原橋センター」(1952年)などの代表作がほとんど現存していないので、土浦が生きた証として貴重だ。
2024年6月に亡くなった建築家の槇文彦は、少年時代、完成して間もないこの住宅を見学したことがモダニズム建築との出会いだったと語っている(槇は当時、近くに住んでいた)。単なる過去の遺産ではなく、現代のモダニズム建築の最前線につながっているという点でも、この住宅が残ったことは意義深い。
ライトの事務所で共に働いた妻・信子の存在
さて、この連載は「愛の名住宅図鑑」である。歴史的に意義深いことはいったん置いておくとして、どこに建築家の愛を感じるか。
それは先ほどの略歴の中にサラッと登場した「信子」との関係性だ。
土浦亀城の妻、信子は、亀城よりも3歳下の1900年生まれ。「民本主義」を説いた政治学者、吉野作造の長女だ。亀城と信子は吉野作造を介して出会ったという。信子は1919年に 東京女子高等師範学校附属高等女学校を卒業。1923年、亀城とともに渡米。ライトの事務所で共に働いた。
なんと、建築を学んでいたわけではないのに、建築の最先端を学びたい亀城と一緒に渡米し、ライトの事務所で働いてしまうという行動力。それをサポートする亀城。さすが吉野作造が認めた2人だけあって、リベラルな愛によって結ばれていたのだろう。
帰国後、信子は亀城の下で主にインテリアデザインを担当した。1937年頃には建築を離れ、写真作品の制作を開始する。戦後は抽象絵画を描いた。設計に携わった期間は短かったが、“日本初の女性建築家”と評されることもある。いつか朝ドラになりそうな人生だ。
自邸も亀城と信子の共作
土浦亀城邸は、一般的には「設計:土浦亀城」と表記されることが多いが、図面の中には「KAMEKI NOBUKO」と連名でサインのあるものがあり、2人の共作と考えられる。そもそも今の感覚でいうと「土浦亀城・信子邸」とすべきでは、とも思う。
実際、室内を見ていると、「これは男性では思いつかないかも」と感じる工夫があちこちに見られる。特に、当時としては先進的なシステムキッチンは、アメリカで生活した信子のアイデアが生かされたに違いない。
引き出しやら戸棚やら、方々開けてみたくなる楽しい室内だ。個人的に惹かれたのはトイレのつくりで、写真を現像する「暗室」兼用となっている。壁の一部に現像作業スペースのための隠し扉があるのだ。
土浦邸の竣工写真は、亀城が撮影からフィルムの現像、焼き付けまでを自分で行ったと考えられている。写真には信子がモデルとして何度も現れる。信子は戦後に写真展を開くようになるが、この暗室の影響もあったのではないか。来客に隠し扉を開けて見せて、「どう?」といたずらっぽく笑いかける姿が目に浮かぶ。
原設計を忠実に再現、玄関までの動線も疑似体験できる
今回の移築では、縦羽目板張りに改修されていた外壁が乾式のスレート板に戻されるなど、原設計がほぼ忠実に再現された。
建物の方位が当初と微妙に変わっているものの、素晴らしいのは道路レベルから玄関の床レベルまでの高さが移築前とほぼ同じだということ。前面道路からいったん階段で上がって玄関に入り、半階上がると1階リビング、半階下がると浴室などがある地下1階という動的な空間構成が疑似体験できる。移築によって玄関までの動線が変わってしまう例が少なくないので、これは画期的だ。
そして、朗報。これまでは個人が暮らす住宅だったので、関係者以外が中を見ることはできなかった。しかし、今回の移築を契機に、2024年の9月から月に2日、一般公開を予定しているという。
見学などの運営は、ピーオーリアルエステート社が一般社団法人住宅遺産トラストの協力を得て行うとのこと。事前申込制(予約開始は9月2日を予定)、月2日、水・土でガイドツアー付きの公開、1日2~3回実施、1人1500円。詳細はピーオーリアルエステート社のサイトをチェックしてほしい。
■概要データ
土浦亀城邸
所在地:東京都港区南青山2-5-13(移築前は東京都品川区上大崎)
原設計:土浦亀城・土浦信子
階数:地下1階・地上2階建
竣工:1935年(昭和10年)
構造(移築後):木造、鉄筋コンクリート造
延べ面積(移築後):191.36m2
土浦亀城邸復原・移築
復原・移築設計(建築):安田アトリエ
歴史考証:東京工業大学山﨑鯛介研究室、居住技術研究所、東京工業大学安田幸一研究室(長沼徹ほか)
実測調査・実測図面・模型制作:東京工業大学安田幸一研究室
軸組解体記録(3D測量):東京工業大学藤田康仁研究室
木軸組調査・軸組図・伏図製図制作:後藤工務店
構造設計:金箱構造設計事務所
設備設計:ZO設計室
ランドスケープ設計:ランドスケープ・プラス
施工:鹿島建設
■参考文献
「土浦邸フレンズの活動記録2013-2020」(土浦邸フレンズ事務局)
TOTO通信「現代住宅併走 41」藤森照信
https://jp.toto.com/pages/knowledge/useful/tototsushin/2018_summer/modernhouse/
東西アスファルト事業協同組合講演会「建築空間と物質性について」(槇文彦)
https://www.tozai-as.or.jp/mytech/86/86_maki05.html
住宅遺産トラスト「土浦亀城邸」https://hhtrust.jp/hh/tutiura.html
公開日:












