今、YouTubeなどで注目、安芸高田市長・石丸伸二の二十歳のころとは

安芸高田市は2004年3月1日、高田郡吉田町、八千代町、美土里町、高宮町、甲田町、向原町が合併して生まれた。いわゆる平成の大合併でできた新設市である。

歴史好きには戦国大名毛利元就が本拠地とした旧吉田町の郡山城跡(国指定史跡、日本100名城)、若き日の元就の居城である猿掛城跡(国指定史跡)、毛利家墓所などを擁する歴史のまちとして知られる。

また、旧美土里町には神楽ドームを擁する神楽門前湯治村があり、石見神楽を源流としつつも、戦後、GHQ傘下のCCDの弾圧をかいくぐって独自の進化を遂げ、広島を代表するエンタメに上り詰めたとも言われる新作高田舞(安芸高田神楽)のふるさととして、伝統芸能の世界でも独自の存在感を放っている。
「恥を知れ」「勉強してください」などの「語録」とともにYouTubeでも知られる石丸伸二市長は「20年後にはこのまちはなくなってしまうかもしれない」それなのに「市内はまだまだ旧町の意識が強い。一刻も早く市内を一体化し、安芸高田のアイデンティティを確立したい」という思いのもとに行財政改革を推進している。

安田女子大学現代ビジネス学部公共経営学科・松本武洋ゼミ(3年生)は、毛利氏墓所に参拝し、神楽ドームや三矢の里あきたかたを訪問するなど、安芸高田市内を実際に歩き、まちの現状を探るとともに、石丸青年の二十歳に焦点を当てたインタビューを行った。なお、本文は徳田千瑛が担当した。

道の駅三矢の里。毛利元就が三人の息子に与えたとされる「三矢の訓」をもとに、市民公募で名づけられた。元就は三兄弟に一本ずつ矢を持たせて、「一本の矢は簡単に折れてしまうが、三本束ねた矢は簡単には折ることはできない。三本の矢のように三人が力を合わせれば毛利は安泰である」と毛利家の結束を誓わせたという(実際には江戸時代に作られた創作とされる)。道の駅三矢の里。毛利元就が三人の息子に与えたとされる「三矢の訓」をもとに、市民公募で名づけられた。元就は三兄弟に一本ずつ矢を持たせて、「一本の矢は簡単に折れてしまうが、三本束ねた矢は簡単には折ることはできない。三本の矢のように三人が力を合わせれば毛利は安泰である」と毛利家の結束を誓わせたという(実際には江戸時代に作られた創作とされる)。

学生時代、どのようなことに熱中していましたか-「ジャグリングなど、サークル活動でした」

高田神楽の振興にも注力する石丸市長高田神楽の振興にも注力する石丸市長

「サークル活動を一生懸命していました。ひとつは社会問題に関する勉強会をするサークルでした。週に一回それぞれが関心を持ったテーマを発表してディスカッションをしていました。僕のいた大学は24時間いつでも開いていたので、部室に夕方、集まり、その後、途中からお酒も入り、朝5時ぐらいまで飲みながら議論していました。
もうひとつはジャグリングサークルです。大道芸をしていました。ジャグリングでは大技にチャレンジして人前で大恥をかいたことがありました。自分としては一生懸命やっていたのですが、今思えば準備不足でした。そこで痛い目に遭うと、次は気をつけようってことになる。痛い目に遭うのは大事ですね。痛い目に遭うのって普通避けちゃうじゃないですか。でも、若い時ほど避けてはいけない。失敗は早いうちにした方がいいです。失敗は大人になってからする方が痛いですから。そして、簡単な道と難しい道のふたつが目の前にあったら、迷わず難しい方を選んでください。嫌だとか難しそうとか思うかもしれないけれど、そっちにしか人生の価値はないですよ。楽な方を選んでも楽しくない」

若い時に悩んだことはありましたか-「現実から目をそらさずに、目の前の選択肢を明確にして選べば悩まない」

「僕はあんまり悩むってことは無いですね。私が生まれた家は決してお金のある家ではなかったので、お金に苦労したくない、という思いから大学は経済学部にしました。数学や理科が得意だったので医学部も考えましたが、お金がかかりそうなので文系にしたんです。
そして、就職先も、稼げるだろうということで金融機関にしました。このようにお金を稼ごうという目的や意識があったので、あまり悩むことはなかった。仮に何かで10個ぐらい選択肢があるとして、要はその10個の中から選べばいいわけですから。悩むとしたら、選択肢が何個あるかわからないという状況の時です。
人というものは自分には何個選択肢があるのかという現実を見るのを怖がるものです。ただ、そこから目をそらしてはダメなんです。目の前の選択肢はどのようなものか、明確にして選ぶだけです。考えるふりをして思考停止していないですか、サボってないですか、と職員にもよく言います」

石丸伸二(いしまる・しんじ) /1982年安芸高田市生まれ。京都大学経済学部卒業(2006年3月)三菱UFJ銀行入行(2006年4月-2020年7月)安芸高田市長に当選(2020年8月)石丸伸二(いしまる・しんじ) /1982年安芸高田市生まれ。京都大学経済学部卒業(2006年3月)三菱UFJ銀行入行(2006年4月-2020年7月)安芸高田市長に当選(2020年8月)

「それから、よくメンタルが強いですね、と言われますが、ロールプレイングゲーム(RPG)で例えるとわかりやすいと思います。自分がレベルが上がった状態で最初の弱い敵と会うと、可愛いんですよ。なんのダメージも受けないんです。
RPGでは最初、弱い敵と戦って、だんだんレベルを上げていくじゃないですか。ですから、レベルが上がった状態にすることが大切です。自分のレベルが高くなると、敵が来てもビビらないし、傷つかないし、また出てきたなと思うだけです。だから、メンタルを強くするためには、まず自分のレベルを上げることですかね。大切なのは自分が強くあることです」

二十歳のころの経験は今の仕事に生きていますか-「だいたい生きています」

「二十歳のころの経験は、今の自分にだいたい生きていますね。その当時は何も生まなかった無駄な議論の中身が、今の自分の中にちゃんと残っていて、色々な事を考えたり話したりする時に役立っています。
大道芸の経験も、人前に出るのが得意になったので役に立っています。皆さんもこれから就職活動などで人前に立つ機会が増えますよ。
一つだけお伝えすると、自己紹介はプレゼンテーションの一番の基本なので、しっかりできるようになった方が良いです。僕が会社に入って初めて先輩に「はじめましての後にどんなメッセージを伝えたいのか、その準備はしているのかい」と聞かれて、自己紹介ってプレゼンなのだと思いました。自己紹介から勝負は始まっているのです」

郡山城の改修に際して、元就が人柱に代わり「百万一心」と彫った石を埋めさせると工事が上手くいった、という。言葉には“日を同じにし、力を同じにし、心を同じにする(一日一力一心)”という意味がある。(安芸高田観光ガイド)郡山城の改修に際して、元就が人柱に代わり「百万一心」と彫った石を埋めさせると工事が上手くいった、という。言葉には“日を同じにし、力を同じにし、心を同じにする(一日一力一心)”という意味がある。(安芸高田観光ガイド)

安芸高田市の地域資源について教えてください-「サンフレッチェでまちを一つに一致団結させたい」

「安芸高田市の地域でいうと、サンフレッチェで市民が結束できると思っています。この町は6つの町が合併してできましたが、そのうちの吉田町がサンフレッチェを練習場として誘致した、という経緯があります。
ですから、吉田町以外の町のひとの関心は残念ながら薄いというのが現状です。しかし、ひとつの市になって20年も経つのにその意識ではもったいないと思います。吉田町ではなく、安芸高田市のサッカーチームという風にみんなが思い、みんなで応援して一致団結してもらいたい。
もう一つは、安芸高田というまちの名前がサンフレッチェによって歴史に残るだろう、ということです。この町は100年後には絶対無くなっているだろう。50年後も危うい。行政単位としてはいずれは絶対無くなるんです。そうした時に安芸高田市という名前が無くなって、安芸高田市のアイデンティティまで失われるとしたら悲しいし、今までいた人に申し訳ないじゃないですか。何かの形で「安芸高田」を残したいと思います。
そのひとつがサンフレッチェなんです。この町が無くなっても、サンフレッチェが安芸高田市を拠点に活動してきたという事実は残るし、歴代の選手はここから巣立っていったという歴史も残る。そこに安芸高田の名前を託したいなという気持ちです」

「サンフレッチェでまちを一つに一致団結させたい」「サンフレッチェでまちを一つに一致団結させたい」

「また、まちおこしでは“あきたかた焼き”というものを作りました。それは、市民の意識を統合したかったからです。いまだに出身地を”安芸高田”ではなく旧町名で言う人が多いので、安芸高田市民という意識を持ってもらうために作りました。
遠い将来、この町が無くなったとしても、あきたかた焼きが残れば嬉しいじゃないですか。すでに広島県内外で20店舗ぐらいがあきたかた焼きを出してくれています。スーパーの”ゆめタウン”でも総菜として売ってもらっています。広島のお好み焼きは間違いなく文化であり、あきたかた焼きは新たな文化です。文化は時間と空間を超えるので、安芸高田市だけでなく県外でも、そして100年後もあきたかた焼きが残って欲しいと思っています。あきたかた焼きは世界展開できる武器になり得ます。広島県民は広島焼きとは言わずにお好み焼きと言いますが、県外では期せずして”広島焼き”と呼ばれています。
あえて”あきたかた焼き”という名前にすれば、お好み焼き論争にも割って入れる。小麦を使った料理は世界中にあるから、例えばオタフクソースなどは海外でも売られてるんですよね。
この一年間で知名度が上がったので、ニューヨークのお好み焼き屋さんからあきたかた焼きを作りたいという話も来ています。簡単に空間を越えちゃうんですよね、勢いがあれば」

「サンフレッチェでまちを一つに一致団結させたい」2022年3月にはトヨタ自動車の豊田章男社長(当時)が「モリゾウ選手」として自らラリーカーを操り安芸高田市内を駆け抜けた。(広報あきたかた)

町おこしで大切なことは-「現実を直視することです」

「安芸高田は神楽やサンフレッチェ、毛利元就など観光資源に恵まれています。県外でも通じるブランド力がありますよ。
でも、町おこしでもっと本質的なことは、市民がやる気になることです。この町の現実を直視し、問題意識を持って、危機感を持ってもらうことが大切です。みんな危機感が無いからなんとかなると思ってる。
でも今のままでは生き残れない。生き残るためには何をするべきなのか、覚悟を決めることです。何をやめるべきなのかを取捨選択することを、行政レベルでやらないと生き残れないです。だから、町おこしのためには市民の意識改革が大切です」

財政説明会では、具体的な施設削減年度にも踏み込む。(安芸高田市公式YouTubeチャンネル)財政説明会では、具体的な施設削減年度にも踏み込む。(安芸高田市公式YouTubeチャンネル)

安芸高田神楽の魅力について教えてください-「戦後、GHQの弾圧を乗り越えて進化した“新舞“はエンタメ性が高く、誰もが楽しめます」

「一方で、安芸高田には神楽という資源がある。安芸高田の神楽はエンタメ性が高いです。安芸高田は新舞の発祥の地です。もともと、神楽は島根県の出雲神楽から始まって、石見神楽としてこの近辺で盛んに上演されるようになりました。
これはいわゆる伝統的な神楽です。ただ、安芸高田の神楽が進化したのは戦後なんです。GHQがやって来て、福岡のCCDの検閲で神楽は神道の儀式だからだめと言われて、神楽文化が無くなると思った佐々木順三さんというもともとは学校の先生をやっておられた方が、儀式的な要素を無くして、ミュージカル的でエンタメ性の高い芸術にした、といわれている。それが新舞です。
演目は、いわゆる日本の昔話を土台としていてとても分かりやすくて誰もが楽しめる。広島は敗戦でいろいろなものを失ったわけですが、得たものがあるということが、たくましさで、実に立派だと思いました。しかも、儀式の要素を無くしたことで、新舞はとてもわかりやすくなった。
ちなみに私が大好きな演目は新舞の『山姥』です。北面の武士坂田時行の妻は時行の死後、都を追われ、やむなく山姥となって息子と一緒に悪さをしていた。そして、東国の賊征伐の勅命を受けた源頼光を襲うものの不成功に終わり、成敗されそうになった時に山姥が「息子だけは助けてくれ」と言って、頼光の家来になるのです。
そして、頼光とともに息子が旅立つときに「母上、ありがとうございます」と言うと、もう親子の縁を切った山姥が「あなたがどなたかは存じません」と言って立ち去る。成敗はするけれど誰も傷つかないというのがこの演目を感動的なものにしています」

佐々部神楽団「子持山姥」佐々部神楽団「子持山姥」
佐々部神楽団「子持山姥」入城500年記念あきたかた焼きコンテストにおいてグランプリとなったレシピを基に考案したお好み焼きが「あきたかた焼き」

【インタビューを終えて】
安芸高田市の未来について、非常に熱く、そして長期的に考えておられる姿に感動した。「あきたかた焼き」を新たに発信し、安芸高田神楽を熱愛し、みんなでサンフレッチェを応援する。このような活動を通じて「安芸高田のアイデンティティ」をいつまでも残したいという市長の強い思いが伝わった。
メンタルを強くする方法や、悩まない方法は大変参考になるもので、これからの就職活動に活かしたい。(徳田千瑛)

佐々部神楽団「子持山姥」郡山の本丸付近(撮影 石丸伸二)

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