JR山手線・品川駅と田町駅の間に新設予定の「高輪ゲートウェイ」駅。2020年春の暫定開業に向けて、工事が進行中です。その駅名も話題になっていますが、山手線では約50年ぶりの新駅開業とあって、大きな注目を集めています。

では、約50年前に開業した山手線の駅はどこなのかご存じでしょうか? それが西日暮里駅なのです。

現在の山手線29駅のほとんどが明治、大正時代に開業しているなかで、唯一の昭和時代の開業です。今回はそんな西日暮里駅の開業の歴史と、駅の特色を紹介します。

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西日暮里駅2番ホームに入線する山手線外回り電車

西日暮里駅2番ホームに入線する山手線外回り電車

西日暮里駅は2019年現在、山手線29駅のなかで最も新しい駅であり、1971(昭和46)年の開業です。

 

山手線は、1923(大正12)年の関東大震災で被災し、その2年後、復興にともなう上野~神田間の高架化工事が終了。これにともなって環状運転が開始された1925(大正14)年、一応の完成となりました。

 

なぜ、それから半世紀近くを経て新駅が誕生したのでしょうか。その事情について、探ってみましょう。

 

1950年代半ば~1970年代初頭、日本は高度成長期にありました。東京近郊や郊外に住宅地が開発され、家を構える人が増えていた時代です。そうしたベッドタウンと都心部を結ぶ通勤電車は混雑をきわめ、深刻な問題になっていきました。

 

時代が令和へと変わった今も通勤ラッシュに悩まされている人は多いと思われますが、高度成長期のラッシュ時は壮絶な混雑状況だったといい、乗車率300%を超えることもあったほどです(ちなみに現在の山手線のラッシュ時の乗車率は160%くらい)。

西日暮里駅は地下鉄の開業が先で、山手線は後

 

この当時、営団地下鉄は3路線(銀座線、丸ノ内線、日比谷線)が運行されていましたが、この既存3路線の混雑解消や交通利便性の向上を図る目的で、新線の建設を進めていました。

 

そこで、綾瀬駅(東京都足立区)と代々木上原駅(東京都渋谷区)間を結ぶ21.9kmの千代田線が、新たな路線として建設されたのです。1966(昭和41)年7月に工事に着手し、1969(昭和44)年12月20日、第1期工事区間である北千住~大手町間(9.9km)が開通。このときに開業した千代田線の駅のなかに西日暮里がありました。

 

そして、この地下鉄千代田線の西日暮里駅に接続するための駅として、当時の国鉄(現・JR)が新たに設けた駅、それが山手線の西日暮里駅だったのです。国鉄の駅が先にあって、そこに私鉄線が新設されることは少なくありません。

 

しかし、西日暮里の場合は逆で、営団地下鉄の駅の開業が先にあって、そこに国鉄の駅が接続駅を新設したことになり、全国的にも珍しいケースといえるでしょう。

駅コンコースで非常に目立つ千代田線乗り換え口の4連エスカレーター。駅のメイン施設のような印象

現在のJR西日暮里駅の構造をみても、JRから地下鉄への乗り換え駅としてつくられたことがよくわかります。島式2面4線のホームからコンコースへ下りると、中央に地下へと通じるエスカレーターが4基、階段が2ヶ所。

 

これが千代田線への乗り換え口となるのですが、コンコースではエスカレーターが非常に目立っていて、初めて利用する乗客のなかにはここがJRの西日暮里駅の改札口と勘違いする人もいるそうです。

 

コンコース。上りは山手線・京浜東北線ホームへ、地下へ下りるのは千代田線乗り換え。コンコースの最奥がJR改札口

駅の外に出るための改札口はコンコースの端にあります。地下鉄乗り換え口が目立つ状況とは対照的に、改札口は小ぢんまりとした印象です。

 

ガード下にはJRと東京メトロ両方の表示が

改札口は1ヶ所のみ。改札口からそのまま進んで駅の外へ出ると、道灌山(どうかんやま)通りのガード下に出ます。ここにある駅名表示には、JR東日本と東京メトロの社名が並列して表示されています。

 

メインと思われる出入り口。名称はない

また改札口を出て右の通路を抜けた先の出口には、JR東日本の表示はあるものの東京メトロの表示はありません。またこの出入り口には特に名称はつけられていないようです。

 

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1949(昭和24)年の国土地理院地図。赤い丸が西日暮里駅の位置で、日暮里駅の北方にあたる。西日暮里駅の周辺の地名は「日暮里」「道灌山」など

西日暮里駅の位置は、日暮里駅の西ではなく北側にあります。それなのになぜ、「西」日暮里という駅名になったのかというと、そこにはちょっと特殊な事情がありました。

 

まず、厳密にいえば歴史的地名の「日暮里」に最も近い駅は、現在の「西日暮里駅」であって「日暮里駅」ではありません。1905(明治38)年に日暮里駅が誕生したときには、後に西日暮里駅が新設されることは想定していません。

 

それもあって日暮里の駅名が採用されたのだと思いますが、新駅「西日暮里」の誕生で、歴史的地名と駅名が微妙にずれることになってしまったのです。

 

先述のように、山手線の西日暮里駅は、先行開業した地下鉄の西日暮里駅を国鉄の山手線との接続駅にする、との目的で新設された駅です。となると、地下鉄駅と同じ名前に揃えるほうが乗客の混乱を招くことはなく、日暮里駅の北側だから「北日暮里」などと名づけるには少々無理があるということだったのでしょう。

住居表示も地下鉄開業後に変更

 

現在の西日暮里駅の住所は「荒川区西日暮里5丁目」。しかし、本来の地名は「日暮里」でした。地下鉄「西日暮里駅」が誕生したことが影響したかどうかはわかりませんが、地下鉄開業後に住居表示は「日暮里」から「西日暮里」に変更されているのです。

 

本来の地名、ということであれば現在の西日暮里駅の周辺は「日暮里」または「道灌山(どうかんやま)」、日暮里駅の周辺は「谷中」となります。

 

もし1905年の日暮里駅開業時に、「谷中」の駅名を採用していれば、西日暮里駅は「日暮里」となり、歴史的地名と駅名が微妙にずれることはなかった、ということでしょうか。

日暮里駅方面から西日暮里駅方向を見る。走る外回り電車の最後尾は、まだ西日暮里駅構内だ

こうした背景によって開設された西日暮里駅。千代田線と山手線が交差する場所にピンポイントに建設されたため、山手線で隣接する日暮里駅とは至近距離になってしまいました。

 

ここで「駅間距離」について述べておきます。駅間距離は「営業キロ」ともいい、運賃計算の基準となる数字で、通常は駅舎本屋中心部に距離実測の基準点があります。山手線は一周34.5kmに29駅が存在します。西日暮里駅誕生以前は34.5kmに28駅ということで、駅間距離の平均は約1.2kmとなります。

 

ちなみに「高輪ゲートウェイ」駅の場合は、品川~田町間の駅間距離が山手線内最長の2.2kmと、山手線の平均を大きく上回ることから、もともと中間駅の新設が求められていたのですが、そこに再開発のタイミングが合致したことが新駅誕生の背景の一つに挙げられます。

 

西日暮里の場合は、もともと田端~日暮里の駅間距離が1.3kmしかないところに新駅が開業されました。その結果、田端~西日暮里は駅間距離800m。西日暮里~日暮里間にいたっては、駅間距離はわずか500mと、山手線内最短の駅間距離となったのです。

500mの距離感とは

 

500mというと、徒歩でも7分くらいで移動できる距離で、JRのすべての駅を調べてみてもトップクラスの短距離です。

 

駅間距離は、駅舎本屋から隣接駅の駅舎本屋までの距離なので、ホームの端から隣接駅のホームの端までの場合だと、さらに近くなります。西日暮里駅のホームの端から日暮里駅のホームの端までは、わずか約380mしかありません。

 

都内には乗り換えに時間がかかることで知られる駅がいくつかあります。

 

たとえば、東京駅の京葉線ホームから総武線地下ホームまでは、乗り換えのために移動する距離がおよそ1kmにもなります。同じく京葉線ホームから山手線外回りホームまでは最短ルートで約520m、内回りホームまでは約550m。

 

また、渋谷駅の東急東横線上りホームからJR埼京線ホームまでは約760m。大手町駅の都営三田線ホームから丸ノ内線ホームまでは約500m。

 

西日暮里駅~日暮里駅間の距離500mは、巨大ターミナルと比べると、乗り換えのための移動距離にも満たない長さだということがわかります。

 

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諏訪台から西日暮里駅を見下ろす

西日暮里駅のホームは、通りをまたぐようにして道の真上に設けられており、道路の上を最高部として田端・日暮里の両隣駅に向かってホームの両端が伸びています。

 

ホーム両端部は中央部に比べて標高が低くなっており、よく見ると、この駅のホームは水平ではなく、ゆるやかな太鼓橋のような状態になっているのです。

 

これは、もともとの道灌山通りが、踏切で山手線と交差していたことが大きいと考えられます。これを立体交差化するにあたり、道灌山を切通しに削って道路を低くし、山手線は高架化して高さのピークを道路上にもってきました。

 

その場所に駅のホームが設けられたので、ホームもその勾配にならったものになった、ということです。

 

田端から34パーミルの急勾配を上って西日暮里駅へ。日暮里から29パーミルの勾配を上って西日暮里へ

田端から西日暮里への上り勾配は34パーミル(※)という険しいもので、ホームに立って電車が入線してくる様子を見ると、その勾配には驚かされます。

 

(※)パーミルとは鉄道や道路などの勾配の程度を示す単位に使われる用語。パーセントは百分率(100分の1)ですが、パーミルは千分率(1,000分の1)。1km進むと1m登る勾配が1パーミルとなります。つまり、34パーミルの場合は、1km進むごとに34mの高低差が生じるということです。

 

西日暮里駅のホームから見下ろす道灌山通りと、道の左右に立ち上がる切通しの断崖。いかにも「道路を通すために山を切り拓いた」という印象の地形だ。写真右側の高台が道灌山、左側の高台が諏訪台

ホームに立つと、眼前に広がるのは道灌山通りの切通しの景観がダイナミックに広がります。道路が左右の山を切り拓いて切通しの景観を造り、ホームの真下をくぐり抜けていくのです。

 

切通しの北側の台地が道灌山で、一帯は開成学園の敷地になっています。南側の台地は諏訪台と呼ばれ、諏方神社、浄光寺などが点在しています。

 

切通しは、標高差がもたらす地形の複雑さの象徴であり、地形が演出した景観美といえます。切通しはいわば、西日暮里をシンボライズする景観といっていいでしょう。

 

江戸時代、道灌山の南から東にかけての一帯は風光明媚で眺めもよく、そんな地形のところに、庭園を持つ寺院や名所旧跡、茶店や花街が集まり、日が暮れるまで過ごしていても飽きることがない、ということで「日暮らしの里」と呼ばれていたといいます。

 

次回記事では西日暮里駅から外へ出て、「日暮らしの里」の歴史をひもといてみます。

 

【山手線の魅力を探る・西日暮里駅 2】江戸時代の観光スポット「日暮らしの里」の面影
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更新日: / 公開日:2019.10.09