月島駅の物件を探す街の情報を見る

以前、「なぜこの街を選んだのか?」という、月島・佃住民に対するアンケートを目にしたことがある。
回答として多かったのは「利便性」という答え。それもそのはず。月島駅から銀座一丁目駅までは、東京メトロ有楽町線で2駅3分、歩いても20分くらい。銀座に歩いて買い物に行けるなんて、想像しただけで、なんだかわくわくしてくる。下りは1駅で豊洲。豊洲には、ららぽーとや大型のホームセンターなども充実しているから、家具などの大物を買うのにもとっても便利。銀座のような洗練された街と、郊外に多い大型商業施設、どちらも使いこなせるのは月島・佃の魅力。

 

通勤や通学はどうだろう?朝の通勤タイムに、東京メトロ有楽町線と都営大江戸線で混み具合をチェックしてみた。
有楽町線の上りは、新木場方面から乗ってきた乗客でいっぱいかと思いきや、意外とすいていてびっくり。月島で大江戸線に乗り換える人が降りるため、朝8時30分月島発くらいの上り電車だと、座れることもありそう。逆に下りが混んでいて、これは豊洲に通勤しているサラリーマンのよう。ギュウギュウ詰めではないけれど、残念ながら座ることはできなさそう。

 

都営大江戸線は、六本木まで15分、新宿までも直通24分と、山手線西側エリアへ30分圏内。新宿への通勤だと、新宿から西の街を選びがちだけど、30分圏内なら月島でも問題ないのでは?大江戸線が通ったことで、利便性は格段にアップしている。朝の通勤時間帯、両国・浅草方面はかなりすいていて、ほぼ間違いなく座れる。一方、汐留・六本木方面は、扉いっぱいまで人があふれるくらい満員で、特に都営浅草線に接続している大門あたりまでは、かなり混雑するみたい。

 

ちなみに、月島駅での有楽町線と大江戸線の乗換は比較的スムーズ。大江戸線は新しい路線のため地下深く、ホームまで行くのに時間がかかることが多いけれど、月島駅では改札間の所要時間が2~3分と短く済むので、乗換客にとっても便利な駅といえる。
駅近くのバス停からは、亀戸や東京駅八重洲口、東京ビッグサイト行きのバスも運行している。地下鉄では直接行けないエリアもカバーしているので、目的地によってはバスも利用できる。

 

有楽町線と大江戸線の乗換通路。利便性の良さは折り紙つき

有楽町線と大江戸線の乗換通路。利便性の良さは折り紙つき

月島駅から北へ、リバーシティ21まで足を延ばしてみると、川沿いの遊歩道は爽やかな雰囲気に包まれている。朝の光が水面に輝き、高層マンションの住民らしき人たちが、ペットのお散歩をさせている。朝のジョギングを楽しむ人の姿もちらほら。

 

こういった朝の風景ひとつとってみても、駅前の下町情緒あふれるエリアとリバーシティ21周辺とで、ずいぶん雰囲気が違うのがわかる。ただ、どちらもガヤガヤとした騒がしさはなく、ゆったりと時が流れているのを感じる。

 

清澄通りもとても静か

清澄通りもとても静か

 

ゆるやかな空気が流れる静かな路地裏

ゆるやかな空気が流れる静かな路地裏

 

川沿いには美しく整備された遊歩道が続く。川風を感じながら爽快にジョギングする姿も

川沿いには美しく整備された遊歩道が続く。川風を感じながら爽快にジョギングする姿も

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狭い路地が入り組み、敷地いっぱいに建物が並ぶ「いかにも下町」な街なのに、ひとつ角を曲がれば超高層マンションがそびえる。どんな歴史背景があって、こんな不思議な光景が生まれたのだろう?歴史を紐解いてみよう。

 

ここに人が住み始めたのは江戸時代までさかのぼる。当時は今の月島とは形が全く違っていて、今でいう佃1丁目(老舗の佃煮屋さんや住吉神社があるあたり)の一部に砂州があるだけだったそう。そこに大阪の佃村から漁師たちが移り住んだことが始まりといわれている。当時は180メートル四方の小さな島だったというから驚き。確かに、佃1丁目あたりを歩くと江戸期から続く神社があり、「京橋區」など古い住所表記を発見できるけれど、その大半が江戸期からの埋立地だとはなかなか想像できない。

 

月島は、1892(明治25年)以降に埋め立てられた土地。こちらも下町情緒が残るけれど、江戸期はもちろん海。佃と月島、今はひとつの島だけれど、埋立てた時代が違うというのはおもしろい情報。

 

また、このあたりは坂がないのも特徴的。埋立地だから当たり前といえば当たり前だが、路地を除けば、清澄通りをはじめ幹線道路は幅も広く、見通しがいい。
東京は坂が多いことで有名で、通勤に自転車を使うと意外とキツかったりするけれど、月島・佃は自転車で快適に走れそう。銀座や大手町も近いし、通勤や通学に自転車を使ってみようかな?なんて気になる。

 

佃1丁目では街のいたるところで井戸を見つけることができる

佃1丁目では街のいたるところで井戸を見つけることができる

高層マンションが建つリバーシティ21がある場所は、かつて「石川島」と呼ばれ、幕末に水戸藩が造船所を創設したところ。明治維新後には日本初の民営様式造船所となり、昭和にかけて多くの軍艦がこの地で造られてきたという。佃や月島全体に長屋のような小さな家屋が多いのは、造船所や鉄工関係で働く労働者が数多く住んでいたためといえる。

 

その後、石川島播磨重工の佃工場が閉鎖され、その跡地に超高層マンションが誕生した。建設当時は、ニョキニョキと次々に建設される高層マンションの姿を見ながら、「月島に合わないんじゃないか?」なんて思ったりしたけれど、今ではすっかり月島の象徴として定着した感じがする。街を歩いていても、その独特な雰囲気が月島の特徴を表しているようで、かえって魅力的に思えてくるから不思議。

 

※2011年09月22日の情報です。最新の情報は訪れる前にご確認ください。

 

新旧混ざった不思議な景色が見られる

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更新日: / 公開日:2011.09.22