注目の子育て支援タウン、明石市。その立役者 明石市長・泉房穂氏の二十歳のころとは
明石市は明石城を擁する城下町として、またタコ、鯛に代表される豊富な魚介類が味わえるグルメタウンとして知られる。
戦前は工業都市として繁栄し、戦後は特に通勤至便な住宅都市としても発展してきた。ただし、阪神間へのベッドタウンとして目立つ存在ではなかった。
それがここ数年、子育てに優しいまち、子育て世代に支持されるまちとして俄然注目を集めている。その立役者は間違いなく「こどもを核としたまちづくり」を推進し、自ら旗を振る市長の泉房穂氏であろう。
泉市政の中核といわれる「5つの無料化」とは、「18歳まで所得制限なしで医療費無料」「中学校の給食無償」「第2子以降の保育料完全無料」「公共施設の入場料無料」「0歳児の見守り訪問・おむつ定期便」という明石市独自の全額公費負担による子育て世代への支援策である。人口減に悩む兵庫県において10年連続の人口増を達成し、2022年には人口が30万人を突破し、過去最高を更新した。一方で、この子ども施策に振り切ったようにも見える明石市の政策展開は、超高齢社会を迎えつつある我が国において、そうそうできることではない。
安田女子大学現代ビジネス学部公共経営学科・松本武洋ゼミでは、活況を呈しているという明石の街を実際に歩いて、その空気感を肌で感るとともに、泉氏の「極端」ともいえる政策の背景を、誰もが生き方を模索するいわゆる「青春時代」に焦点を当て探るべく、明石市を訪問することにした。
ゼミ生(3年)の瀬戸明香里、門田佳奈美が泉市長にインタビューを行い、市長の二十歳の頃に遡り「冷たい社会をやさしい社会に変えてみせる」という想いの根源に迫った。
泉房穂氏は、どんな二十歳でしたか-「一言でいうと活動家ですわ」
「子どものころから家が貧乏だったのと弟が障がいを持ってたので、政治家を志していました。
学生時代はいわゆる活動家でした。さまざまな集会を企画したり、学園祭も実行委員会をやったりとあわただしい二十歳のころでした。雑誌の記事も執筆していました」
最も影響を受けた人は-「"子どもの発見"、"直接民主制"……ルソーの思想が政策のベースになっている」
「私は大学時代に教育哲学を勉強していたので、一番影響を受けているのはジャン=ジャック・ルソーです。社会契約論で有名ですが「子ども」という概念を発見したのがルソーです。それまでは子どもという概念はありませんでした。
ルソーの発見まで、今でいう子どもは「小さい人」「未成熟な人」でした。「子ども」ではなく「中途半端な人」だった。子どもという概念を大人とは別のものである、としたのがルソーといわれています。また、先日出版した『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』に書きましたが、社会は私たちがつくっているのだから、私たちが変えていいんだ、と私はいつも言っています。この発想のベースもルソーにあります。
ちなみにルソーとロックは考え方が違っていて、ロックは間接民主主義の人です。今の日本の政治の仕組みはロックの思想がベースになっていて、それが現在、国政で採用されている議院内閣制です。一方のルソーは直接民主主義です。基本的に間接民主制に批判的な考え方です。私はそれに影響を受けている面があります」
二十歳の当時印象に残っている社会の出来事は-「電車に飛び乗って、田中角栄後援会事務所へ。そこで感じた"庶民の本音"」
「1983年、私が20歳のころ、田中角栄元総理にロッキード事件の裁判の有罪判決が出て、12月の選挙で田中派の候補はバタバタと落選したんです。でも当の田中元総理は過去最高の得票数で当選します。
私はびっくりして「東京のマスコミに叩かれまくったのになぜ過去最高得票を取れるのか」と思わず電車に飛び乗って、田中元総理に会うために新潟の事務所に行きました。
あの日の東京は小春日和だったけど新潟は2~3mも雪が積もっていてとても寒かった。後援会事務所に行くともちろん田中元総理とは合えないのだけれど「兄ちゃん東京からよく来たな」と事務所に上げてくれました。そして皆が皆「角栄先生」をほめるんです。「東京のマスコミはみんな角栄先生のことを叩くけど、あの人のお陰で山にトンネルができて、病院に行けるようになった」「昔は子どもが熱を出したら死んでいたけど、あの先生のお陰で子どもが救われた」と。
東京マスコミの建前論とは別の「本音の庶民の気持ち」を感じました。
私も4年前に東京のマスコミに叩かれまくったけれど、七割の得票数で市長選に圧勝したわけです。田中角栄事務所に駆け付けたあの時の出来事は、4年前の自分に結果としてつながっているかな。マスコミのために市長をやっているのではないので、マスコミに叩かれても市民のためにやるというのを徹底しています」
二十歳のころにやっておくべきことは-「知識は邪魔になりません。できるだけ多くの勉強や経験を」
「あれをやっておけばよかった、とかこれをやっておけばよかった、とかは思いません。まあ精一杯やってきたからなぁ。精一杯やってきてこれですって感じでしょうか。もう一回人生やり直したら上手にできるかな、自信ないな。そういう感じでしょうか。
若い人には、初めから自分自身の可能性を狭めずに、その時はあまり興味が無くても好奇心をもってやってみることで道が開けると思います。
私は、大学では最初は経済系で、途中で転部して教育哲学を学んで、大学卒業後はNHKに入り、その後、テレビ朝日にもいました。基本的に子どものころから人助けがしたかったので、ベースはそこです。たとえばNHKに入ったのも障がい者福祉や障がい者の活動をテレビで紹介したかったから。弁護士資格も困っている人を助けたいから取った。困っている人を助けるには法律だけではなくて福祉がいると思って社会福祉士の資格も取りました。人を助けるには近くに寄り添うだけではなくて制度を変えなくてはならないから、政治家として国会議員や市長になった。
自分の中ではその本質は変わっていないです。何か自分にできる人助けがないか、その時々の可能性をそれなりに選んでいるということです。私の場合は非常にラッキーで、経済、教育、法律、福祉とこれまで勉強してきたことがすべて活かせていると思います。
知識は邪魔にならないので、チャレンジできるならできるだけ多くの勉強や経験をした方が良いと思います」
日本の少子化対策について-「親だけでなく、社会全体で応援する、ということがポイント」
「基本的にまず、人は結婚するべき、子どもを産むべきとは思いません。ただ、結婚したい、子どもが欲しいのに、社会的要因で躊躇する社会は政治の責任ですから、選択肢として結婚したければできる、子どもを産みたければ産んだで応援してもらえるという社会が必要で、子どもは親の持ち物、親の責任だけではなくて、社会全体で応援するということがポイントだと思います。
私が国会議員の時、フランスが少子化対策で成果を上げていて、その政策にびっくりしました。女の人は3人子どもを産めば年金が増える、家族が5人になったら施設利用が無料になるなどのインセンティブで、将来に対する安心感を持てる政策だと思いました。
明石市は第二子以降の保育料の無料化で、フランスは第三子から無料ですが日本では第三子では遅いので、第一子を生んで躊躇している人達に、明石だったら二人目を育てようと思ってもらえる政策を実施しました」
明石の魅力は?-「明石の夕焼けは、涙が出るほどきれいな夕焼け」
「明石の魅力といえば、やっぱり夕焼けでしょう。明石の夕焼けは涙が出る夕焼けです。本当に夕焼けのきれいな街です。それから平地が多くて高い山がないから災害が少ないのも魅力です。明石は全国の戻りたいまちランキングで1位です。住めばわかるということでしょうか。
SNSで子育て中のお父さんお母さんが"明石は本当にすごいよ"というリアリティのある声を発信しているのも強みだと思います。行政のポスターでは人は動かないと思っています」
【インタビューを終えて】
実際に大久保の大規模開発でできた新しい街を訪問し、子育て世代の多さに目を見張った。泉市長の子育て支援への熱い想いを聞きながら、共働きで苦労して私を育ててくれた両親に感謝するとともに、今の明石市に住んでいたら両親の負担は少なかっただろう、とあらためて感じた。そして、泉市長のさまざまな経歴のすべてが今の活動に生かされている、というお話が印象的だった。すべての経験が未来に繋がっていると考えて、自身も幅広く挑戦して行きたいと思った(瀬戸明香里)。
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