賃貸マンションの相続税評価が「時価」へ
近年、相続対策の相談現場では「アパートを建てるべきか」という問いが定番であった。現金や預金をそのまま保有するよりも、賃貸用不動産に組み替えることで相続税評価額を圧縮できるという構造は、長年にわたり有効な選択肢として機能してきたからである。金融機関も不動産会社も、相続対策と賃貸経営を結び付けた提案を積極的に行い、土地活用市場は一定の活況を呈してきた。しかし2026年度税制改正大綱により、不動産小口化商品および取得から5年以内に相続した一棟賃貸マンションの評価額が見直され、「時価(通常の取引価額)」で評価されることが決定した。適用は2027年1月1日以降の相続・贈与からである。この改正は、相続対策の構図、そして賃貸市場の需給構造そのものに影響を及ぼす可能性を内包している。
評価圧縮スキームで問題視された「公平性」
まず、改正に至った背景について整理する。従来、貸付用不動産の相続税評価は、土地については貸家建付地評価、建物については固定資産税評価額を基礎とする仕組みが採られてきた。これにより、自用地評価や実勢価格と比べて相続税評価額が低く抑えられるケースが一般的であった。特に都市部の収益物件では、市場価格と相続税評価額との間に大きな乖離が生じることも少なくなかった。その結果、現金を借入れによって不動産に転換し、評価額を圧縮するというスキームが広く活用されてきたのである。
もっとも、この評価差を前提とした節税策は、租税負担の公平性という観点から問題視されてきた。実質的な経済価値が高いにもかかわらず、評価方法の違いによって税負担が大きく軽減される事例が散見されたためである。裁判例においても、形式的に通達評価を適用することが不適当と判断されたケースが現れ、制度の透明性や予測可能性を確保する観点からも、明確なルール整備が求められていた。こうした経緯を踏まえ、一定の類型について評価方法を時価に一本化するという方針が打ち出されたのである。
「節税第一」から「収益性重視」へ。変わる投資判断と供給構造
改正後の評価ルールは極めてシンプルである。不動産小口化商品および取得から5年以内に相続した一棟賃貸マンションについては、通常の取引価額、すなわち第三者間で自由な市場取引が行われた場合に成立すると認められる価格を基準として評価することになる。従来のように固定資産税評価額や貸家建付地評価を機械的に適用するのではなく、実勢価格を反映した評価が求められる。具体的な算定方法については今後の通達整備を待つことになるが、不動産鑑定評価や取引事例比較法など、市場実態に即した評価手法が重視されることは確実である。これにより、従来のような大幅な評価圧縮は困難となる。
では、この改正は賃貸業界および賃貸市場全体にどのような影響をもたらすのか。まず市場構造の観点から見ると、相続税対策を主目的とした新規投資は一定程度減少する可能性が高い。特に高額な金融資産を保有する層にとって、賃貸マンション建設は評価減効果を前提とした戦略的手段であったが、その税務上の優位性が縮小することで、投資判断はより収益性重視へと転換するであろう。その結果、利回りが低い地域や将来的な需要が不透明なエリアでの新規供給は抑制される傾向が強まると考えられる。
賃貸市場の健全化を促す?需給バランスと価格形成にもたらす効果
賃貸市場そのものへの影響も無視できない。これまで節税目的で建設された物件の中には、必ずしも賃貸需要が十分に検証されていないケースも存在した。改正によりそのような建設動機が弱まれば、短期的には新規供給戸数が減少する可能性がある。一方で、人口減少地域や空室率の高いエリアでは、過剰供給の抑制につながるという側面もある。需給バランスが是正されることで、既存物件の稼働率や賃料水準が安定化する可能性も考えられるのである。
さらに、賃貸市場における価格形成にも影響が及ぶことが想定される。これまで相続税評価額の低さが物件取得の後押しとなり、結果として市場価格を下支えしてきた側面があったとすれば、今後は純粋な収益還元価値がより強く意識されることになる。投資家は利回り、将来の賃料上昇余地、修繕費の見通しなどを総合的に勘案し、より合理的な価格水準での取引を志向するようになるであろう。その結果、表面利回りが低いにもかかわらず価格が高止まりしていた一部エリアでは、価格調整圧力が生じる可能性も否定できない。
一方で、優良立地や再開発が進む都市部においては、実需と投資需要が引き続き堅調であることから、価格が大きく崩れるとは考えにくい。むしろ、税務メリットに依存しない投資判断が浸透することで、市場価格の透明性が高まり、長期保有を前提とした安定的なオーナー層が増加する可能性もある。賃貸市場は短期的な節税ニーズに振り回される構造から脱却し、本来の需給と収益性に基づく価格形成へと移行していくと見ることもできる。
オーナーに求められる多面的な資産承継設計
土地活用を提案する不動産会社やハウスメーカーの営業活動においても変化は顕著だろう。従来は「相続税が軽減できる」という説明がアパート建設の大きな動機付けであったが、今後は純粋な事業収支の合理性が中心的な論点となる。土地所有者は長期的なキャッシュフロー、修繕積立、金利変動リスク、将来の売却可能性まで含めて検討する必要がある。特に金利環境が変動局面にある現在、借入依存度の高い投資は慎重な判断が求められる。金融機関もまた、担保評価だけでなく、事業の持続可能性をより厳格に審査する姿勢を強めるであろう。
加えて、既存オーナーへの影響も考慮すべきである。すでに賃貸物件を保有している高齢オーナーにとっては、将来の相続時評価が実勢価格に近づくことで、納税資金対策の重要性が一層高まる。単に物件を保有し続けるだけではなく、売却や組み替え、法人化、保険活用など、多面的な検討が必要となる場面が増えるであろう。相続発生時に慌てることのないよう、早期からの資産承継設計が不可欠である。
不動産小口化商品を扱う事業者にとっても影響は大きい。従来は少額投資と評価圧縮を両立できる点が訴求ポイントであったが、時価評価への一本化により、その差別化要素は弱まる。今後は物件選定の質、運営の透明性、分配の安定性といった本源的価値をどこまで高められるかが競争力を左右することになる。
総合的に見れば、本改正は短期的には賃貸業界に調整圧力をもたらすが、中長期的には市場の健全化につながる可能性を秘めている。税務上の歪みに依存した供給から、実需と収益性に基づく供給へと移行することで、賃貸市場はより持続可能な構造へと再編される契機となり得るのである。相続対策もまた、不動産一辺倒ではなく、保険や信託、生前贈与などを組み合わせた総合的な設計が求められる時代に入ったといえる。
2027年の施行までには一定の猶予があるが、駆け込み的な建設や投資が一時的に増加する可能性も否定できない。その後に反動減が生じることも想定されるため、市場動向の変化を冷静に見極める姿勢が重要である。本改正は評価方法の変更にとどまらず、相続対策と賃貸市場の関係性を再定義する大きな節目である。











