石州瓦の独特な街並みが、往時の繁栄をしのばせる
島根県の石見(いわみ)地方に初めて行った人は、目に入る独特の景色に圧倒されるのではないだろうか。そこかしこに赤い瓦による家並みが続くのだ。正確に言うと赤褐色に近い。日本にこのような場所があったのかと驚かされる。
全国的には瓦屋根のシェアは低下傾向にあり、都市部の住宅では、もはや瓦屋根が珍しく、あったとしてもたいがいグレーの瓦屋根で、多くが古い住宅だ。しかし、今回訪ねた島根県江津市では、新しい家であっても赤い瓦を用いることが多い。だから街並みに統一感があって、美しく感じるのだ。
赤瓦が美しい街の一つ、江津市の波子町(はしちょう)は、古くからの家並みが残り、赤い石州瓦(石見瓦)発祥の地ともいわれている。石州瓦や石見焼の積み出し港として栄えた地域だ。これらを全国に販売した問屋や大仲買人を輩出し、最盛期には波子の仲買人の持ち舟は100隻を超えたといわれる。
さらに、中心市街地の近く、江津本町の町並みも風情がある。江の川の舟運と北前船の寄港地として栄え、歴史的な建築物が赤瓦の家並みとともに多く残る。「天領江津本町甍(いらか)街道」として、地域資源を生かした住民のまちづくり活動が始まっている。
石見焼から石州瓦へ、豊臣秀吉の朝鮮出兵から始まる歴史
島根県では現在も瓦生産が盛んで、愛知県の三州瓦、兵庫県の淡路瓦と並ぶ3大生産地の一つとされる。3大瓦だけで全国の瓦流通量の85%を占め、石州瓦は三州瓦に次ぐ2番目のポジションだ。
石州瓦のルーツは石見焼で、その歴史は豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵にさかのぼる。朝鮮半島から連れ帰った陶工たちが各地で窯を開き、なかでも唐津、高取、萩、薩摩焼が有名だが、石見地方でも現在の吉賀町柿木地区に唐人窯を開いたことが記録に残っている。
石見焼の特徴は大型であること。5斗(約90リットル)入りの甕(かめ)も作られ、地元では「はんど」と呼ばれている。この技術は、江戸時代の中ごろに基盤ができ、江戸時代後半には、職人たちがタイル作りや瓦作りに挑戦していく。瓦に釉薬を施し、そして大型の丸物の焼成に使われていた巨大な登り窯を活用することで、耐寒性の高い丈夫で割れない瓦が誕生した。
大きな水瓶と石州瓦は、江戸時代の後期から明治にかけて、北前船によって日本海沿岸の地方に運ばれていき、北海道の江差でも石州瓦の建物が残っている。
ところで、この地で石見焼や石州瓦が発展したのには、自然環境も影響している。一つは、良質な陶土が採掘されたこと。もう一つは、来待(きまち)という名の釉薬の存在がある。来待釉薬は、島根県の東部、出雲地方で採掘される来待石から取れるもので、耐火度が極めて高い。これが耐火度の高い都野津陶土とマッチすることで、高品質な石州瓦が生まれることになった。
石州瓦の強さの秘密は、高温で焼かれる技術にある
石州瓦はその質の高さから、江戸時代以降、各地で重宝されたようだが、一体、他と何が違うのだろうか。
一般的に、セラミック製品の焼成温度は、例えばレンガで800~900度、素焼き・楽焼きで800~1,100度といわれ、瓦でも例えば一般的なグレーの「いぶし瓦」などは900~1,100度だ。一方、石州瓦は現代でも1,200度以上とより高温で焼かれている。耐火度の高い都野津(つのづ)層の粘土の存在と来待釉薬を原料とするためである。
さらに石見焼の職人たちは、1,300度の高温焼成を可能にするシステムとして「巨大な登り窯」を築いた。現在も石見地方で多く見られる登り窯跡は、房が10~18段もある巨大なもので、1,500度以上の高温も可能だったようだ。
昭和20年代までは、文字どおり手作り、人海戦術によって、日々の天候に左右されながら瓦は作られていた。特に原土の採掘は12月~3月までの寒くて湿気の少ない時季に集中して行い、1年間の原料を確保した。
ちなみに現在の石州瓦は、近代的な工場の中で、ほぼ自動コントロールされた生産プラントによって生産されている。近代的な焼成システム、ジェットキルン(トンネル窯)で1,200度以上の温度で焼成されているが、この温度は日本各地の瓦のなかでは最も高い焼き温度だ。
石州瓦工業組合の佐々木啓隆専務理事によると、生産過程が近代化された弊害として、瓦の赤い色が均一になりすぎて風情に乏しくなったことがあるという。手作りのときには、登り窯での置き場所によって色が微妙に変わり、屋根に配列すると独特な風合いを醸し出していた。そこで最近では、焼き方をあえて変えることで、色合いのバリエーションを増やして、屋根の風合いを演出している。
また瓦の形も、以前は日本家屋に合わせた和瓦がすべてだったが、時代が求める瓦作りをすることで、洋風の新築住宅にもマッチするものなど、バリエーションが豊富になったそうだ。さらには床材、壁材など多彩な製品展開をしているという。
公共施設に多く利用される赤瓦、そこには地場産業の振興という目的が
江津市の中心市街地を歩いていると、新しい公共建築物にも石州瓦が使われているのを見かける。江津駅前では、山陰合同銀行江津支店や隣の市民センターの「パレットごうつ」が赤い石州瓦だ。ほかに江津市役所、済生会江津総合病院、江津警察署、江津中学校に至るまで、鉄筋コンクリート造の大きな建物にも赤い石州瓦が使用されている。
その徹底ぶりによって、街並みに統一感が生まれ、散策するのが楽しくなる。市役所前の広場では、近隣の市から遊びに来たという若い女性たちが楽しそうに過ごしていた。
主にハード面のまちづくりを担当している、江津市の都市計画課 山本雅夫課長に話を伺った。
山本課長によると、石州瓦活用のきっかけは、1983(昭和58)年にさかのぼる。当時の旧建設省が街並みの地域住宅計画の企画募集をした際、モデル地区として選ばれた全国13自治体の一つが江津市だった。もともと地場産業としてあった石州瓦を軸に都市計画を作るというプランだったのだ。
ところが、赤い石州瓦の建物の普及が思ったように進まなかった。当初のプランは規制を軸にしていたことなどから、地域での合意形成が進みにくいなど、いくつかの課題があったからだ。
その後、2003(平成15)年に江津市が桜江町と合併するタイミングに先立ち、改めて住宅マスタープランを作る機会があった。山本課長は旧建設省に提出したプランを参考に、石州瓦に関する具体的な計画を加えた。公共建築物を赤い石州瓦の屋根にするほか、市では翌2004年に「江津市赤瓦利用促進補助制度」を設け、一般住宅についても赤い石州瓦利用促進のため金銭的支援をすることにしたのだ。
赤瓦のまちづくりが加速度的に進むことになった。
赤瓦で市外からも訪ねたくなる地域を目指す
現在の市役所界隈は、もともと工場跡地だったそうだ。再開発によって公共施設が立ち並ぶことになり、老人ホームや病院などが先行して平成の初期にできたものの、当時はピンク色やクリーム色などバラバラな景観になっていったのだ。
そこで江津市は2003年のマスタープランにのっとり、工場跡地を景観計画の重点地区にして、石州赤瓦など決められた色や材料の建物を増やしていった。その結果、市役所界隈の景観は統一感が生まれ、赤瓦のイタリアンレストランなど、市外からも訪れたくなる魅力的な場所に変貌した。
現在、江津市では、赤瓦の景観重点地区、赤瓦推進の協定地区、利用促進地域などエリアを分けてまちづくりを実施している。
江津駅前にある山陰合同銀行江津支店の新しい建物の赤瓦は、新築時に市役所から銀行にお願いして設置してもらったそうだ。利用促進地域であっても強制はできないからだ。快諾を取りつけ、江津駅前は赤瓦の街の玄関口として魅力的な景観になった。
同市商工観光課の森岡和生課長によると、これまで石州瓦は観光で押し出すコンテンツとまでは考えていなかった。しかし、江津を印象づける要素の一つではあるという。江津市は、昨年(2021年)に続いて観光庁の既存観光施設の高付加価値化事業に応募し、今年(2022年)も採用となった。その事業は江津市内にある有福温泉という山の谷間の小さい温泉地の再生だ。今はまちまちな色彩の建物が増えているが、もとは赤瓦の屋根が連なる伝統的な集落だった。今回の再生を機に、赤瓦景観の価値を見直し、調和のとれた町並みの回復を目指すという。
石州瓦の分布は 日本海側に多い。江津市では今後、他の石州瓦のある地域と連携を強化したいと山本課長。市民の意識も変わり、赤い石州瓦を後世に残して伝えていきたいという声が増えてきたそうだ。













