1885年運行開始の“品川線”からは140年 東京の都市開発は山手線とともに進捗
山手線環状運行100周年を記念する“東京感動線 つながる山手線フェス”ウェブサイトには、簡潔かつ明瞭に山手線が環状運行に至るまでの経緯が示されている。
曰く、「山手線の原型は、1885年に開通した品川~赤羽間を結ぶ品川線です。この路線は、西側部分だけで『し』の字を描いており、現在とはほど遠い形でした。1903年に開通した池袋〜田端間を結ぶ豊島線と品川線が1909年に統合され、電化の完了と同時に路線名が『山手線』となりました。1919年、中央本線が新宿から四ツ谷、御茶ノ水を経由して山手線に接続したことで、外回り(時計回り)で上野へ至る『の』の字を描く路線へと変化しました。1925年、上野〜東京間の高架線工事が完了し、ついに山手線は都心部に円を描くように一周する環状路線として完成しました。」とのことだから、環状運行に至る最後の関門は下町の住宅地であった上野~東京間の敷設工事だった。ここには書かれていないが、1923年(大正12年)に発生した関東大震災によって当時上野~新橋間に密集していた木造家屋がほぼ全て焼失したことが、鉄道敷設=環状運行のための用地買収を可能にする契機となったようだ。
また、環状運行以前は上記の通り1919年に中央本線が新宿から東京まで延伸して山手線に接続し、東京から時計回りで再び新宿を経由して上野を終着とする「の」の字(起点が新宿)を描いていたことも興味深い。
当時年々都市化が進む東京にあっては交通・移動の需要が逼迫し、もともとは貨物輸送用の非環状路線として開業した品川線(旧山手線)が沿線での都市開発&住宅開発が進むに連れ、その輸送力を拡充する必要に迫られ、順次路線が延伸されて最終的に環状運転に至った経緯が詳らかにされている。つまり、都市化によって貨物から徐々に旅客輸送にシフトし、環状運行が交通混雑を一定程度解消するための有力な手段とされたことがわかる。
この山手線の環状運行開始と時を前後して、山手線の西側に東急電鉄、小田急電鉄、西武電鉄、京王電鉄などの私鉄が渋谷(大山街道)、新宿(甲州街道)という交通の要衝をそれぞれ起点・終着とする鉄道事業を相次いで開始し、また東側でも京成電鉄や総武線が千葉方面に延伸したことで、東京(もしくは山手線)を中心とする首都圏鉄道網が徐々に出来上がっていった。さらに各私鉄はメインとなる本線から支線を張り巡らせることによって、東京都下、横浜・川崎方面、浦和・大宮方面、そして千葉方面へと鉄道網を順次拡げていったため、エリアごとの特色・個性を生み出しつつ、ベッドタウンも郊外へと広がりを示している。
現在に至る“首都圏”という都市型経済圏が確立したのは、都心周辺を巡る大動脈としての山手線の環状運行が契機となったと言っても過言ではない。また都心=山手線の内側&隣接エリアという心象形成も果たしているため、山手線の存在意義は単なる鉄道路線というだけでなく、都市開発&住宅・宅地開発とも密接に関係している。以下、現在に至る山手線をキーワードとした商業地・住宅地の開発の経緯を確認していくことにする。
山手線各駅には“集客装置”としての商業地開発が進みオフィス、百貨店、映画館などが林立。利用客数50人から日本一となった「新宿」
環状運行開始によって起点・終点の別なく移動の効率が飛躍的に高まり、輸送力の強化も実現した山手線は、各駅に接続する旧国鉄・私鉄の鉄道本数(=送客力)の多寡によっても駅周辺の開発度合いに違いが生まれた。
特に新宿は山手線のほか中央線、総武線が接続し、小田急線、京王線も乗り入れるビッグターミナルとしての地位を早くから確立している。
開業は1885年で、品川線の駅として“東京の街外れ”に開設され、開業当時の利用客数は50人程度だったという(現在は300万人超)。
また4年後の1889年には新宿~立川間に甲武鉄道(JR中央線)が開業。同年には八王子まで延伸し、多摩エリアの主要輸送・交通手段となったが、1923年の関東大震災の発生によって、東京東側の下町エリアの地盤が脆弱であることが明らかとなり、武蔵野台地の東に位置する新宿およびその西側エリアに人口集積地がシフトし、交通の要衝としての機能が認められたことが現在に至る副都心(都庁移転後は新都心)としての新宿のポジションを決定付けたとも言えるだろう。
関東大震災から8年後の1931年には早くも国鉄・私鉄を合わせて利用客数日本一となっている通り、新宿(都心寄りの駅東エリア)は都内でも有数の繁華性の極めて高い商業地に発展しており、それが新宿独自の地域イメージを作り上げている。新宿駅周辺の地価は、2025年の公示地価ベースで1平米あたり約1,413万円と超高額で、前年比でも10.5%上昇。利用価値の極めて高いエリアとなっている。
東急と営団地下鉄が共同で開発を進めた「渋谷」
新宿と並んでビッグターミナルとなった渋谷も1885年に開業している。
1900年代初頭に複線化および玉川電気鉄道(東急玉川線)が開業し、1927年には横浜と結ぶ東京横浜電鉄(東急東横線)が、1933年には帝都電鉄渋谷線(京王井の頭線)がそれぞれ開業して、戦前から交通の要衝として機能し始めている。同年には東横百貨店(東急百貨店東横店東館)の建設が始まり、買物や娯楽といった集客装置が鉄道敷設と並行して進められたことも渋谷の個性を語るうえで重要なポイントとなっている(戦後間もない1951年には空中遊覧のためのケーブルカーが設置されたが百貨店の増改築のため1953年には撤去されている)。
渋谷の沿線開発において特徴的なのは東急と営団地下鉄(東京メトロ)が共同で実施したことだ。1977年に開業した東急新玉川線(東急田園都市線)は多くが営団地下鉄の出資によって建設されており、運行業務は東急が担当していた。渋谷駅周辺の商業地開発は専ら東急電鉄および東急不動産が担っており、渋谷PARCOや東急ハンズ、東急文化村など“若者文化の発信地”としての渋谷のイメージを作り上げるうえで重要な施設が数多く建設・運用されている。
渋谷駅周辺の地価は、2025年の公示地価ベースで1平米あたり約918万円と新宿には及ばないものの高額な水準を維持しており、前年比では+12.9%と新宿の上昇率を上回っている。現在の渋谷駅周辺にはこれまでの商業施設に代わって高機能なオフィスビルが次々に建設され、事業集積地としては西新宿と同程度の昼間人口(360万人超)を獲得するに至っており、また職住近接型のタワーマンションもコンスタントな分譲が継続している。
学生の街から商業地として発展した「池袋」
新宿、渋谷に次いで乗降客数が多い池袋(地名&駅名の由来は西口近くにあった“袋池”)は、少し遅れて1903年に開業(信号場から駅に昇格)。1914年に東上鉄道(東武東上線)、翌1915年に武蔵野鉄道(西武池袋線)が運行を開始したことで、埼玉県方面からの玄関口としての機能を有するようになった。
池袋駅周辺は、当初新たに設置された学校(重要文化財:自由学園明日館)や移転してきた学校(立教大学は1918年に築地から移転し中学・高校を併設)が集積し“学生の街”として発展し始めたが、新宿同様に関東大震災の発生によって、下町エリアからの人口シフトが発生し、駅周辺の宅地化が進んだ。池袋駅の乗降客数が増加するにつれて高度利用=商業地化が進捗し、1978年に竣工・開業したサンシャイン60は現在でもその象徴的な存在となっている。
現在の池袋は山手線を含めてJRが3路線、地下鉄3路線、私鉄2路線が乗り入れていて新宿、渋谷と並ぶ“東京3大副都心”としての機能を有するに至っている。池袋駅周辺の地価は、2025年の公示地価ベースで1平米あたり約457万円と新宿、渋谷とは価格差があるが、前年比では+12.7%の高い上昇率を示しており、繁華性の高い商業地&事業集積地として機能し続けている。
山手線全30駅 駅周辺の公示地価が最も高いのは・・・
山手線環状運行開始100年を沿線開発の経緯と、3大副都心と称される新宿、渋谷、池袋の発展で振り返ってきたが、ここで最も比較しやすい不動産指標としての公示地価を活用して、山手線各駅周辺の2025年の商業地価(住宅地価も含む)の平均値を算出し比較してみよう。
公示地価が最も高いのは東京の1平米あたり約2,318万円、次いで隣駅の有楽町の2,250万円となっており、やはり官公庁や大手企業、商業施設が集中し、日本で最も事業集積性の高い東京~大手町~丸の内~有楽町エリアの地価が極めて高いことが浮き彫りになっている(商業地の最高値は銀座山野楽器本店前の6,050万円/平米)。
また、公示地価が高い=土地の利用価値が高いエリアは、東京から新宿までの山手線南側駅に集中している。東京~新宿間15駅の平均公示地価は1平米あたり約830万円なのに対し、新大久保~神田間15駅の同平均は1平米あたり約234万円と3.5倍もの乖離がある。
この山手線各駅のなかで、今後公示地価が1,000万円を超えることがほぼ確実視されているのが、高輪ゲートウェイと品川の2駅だ。
高輪ゲートウェイは、2020年に開業したばかりの新駅であり、駅の開設と並行して周辺に約13万平米にわたる“高輪ゲートウェイシティ”プロジェクトが進行中だ。国際交流拠点としても、またオフィスと居住エリア=タワーマンションの高度集積地区としても注目されているから、今後も順調に発展・エリア開発が進めば、新宿、渋谷、池袋に続く第4の副都心となる可能性もある。
また隣駅の品川は、山手線以外に京浜東北線、東海道新幹線、京浜急行が乗り入れるターミナル性の高い駅だが、都心方面から地下鉄のダイレクトアクセスがなく(京浜急行が都営地下鉄浅草線との相互乗り入れは実施している)、東京(東海道)の西側の玄関口ではあるものの交通利便性という点ではやや劣後する。ただし、将来性においては、2034年以降リニア中央新幹線の始発駅となることが決定しており、また2030年代半ばには、東京メトロ南北線が白金高輪から分岐して品川まで延伸する計画が進行中であることから、今後10年以内に品川のターミナル性および交通利便性が飛躍的に向上することが期待されている。ターミナル性が高まれば、駅周辺の利用価値もさらに高まることになるから、公示地価も大きく上昇する可能性があるだろう。
今後も山手線が環状運行を継続することによって事業&人口集積も継続する
このように、山手線およびその周辺エリアの開発史を俯瞰すると、大正時代から昭和~平成を経て令和に至るまで東京都心部を環状運行し続け、人流の移動を飛躍的に高めたことによって、その後の企業の集中、商業地の拡大、移動人口の流入、住宅地&マンションの開発など、東京発展の礎となっていたことが明らかになる。
効率的な移動の確保は、金融や情報と並んで都市の経済的な発展の基本であり、そのファンダメンタルズが早くから整えられていたことが、東京の都市としての規模を維持し支え続けていることにもつながっていると言える。また、山手線の環状運行を契機として、その後外側には私鉄各線の交通網が、内側には東京メトロ&都営地下鉄各線の交通網が整備され、東京圏全域にわたって山手線を核とする精緻な移動手段が構築されたことも、東京の経済的発展を押し上げる原動力となったことは疑いの余地がない。
現在、ニューヨーク市には34路線(25系統)の地下鉄網が敷設されており、これが世界一の規模とされている。しかし東京もニューヨークに次ぐ13路線の地下鉄網が整備されていて、山手線ほかのJR各線、私鉄各線を合計すると、東京都に延伸する鉄道・地下鉄などは85~94路線(カウントの仕方で異なる)にも上り、世界有数の鉄道交通網が東京都、そして首都圏全域に整備されていることになる。
今後も東京湾岸エリアへの地下鉄延伸やJR各駅への接続などが計画・構想されているが、環状運行100年の節目を迎え、改めて移動効率の高さにスポットが当てられたJR山手線は、今後も機能性の高さ、および1日平均約100万人とされる輸送力の高さ故に評価され続けることになるだろう。











