政策金利上昇と住宅価格に関する研究の現在地
日本銀行が長期金利の上限を引き上げたことで、住宅市場にどのような影響がもたらされるのか、住宅価格は下落するのではないかといったような議論がなされている。また、金融緩和政策がとられる中で、都心部のマンションを中心として持続的に価格が上昇してきたが、仮に住宅価格が暴落すると、日本経済は不況に陥ってしまうのではないかといったこともささやかれている。
しかし、「金融政策は住宅市場に影響をもたらすのか?」住宅バブル生成と崩壊後に「不況に陥ってしまうのか?」といった問いに対して、従来の研究では十分な回答を出すことができていないのである。マスコミや根拠のないかたちで市況を予測する一部の専門家たちの意見は、実は科学的なものではないと言ってもよい。
このような大きな問いに答えるために、筆者を代表とする研究チームでは、日本学術振興会から科学研究費補助金(基盤研究(A): 20H00082「不動産市場とマクロ経済:大規模ミクロデータを用いた解明」)を得て、2020年から国内外の研究者と共同して、多くの研究プロジェクトを実施してきた。同研究プロジェクトの一部として、元日本銀行副総裁であり東京大学名誉教授の西村清彦氏、元シンガポール国立大学不動産学部長で、現在、ウィスコンシン大学マディソン校教授のYongheng Deng氏、成蹊大学経済学部の井上智夫氏とともに、人口動態に注目し、計量経済学的接近法からこの問題の解明を行った。そして、まだ完全ではないが、ある程度の過去の事実から導かれる科学的な事実が明らかになってきたと言ってもよい。
ここでは、そのエッセンスのみを紹介しよう。
人口動態が金融要因の効果に影響を与える?
金融市場と不動産市場との連関を考えようとしたときには、Kiyotaki 氏とMoore氏の研究(※1)による「クレジット・サイクル」と呼ばれる理論モデルが有力なツールとなる。同研究は、企業や家計の借り入れに注目する。実際の経済を注意深く観察すると、生産性の高い企業ほど信用限度額まで借り入れを行い、残りの投資資金は自己の純資産で賄うことが多い。これは、生産性の高い企業ほど、レバレッジが高いことを意味する。経済全体でレバレッジが高くなると、小さなショックが発生すると、投資量や生産性が変化しやすくなり、その結果として資産価値に影響が出ることになる。具体的には、より生産的な企業ほど固定負債を負っているために、負のショックが少し加わっただけでもレバレッジ効果を通じて、その影響が強く出現してしまう。そうすると、生産性の高い企業の資産需要が低下することで不動産の生産性が低下し、資産価格は下落する。加えて、生産性の高い企業の将来の資産需要、投資比率、経済全体の生産性が低下するために、「将来の期待」が低下することでさらに現在の資産価格を押し下げる効果が生まれる。このような資産価格の押し下げ効果は、固定負債のある生産的な企業のバランスシートを悪化させることで、資産価格の下落と生産性の停滞の増幅を招く。それは結果的に、資産価格の下落が長期化してしまうことになる。このようなメカニズムが、不動産市場の機能不全と不況の長期化の連関を説明する一つの有力な理論となる。
クレジット・サイクルの問題に対して、Nishimura氏とTakáts氏の研究(※2)では、人口動態との関係を追加した。両氏は、金融政策の運営の経験を踏まえて、米国、欧州諸国、および日本の制度と政策、歴史的事実を丹念に分析することで、危機に直面した各国に共通する要素として「人口構成の変化」と「新しい金融技術・手段の普及による信用の急拡大」の2つの存在を指摘し、同時に、不動産価格との関係についても言及した。そして、20世紀の終盤から21世紀初頭にかけて発生した金融危機の原因が、人口構成の劇的な転換、不動産バブル、およびクレジット・サイクル等の複合要因であった可能性を示唆した。
そこに実は大きな影響を与えているのが、人口構成なのである。若年世代が多い国と高齢者が多い国では、金融要因の効果が全く違う形で出てくるのである。
人口構成の違いによる金融政策と住宅価格の関係
筆者らによる17ヶ国45年を超えるパネルデータを用いた研究成果を紹介しよう。そこから理解されたことは、住宅価格の長期的な変動は、以下に示すような住宅価格のファンダメンタルズに人口動態と金融政策の効果を取り入れることで、そのダイナミクスを写像することができる、ということである。
人口動態と不動産市場との連関に着目した代表的な先駆け的な研究として、Mankiw氏とWeil氏の研究(※3)がある。この研究では、「1980年代にベビーブーム世代による住宅需要がピークを迎え、その後2007年までに人口減少により実質住宅価格は20年間で47%下落する」と論じた。いわゆる「アセット・メルトダウン仮説(少子化または高齢化の進展が住宅価格の暴落をもたらすという仮説)」を実証分析から示したのである。
名目住宅価格の長期的変動を最もベーシックな現在価値モデル(PVRモデル)に基づき考えると、住宅の価格は、住宅が生み出す将来にわたる収益の割引現在価値に等しくなると想定される。ここでは住宅価格(P^rppi)、物価指数(P^cpi)、実質家賃(R)、名目金利(i)、名目期待キャピタルゲイン率(g^e)とのあいだに次の長期均衡関係を、次のように仮定することができる。
この式からも理解できるように、日本銀行が、長期金利の上限を引き上げたときに、この名目金利(i)が上昇すると、住宅価格(P^rppi)は下落することになる。このときに重要となるのが、どの程度の金利上昇が、どの程度の住宅価格の下落をもたらすのかということである。
筆者らの研究によると、金利上昇の効果は、その社会の人口構成と密接な関係があることが明らかにされた。具体的には、同じ金利1%の上昇があったとしても、住宅価格に与える影響は大きく変化するのである。それは、政策金利の上昇が米国の住宅価格を押し下げたからと言って、日本でも同じことが起こるとは限らないのである。しばしば実務家が、米国の住宅価格が下がったから日本の住宅価格も下がるといった主張をすることがあるが、そのような主張の背後には何ら科学的な根拠はないのである。
具体的には、若年層の比率が平均で35.7%と際立って高い南アフリカにおいては、1%の利下げが住宅価格を9.76%も押し上げている。同様に若年比率が次に高いアイルランド(25.1%)では7.33%、3番目に高いニュージーランド(23.4%)においても7.21%という具合に、住宅市場への影響は大きいのである。
これと逆の現象が、高齢比率が高い国において発生している。スウェーデンが最高で17.5%、次いでデンマーク(17.1%)、イタリア(17.0%)である。これら諸国では、1%の利下げは住宅価格を4.7%から5.1%程度しか押し上げることができず、南アフリカの半分程度の規模にすぎない。重要なことは、歴史的平均値から乖離は、住宅市場に対する金融政策の影響をさらに拡大する。すなわち、壮年人口の比率が高い人口ボーナスは金利低下(金融拡張)のプラスの効果を大幅に強化するが、逆に壮年人口の比率が低い人口オーナスは金利低下のプラス効果を大幅に減少させるのである。
日本の住宅市場の行方は?
「経済学者は、経済の予測をしてはいけない」というような暗黙の合意がある。しかし、経済学者は、科学的な分析に基づき、シミュレーションをすることはできる。筆者らの計量経済モデルの推計結果から、住宅価格の変動は、長期的には現在価値関係で決定され、加えて人口動態の影響を強く受けることがわかった。そのダイナミクスに注目すれば、人口が増加し、壮年人口の比率が高まる「人口ボーナス期」には住宅需要が増加するなかで、過度な楽観がまん延し、住宅価格が高騰した。加えて、人口動態に関しても楽観的な予測が行われてきたことで、少子化・高齢化の進行に伴う供給調整機能が作用せず、余剰資本の増加をもたらすこととなった。
不動産バブルが崩壊し、空き家の増加や所有者不明土地が発生するような状況にまでに至った時には、すでに「人口オーナス期」の真っただ中にあるため、悲観的な期待がまん延し、長期的な不動産価格の下落と、経済停滞に陥ってしまうこととなった。また、金融政策も、高齢化が進展した段階では、住宅価格に対して緩慢にしか機能しないことも明らかになった。
そうすると、政策金利を急激に上昇させた米国では、住宅価格は下落に転じているという事実がある。それは、米国の高齢化率は低く、若年層が中心の、人口ボーナスの恩恵を受けている市場であるためと見ることができる。一方、日本においては高齢化が世界で最も早く進んでいることもあり、人口オーナス期にある。そのような社会では、金利上昇による住宅価格の下落圧力は、他の国と比較して小さいのである。
金利上昇の影響は、確実に日本の住宅市場の中で出現してくるであろう。しかし、その程度については、慎重に観察していかなければならないと言えよう。
参考文献
※1:Kiyotaki, N and J.Moore (1997). "Credit Cycles". Journal of Political Economy. 105 (2): 211–248.
※2:Nishimura, K. G. and E. Takáts (2012), “Ageing, property prices and money demand,” BIS Working Papers, No 385.
※3:Mankiw, N. G., and D. N. Weil (1989), “The baby boom, the baby bust, and the housing market,” Regional Science and Urban Economics, 19, 235-258.
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