大阪市住吉区、南海高野線の沢ノ町駅から10分ほど歩いた先にある「朝日温泉」。銭湯であり常に楽しいことを考えているお店という認知が正しいかもしれない。お風呂場を全面に生かしたイベントやライブによってはエンタメ要素を含みつつ、街を巻き込んでいるようです。
「朝日温泉」が住吉にやって来るまで
―本日はよろしくお願いします。今回は住吉の街とお店の関わりや取り組みについて詳しくお伺いできたらと思います。まずは創業当時のことを教えてください。
田丸さん:僕が3代目。親父の姉が生きていたら102歳になるんですけど、彼女が生まれた時からやっていたお風呂屋さんは、今の大阪市北区にありました。
―長年住吉にお店があったわけではないんですね。
田丸さん:そうなんです。昔は1ヶ所に定住する形ではなく、空いたお風呂屋さんがあったら移転していくスタイルだったようです。まずは、小さいお風呂屋からはじめて、どんどん規模を大きくしていく、みたいな。今は固定資産税の関係で、1ヶ所に定住するのが当たり前になったんですけど、戦前は地主さんがお風呂を管理していて、店子(たなこ)みたいにお風呂屋をやる人が多かったようです。
朝日温泉の当時の資料は1945(昭和20)年の空襲でほとんど焼けてしまって何も残っていない…。でもたった一枚だけ、店の壁の前で撮った写真が残っています。戦争が終わってお店も焼けてしまったんですが、東成でお風呂屋をやって、最終的にここ住吉に来たのが65年前の話です。
朝日温泉ではどんなお風呂が楽しめる?
―ちなみにこちらの銭湯ではどんなお風呂が楽しめるんでしょう。おすすめはありますか。
田丸さん:うちは薪でお湯を沸かしています。家の解体事業者から不要になった柱を持ってきてもらって、自分たちで切って使って、お湯の温度を調整しています。温冷浴をする人には熱めのお湯と11度の水風呂がおすすめだし、サウナの温度と湿度も高めに設定していておすすめです。それぞれ違う良さがあるけれど、特におすすめの電気風呂は、パルスマッサージ式で、電気で筋肉に刺激を与えてくれてとにかく痛気持ちいい。他にも露天風呂やジェットバスがありますが、お店の清潔感はうちの自慢ですね。
このお店をなくしてはいけないと思っていたから、苦労とは感じなかった
―いろんなお風呂があるんですね。正高さんがお店を継がれたのはいつ頃ですか。
田丸さん:僕が本格的にやり始めたのは2004年。23歳の時です。もともとお風呂屋さんはやったらあかんと両親からは言われていたんです。斜陽産業って言われている中でも先がないからって。家がたくさん建って、お風呂のない家がなくなって、団地にもお風呂がついて。母親の実家もお風呂屋を、親父もお風呂屋をしていて、めちゃくちゃ忙しい時を知っているからこそ、先がわからない仕事に子どもを巻き込むのは…と思っていたんだと思います。
そんな時に母親が亡くなって、まだ若かった親父から僕に「5年契約でお店を手伝ってくれないか」と相談がありました。5年後には廃業するから、と。手伝うことになったけど、2〜3年目くらいには暇でおもしろくなくなって。昔は、近くにお風呂のない団地が何十棟とあってそこから来てくれるお客さんが多かったのですが、街の発展とともに売り上げも激減しました。
5年契約の中で僕なりに色々試してみたけどどれもイマイチで、僕が引き継いだ少し後、2007年に全面改装することにしました。一回見積もりを取ってみると、なんと金額は1億3,000万円…。無理に決まってるやんって親父と喧嘩して揉めて、でも23歳だったので若さゆえの自信があって、親父をなんとか説得してお風呂屋をやらせてもらえることになったんです。
―おもしろくないと感じていたのに、お風呂屋さんをやろうと決心したのにはどんな心境の変化があったんでしょう。
田丸さん:僕は小学校の卒業文集にも「お風呂屋さんになりたい」って書いていたくらいなので、おもしろくないというのとやりたくないというのは少し違うんですね。
大人になって、とあるお寿司屋さんに行くようになったんですけど、そこに同業の方たちが集まっていて、その輪に加わって色んな話をするようになりました。心境の変化にはこれというきっかけはなく、先輩方が説得してくれた、という感じです。その出会いがなかったらどうなっていたんだろう…と思います。
―正高さん自身が抱える責任感もあったんでしょうか。
田丸さん:やらないと、というか、この店をなくしたらあかんって思ったんです。
昔から1階がお店、2階が住居なんですけど、僕が育った環境は、両親のどちらかは番台に、どちらかは2階の自宅で子育てするという分担制でした。週に1回定休日はあったけど、平日の休みなんかはお店があるからどこにも連れていってもらえないし、正直遊んでもらった記憶もない。旅行も行ってないですし。そんな中で遊んでくれたのは、お客さんだったんです。昔話を聞かせてもらったり、戦争の話をしてもらったり、ご飯連れてったるわ〜、みたいにね。今思うと、顔の見えるつながりの中で育てられ、とてもいい環境だったなあと思います。
―お客さんが育ててくれた、みたいな感覚もあるんですね。 そんな幼少期を過ごされて、実際お店を始めてから苦労はありましたか。そこに対してどんな工夫をされているのでしょう。
田丸さん:最初に手伝い始めたのは、記憶がないくらい小さい時です。夜中のお風呂掃除をする時間に親に起こしてもらってお風呂を磨いていました。
高校生になった時に母親ががんで入院して、親父と二人でお店を回すようになって、それが真夏やったんですね。一連の仕事は見ていたので、親父が毎日やってることを僕も同じようにできると思っていたけど、薪を切ったり、お風呂を掃除したり、とにかく真夏の風呂掃除なんてしんどすぎて、ご飯も食べられないくらいでした…。
それでも若さでやれていたんですけど。休みも週一やし、しんどいから今日は休も〜なんてできないし。お店を開けてくれないとお風呂入られへんやんか!ていうお客さんの声もある(笑) 体力的には慣れるまでしんどかったけど、やりたい気持ちが一番強かったから…正直苦労と思ってなかったかもしれない。
コロナウイルスによる街とお店の変化
―なるほど。お店をなくしてはいけない…という気持ちが、しんどさを通り越したのかもしれませんね!さて、少し話を変えて、当時と今では、街の様子も変化していると思うのですが、実際に感じられる変化があれば教えていただきたいです。
田丸さん:そうですね。昔は、お店専用の駐車場もなかったから歩きや自転車で来てくれる人がほとんどでした。僕が生まれる前から来てくれている常連さんもちらほらいたけど、コロナ禍と高齢化に加え、サウナブームで若いお客さんが一気に増加し、朝日温泉を支えてくれていた年配の常連層が離れてしまいました。でもサウナブームがなかったらどうなっていたことか…。若い層が銭湯のサウナに興味を持たなかったら、ただただお客が減っていたと考えるとめっちゃ怖いです。サウナブームが来てくれたおかげでなんとかなっている。
一番良かったのは、2007年に改装した時にSNSで発信できたこと。ここは大通り沿いでもないから看板があっても目立たないし、常に発信し続けるとなるとそれはお金がかかるし、銭湯は折り込みチラシを入れてお客さんを呼び込む商売でもないので、SNSで気軽に情報発信して、集客ができたのは一番大きかったなあ。そこで今までお風呂屋さんに興味がなかった人が「行ってみようかな」とか「そこ好きやわ〜」とかSNS上で盛り上がってくれました。
―SNSを通じて新しいお客さんが来られるようになったんですね。
田丸さん:見えない情報が見えるようになって、住吉に住んでいるけどうちの店を知らない人たちに知ってもらえるきっかけになりました。イベントをやって、盛り上がって、メディアにも取り上げてもらえることでより大きな宣伝につながります。発信力があるところは、うちとしての強みだと思います。そこはどんどん伸ばしていきたい。
発信力と企画力を生かした集客への工夫
―SNSを拝見したんですが、X、Instagram、Tik Tokなどのメディア通じた情報発信、おもしろそうなイベントも活発に行われていますね。
田丸さん:じっとしていられないんですよ(笑) この場所をお風呂に入る以外の楽しみ方ができないか、常に考えています。例えばお風呂場で音楽イベントをやっているのは、昔お店で音楽ライブをするのが流行っていたというのと、うちの親父が音楽をやっているということもあってライブイベントを始めました。音楽は好きな人を限定してしまうので、「オフロンピック」という夢の祭典も始めました。普段お風呂屋さんでやったら絶対怒られることを競技に変えたもので、子どもから大人げない大人までが参加してくれています(笑)
思いつく企画はほぼやったんちゃうかな。風呂場でファイヤーショーをしたり、バーレスク・ガールがお化け屋敷の怪談会で一枚ずつ脱いで行って最終的にお岩さんになるとか…。
―おもしろそう。企画勝ちですね。ライブはお店のどこで行われるんですか。あとゲストのブッキングはどのように? 田丸さん:露天風呂に行く時に上がる段差をステージに見立てています。ブッキングは、音楽祭に参加していいなあと思う人に声をかけたり、最近では向こうから来てくれたりします。コロナ禍前は、2ヶ月に一回くらいやっていました。僕は来てくれているお客さんのためにやっていたけど、既存のお客さんはそんなことを求めてないことに気づいて(笑) それやったらまだうちに来たことがない人に向けて告知をして、イベントを通してお風呂に入ってもらうのがいいんじゃないかなって。朝日温泉に来てほしいっていうより、地元に帰った時にお風呂屋さんに行ってね〜って促すような感じ。お風呂屋さん自体を盛り上げたい。オフロンピックも朝日温泉にとどまらず、熊本や東京のお風呂屋さんまで行って開催しています。
―田丸さんが主催者として出張されているってことですか!?
田丸さん:そうそう!これもコロナ禍までは活発やったんですよ。コロナをきっかけに一緒に運営している人とも疎遠になってしまって。でも僕なりに続けていて、オフロンピックの中から人気競技のオケカーリング大会を、11月26日(いい風呂の日)のド平日の夜に開催したり。ただお風呂屋さんをやっているだけではなく、この場所を生かさないともったいない。使ってもらえたらいいんちゃうかなあと思っています。
―お風呂屋さんじゃないみたい!でもコロナ禍の時のように、すでに来てくれているお客さんではなく、新しいお客さんを呼び込むための催しとなると、常連さんが来なくなるのでは…という心配はないですか? 田丸さん:いや実はイベントもなかなか集まらないんですよ(笑) だから常連さんにはそんなに影響がない。食べ物みたいに絶対必要なものではないから、お風呂に行かない人は行かない。外観だけを撮ってお店には入らない人もよくいますしね。
―そうそう。浴室の壁に手作りの「朝日温泉新聞」がありました。店内を見てもお店独自のメディアやグッズが多いなあと感じます。
田丸さん:あの新聞を発行してから1年が経ちますね。3人目の子どもが生まれた時に、デザインを担当しているスタッフが作ってくれたんです。僕はスタッフを紹介する新聞を作りたいんだけど、やり出したら止められへんから…。あと他店も色んなグッズを出しはじめているし、うちも徐々に増やしていきたいとは思っています。
子ども銭湯を通して福祉活動に貢献したい
―子ども銭湯を始めたきっかけはありますか?
田丸さん:子ども銭湯は、2018年2月から始めて140回目を迎えました。第1・3日曜日の1時間だけ、子どもたちにお風呂を開放しています。コロナ禍の時に1年だけ休んだんですけど、それ以外はずっと休まず続けていて、今までで延べ2,363人の子どもたちが参加してくれた。大人が募金をしてくれて、その協力金でお風呂が無料になって、シャンプーやタオルも使えることを紙芝居で簡単に説明しています。あと第1日曜日だけ、迎えの飲食店の2階を使って食育教室もやっています。お風呂から上がってみんなで作ったものを一緒に食べる。僕は、子ども銭湯を一つの事業と考えていて、福祉とエンタメを大切にしています。楽しむだけじゃなくて社会福祉にも貢献したい。
―地域のコミュニティはどんどん少なくなってきていると感じます。
田丸さん:そうですね。だから人のつながりが大事。違う学校や地域の子どもたちが集まって「俺の小さい時には、こんなお風呂屋さんがあったんだよ!」みたいな話をしてくれたらいいですよね。僕自身は一応「20年計画」を掲げていて、今お客さんとして来ている子どもたちが親になって、その子どもを連れてお風呂屋さんに来てくれたらゴールです。
―では最後にこれから目指すお店の形を教えてください。
田丸さん:オフロンピックは、今年こそは復活させたいと思っています。あとはこれからもお客さんに安心してきてもらえるお店でありたいですよね。うちは年中無休で営業時間も長いから、今は難しくなっているけど、銭湯をお風呂に入る場所としてだけではない活用方法をこれからも考えていきたいです。例えば、アパレルブランドが新商品を売るためのファッションショーとかもできるやろうしね。
―お風呂場でファッションショーですか。ぜひ実現させてほしいです。楽しみにしています。本日はどうもありがとうございました。
◆今回取材した銭湯 「朝日温泉」
住所:大阪府大阪市住吉区南住吉3-11-8
営業時間:月~金・祝 10:00〜24:00
土・日 6:00~24:00
定休日:なし
Instagram:@asahionsen
穏やかな住環境が整う街・南住吉
「朝日温泉」は、南海高野線沢ノ町駅東口を出て徒歩10分ほどのところにあります。沢ノ町駅は、南海線のみが通る駅ですが、同じ沿線上にある三国ヶ丘駅、岸里玉出駅、天下茶屋駅からは、それぞれOsaka Metro堺筋線や南海本線、新今宮駅からはJRに乗り換えることが可能です。街全体の雰囲気は、車通りも多くなく、とても静かなエリアです。大きな商業施設やスーパーは少ないですが、都心から少し離れて静かな環境で暮らしたい方にはおすすめです。
取材・文/葭谷うらら(インセクツ)、撮影/三宅愛子