「平岡珈琲店」は、Osaka Metro御堂筋線/四つ橋線/中央線・本町駅から徒歩3分の立地に構える、大阪最古参の呼び声高い喫茶店です。このエリアには高層ビルが多く立ち並び、3年周期で会社が入れ替わってしまうほどのスピードで時間が流れているといいます。
100年以上の歴史を誇る老舗の三代目店主・小川流水さんの目には、いまの本町エリアはどのように映っているのでしょうか。「変化の歴史こそが伝統」だと語る小川さんに、お店と街の歴史を伺いました。
家業の喫茶店と三代目前史
―おじいさまが創業されて現在小川さんが三代目とのことで、ご家族で代々続けてきたお店だと思いますが、なぜ「小川珈琲店」でなく「平岡珈琲店」なんでしょうか?
小川さん:「平岡は祖母の旧姓です。祖母の実家が尼崎の料理旅館でして、祖父がそこからバックアップを受けて開店させたのが『平岡珈琲店』なんですよ。本来であれば家業である醤油屋を継ぐはずだったのですが、そちらは弟に任せて出てきちゃったんですね(笑)。そんなこともあったので、仕事をするにあたっては小川の姓ではなく、お世話になった平岡を屋号に立てたということです」
―なるほど!創業の経緯はお店のホームページにも書かれていますね。興味深く拝読しました!小川さんは初めからお店を継ぐおつもりだったんですか?
小川さん:「それはなかったですね。やっぱり自営業の大変さを幼い頃から見ていましたから。起きてから寝るまでずっと仕事なのでプライベートな時間なんてないんですよ」
―では継がれる前には何か別のお仕事をされていた?
小川さん:「広告代理店に勤めていました。あるときにやむを得ず辞めることになって、せっかくうちで喫茶店をやっているんだし手伝おうかと入っていったのですが、そこからズルズルと今までやっています(笑)」
―積極的に継がれたわけじゃなかったと(笑)。別の選択肢もあったとも思いますが、あえて継がれたのはどうしてだったんですか?
小川さん:「自営業は嫌だと思っていたんですが、会社勤めはもっとしんどいと実感したんです(笑)。同じく長時間拘束されるなら自営業のほうがマシかと思って。それと、料理が好きだったので自分の代になったらカジュアルなイタリアンのお店にしてしまおうと企てていました(笑)」
―え~!(笑)
小川さん:「結局、父は去年101歳まで生きていました(笑)。こんなに長生きしてくれると思っていなかったので、ある意味では当てが外れちゃったんですね。今さらイタリアンをやるつもりはないので、コーヒーとドーナツでやっていきたいと思っています」
伝統とは、変化の歴史
―ぜひとも喫茶店のまま続いていってほしいです(笑)。創業時からずっとこの立地でやられているんですか?
小川さん:「徒歩圏内で3回移転しています。うち2回は大正の終わりから昭和の初めにかけての、『大大阪』と言われたくらい景気がよくて人口も東京より多かった時代です。御堂筋を拡幅する都市計画があったのですが、昔なので工事にも時間がかかりました。その影響で2回。3回目はビルを建て替えるということで立ち退きを求められました」
―現在の場所に移ってきたのはいつですか?
小川さん:「1981年です。なので40年以上たっていますね。その後主な仕事を任せられて、私の代になったのは2000年くらいからです」
―小川さんの代になってからも20年以上!やっぱりメニューや珈琲のレシピなどは創業当時から変えずに守られているんですか?
小川さん:「いえ、時代の変化に合わせて少しずつ変えています。『ずっと同じことをやっています』というのではやっぱり長く続けることはできないんです。その意味では、変化の歴史こそが伝統だと思っています。歌舞伎が漫画やアニメを取り上げたように、伝統芸能でも同じです。時代の変化を敏感に感じ取って、更新、上書きしていかないと」
―実際に100年以上続けられてきたからこそ、お話に説得力があります。具体的にはこれまでどんな変化をしてきたのでしょうか?
小川さん:「メニューひとつとってもそうですね。創業時はコーヒーとミックスジュースとドーナツでスタートしたのですが、1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博の間くらいにはコーラやトーストもお出ししていました。いまは創業時と同じようなメニューに戻っています」
―けれどもまったく創業時と同じではない?
小川さん:「もちろんそうです。たとえば、現在は『百年珈琲』という名称にした看板のブレンドがあるのですが、創業時とは使用している豆が変わっています。80年近くずっとイエメン産のモカを使っていたのですが、内戦の影響で突然「来月からもう入らないからよろしく」って(笑)。店を休むわけにもいかないので一気に変えなくてはいけませんでした。地政学的なリスクが低く、気候変動の影響をできるだけ受けない。さらにこれまでのブレンドのイメージはしっかり残っていながら、後味はこれまでよりシャープに。そう考えてグアテマラの豆を選びました」
―イメージは変えずに後味の部分をよりすっきりさせたということですか?
小川さん:「そうです。より現代的にということで。昔のコーヒーは煎りが深くて、味が強くて、余韻が長い。なぜかというと、数日に一杯のごちそうだったからです。高級品だったんですね。だから特別なものを飲んだと思わせる味でないといけなかったんですよ」
―たしかに昔ながらの喫茶店のコーヒーって濃いものが多い印象でした!
小川さん:「いまはコンビニでも買えるほどカジュアルな飲み物になって、一日に数杯飲むことも珍しくないですよね。だからこそ飲み終わりにスッと消えるような切れ味が必要だと思いました。豆は変われどイメージは変えないように試行錯誤したので、50年ぶりくらいに来てくださったお客さんが『昔と変わらんね』と言ってくださると嬉しいですね」
―お店に来られるお客さんにも変化はありましたか?
小川さん:「がらりと変わっています。いまは観光のお客さんがとても多く、土日ともなると行列ができてしまうくらいです。逆に常連さんやビジネスマンが少なくなりました。街の様子が変わったからでしょうね」
変わり続ける街で歴史を紡ぐということ
―そこの関係性をぜひ詳しく教えてください!
小川さん:「この本町エリアはインフラが整っている最先端の地域なので、一流の企業が来ます。同時にオフィス代も高額なので常に業種の入れ替わりがあるんです。江戸時代から金融街として栄えていたので、昔は銀行が多く立ち並んでいました。あとは繊維商社も多かったですね。それがいまではホテルと住宅がメインになっています」
―つまり、昔は銀行や繊維商社を中心にしたオフィス街だったのが、いまは住宅街になりつつあるということですか?
小川さん:「そのとおりです。オフィスと住宅・ホテルが半分ずつくらいですかね。当時は応接室や会議室を持たない会社も珍しくなくて、ビジネスマンは喫茶店で商談や会議をしていました。だからこの辺りはオフィスと同じくらい喫茶店も多かったんです。そのほとんどはもうありませんが、うちはまだ観光の方が来てくれているのでやっていけています」
―労働環境や周辺の会社の変化によって、喫茶店という場所の役割も変わってきたということですね。喫茶店がいかに社会と関係していたかがよくわかるお話でした。住宅街としてはどんな性格のある街なのでしょう?
小川さん:「やっぱり比較的お金に余裕のある方が住む街という印象です。タワーマンションに住めるとか。年齢層でいえば、高齢化に伴って郊外から移り住んできた層と、質の高い教育を求める子育て層が混在しています。高級住宅街になりつつあるからこそ、保育園、高級レストラン、高級車のショールームなども合わせて増えてきています」
―歴史ある「平岡珈琲店」さんだからこその興味深いお話をありがとうございました!最後に今後の展望を聞かせてください。
小川さん:「これまでどおりですが、大成功するより続けることに重きをおいて営業していくつもりです。本町はとにかく変わり続けていく街ですので、半歩遅れくらいのペースで時代に合わせてやっていこうと思っています」
◆今回取材したお店
「平岡珈琲店」
住所:大阪府大阪市中央区瓦町3丁目6-11
電話:090-6244-3708
営業時間:10:00~18:00
定休日:月・火
Instagram:@cafe_hiraoka
HP:https://www.cafe-hiraoka.jp/
かつてのオフィス街はこれからの住宅街!?変化しつづける本町エリア
「平岡珈琲店」の最寄り駅は本町駅。Osaka Metro 御堂筋線、四つ橋線、中央線の3つの路線が交差します。大阪随一の繁華街である梅田までわずか5分。もちろん大阪市内のほかの街へのアクセスも充実しています。
本文にもあるように、かつてはオフィス街の性格が強かったものの、近年は住宅街の様相を見せ始め、保育園やホームセンターなど暮らしを支える施設も徐々に増え始めています。
平均家賃は7.57万円。周辺の飲食店などは多少高級志向ではありますが、その分クオリティは折り紙付き。都会的な空気を感じながら大阪を楽しみたい方におすすめです。
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取材・文 石川宝 写真 貞雄大