温泉ライターの高橋一喜です。これまで日本全国津々浦々訪ねてきた3,800超の温泉の中から「近くに住んで通いたい温泉」を紹介しています。第2回は、札幌市に住んでいる筆者が実際に通っている「豊平峡温泉」です。豊平峡温泉は、北海道の札幌市内にあるにもかかわらず、北の大地にふさわしい秘湯感漂う名湯なのです。
湯の花は「いい温泉」の証し
「湯の花」とは
温泉に入ると、湯の中にふわふわと漂っている浮遊物を見かけることがあります。糸状だったり、薄い絹状だったり、細かい粒子状だったり、形状はさまざま。色も白や黒、褐色などいろいろです。
これを一般的に「湯の花(湯の華)」と言います。温泉ファンにとって、湯の花はテンションの上がる存在。なぜなら、本物の温泉である証拠だからです。
「湯の花」は汚い!?
ところが、その色や形状から誤解を受けることもあります。ある温泉の湯船につかっていたときのこと。観光客と思われる中年男性が大きな声をあげました。「うわっ、汚いなあ。アカが浮いているぞ!」。たしかに、湯船の中には赤茶色の浮遊物がたくさん舞っていて、アカに見えなくもありません。
もちろん、この浮遊物の正体は湯の花。筆者が「これはアカではなくて、湯の花というものですよ」と言うと、男性は「なんだ、そうか」と納得してくれました。
冗談みたいな話ですが、実は単なる笑い話ではすまない事態も起きています。入浴客から「湯の花が汚いから、取り除いてくれ」という要望が相次いだある入浴施設では、それまでかけ流しにしていたにもかかわらず、湯の汚れを取り除き、何度も使い回す循環ろ過方式に変更。そのせいで濁り湯だった湯が、無色透明になってしまったとか。これでは、せっかくの温泉の個性が失われてしまい、効能も期待できません。
近年では、あえて湯の花を取り除く温泉施設が増えているので、「無色透明でキレイなのがいい温泉」と思い込んでいる人も少なくありません。先の男性も、近代的な設備の“キレイな温泉”にしか入ったことがなかったのかもしれません。
「湯の花」は酸化によって生まれる
そもそも「湯の花」は、温泉の成分が析出(溶液から固体が分離して出てくること)したものです。といっても、ピンとこないかもしれませんが、湯の花は温泉の中に効能につながる成分が豊富に溶け込んでいる証しといえます。つまり、湯の花が見られる温泉=いい温泉というわけです。
湯の花は、もともと地中深くでは温泉水の中に溶け込んでいます。ところが、地上に湧出して空気との接触で酸化したり、温度や圧力が低下したりすることで、温泉水に溶け込むことができなくなり、温泉成分が目に見える湯の花という形になってあらわれるのです。
湯の中に浮遊しているものだけが湯の花ではありません。浴室の床や湯船の壁面、湯口などに、ゴツゴツとしたかたまりが付着している光景を見たことがある人もいるかもしれませんが、これも湯の花の仕業。析出物が堆積した結果です。
いずれにしても、湯の花が見られる温泉は、温泉成分を豊富に含んでいる証拠。筆者は訪れた温泉施設で湯の花を発見すると、思わず顔がほころんでしまいます。
近くに住んで通いたい温泉(2)北海道「豊平峡温泉」
札幌市民が通う「秘湯」
北海道・札幌市南区にある豊平峡(ほうへいきょう)温泉も、湯の花の存在感が際立つ日帰り温泉施設です。
札幌市は約197万人の人口を擁する北海道一の大都市。札幌駅や大通、すすきのといった中心部には、百貨店や商業施設、地下商店街、飲食店などがひしめき、繁華街を形成していますが、少し郊外へ足を延ばすと、山や海など豊かな自然に恵まれているのが札幌市の魅力といえます。
そんな札幌市の奥座敷として知られるのが定山渓(じょうざんけい)温泉。山あいを縫うように流れる豊平川沿いに二十数軒の宿が立ち並ぶ温泉街は、地元の人だけでなく、日本全国、世界各地からの観光客でにぎわいます。
そんな定山渓温泉から車で3分ほど、少し奥まったロケーションに湯煙をあげているのが豊平峡温泉です。日帰り温泉施設が立つだけで、周囲には他の温泉宿などは見当たりません。まさに「ぽつん」と存在する秘湯的温泉なのです。
札幌の中心街から1時間弱
豊平峡温泉は、札幌市内からアクセスがよいこともあり、観光客だけでなく、地元の常連客も足しげく通っています。もちろん筆者もその一人です。
札幌市の中心街からは車で約50分。当日、思い立って気軽に入りに行ける距離です。実際、筆者も「今日は体がだるいなあ」という日には、急きょ豊平峡温泉へと向かうこともしばしば。
車での移動が難しい人はバスで。札幌駅からは路線バスのほか、「かっぱライナー号」という直行バス(予約制)が定山渓温泉を経由し、豊平峡温泉まで運んでくれます。札幌駅からは約80分。市街地を抜けて、緑深い山々へと分け入っていく――その景色を車窓から眺めていると、地元といえども旅情をかきたてられます。
なお、地下鉄南北線・真駒内駅からは無料送迎バスが出ています(1日1往復)。10時真駒内駅発、15時豊平峡温泉発なので、ゆっくり温泉を堪能することができ、車での移動が難しい人にとってはうれしいサービスです。
月のクレーターのような浴室
豊平峡温泉には2つの浴場があり、男女入替制になっています。ともに内湯と露天風呂があります。
湯治場風で、いい感じに鄙びた内湯に入ると、まず目に飛び込んでくるのが、浴室の床一面を覆っている析出物。波紋のように広がる析出物は、たとえれば、月のクレーター、魚のうろこ、棚田、サンゴ、舞茸……人によって連想するものは異なるかもしれませんが、いずれにしても多くの人が度肝を抜かれる光景です。波打つように床を覆う析出物の上を歩くと、足の裏が痛いほどです。
これは湯船からあふれ出した源泉の成分が堆積した結果ですが、温泉がつくりだしたその造形に美しさを感じるほどです。
湯船に注がれているのは、泉温52°の黄色を帯びた源泉。泉質は、ナトリウム・カルシウム‐炭酸水素塩・塩化物泉。豊平峡温泉の析出物は、源泉に含まれる豊富な炭酸カルシウムや鉄分などが結晶化したものだとされています。ちなみに、湯船の中にも析出物が堆積し、もともとの原形をとどめていません。そんな湯船につかっていると、温泉に抱かれているかのような安心感を覚えます。
その析出物のインパクトとは裏腹に、源泉そのものはやさしい肌触りで、清涼感さえ覚えます。人間と同じで、温泉も見かけによらない、ということでしょうか。
200人が入れる大露天風呂
豊平峡温泉の代名詞といえば、大きな露天風呂です。最大入浴数は200人といわれ、日本全国でも最大級の大きさを誇ります。
「無意根の湯」と名づけられた露天風呂には、大きな岩が配置され、黄色を帯びた湯が満たされています。遠くの山々を見渡せる開放感抜群のロケーションで、裏山の斜面には手入れされた庭園が広がります。夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、季節ごとに趣きが変化するのは自然に囲まれた露天風呂だからこそ。
そして無意根の湯で目を引くのは、大きな水車。単なる飾りではなく、夏場は水車に湯を通して、自然に源泉を冷ます工夫です。泉温が高いからといって、安易に加水をしないという源泉へのこだわりが感じられてうれしくなります。
豊平峡温泉は、どの湯船も100%かけ流しです。地下750mから汲み上げた源泉をそのまま地中のパイプを通して、直接湯船に注いでいます。そのため通常、温泉施設にある貯湯タンクを使用していません。温泉は空気に触れて時間がたつと、酸化して劣化していきますが、この方式だと、生まれたての源泉を堪能することができます。
もうひとつの浴場の露天風呂には「ふくろうの湯」「遊湯の湯」という2つの大きな岩風呂が並びます。木々に囲まれた野趣あふれる湯船では、ゆっくり森林浴を楽しめます。「無意根の湯」よりもキャパシティーが大きいので、少々混雑してもまわりの人が気になりません。
筆者の入浴のルーティンは、最初に内湯につかってから露天風呂に向かう、というもの。内湯のほうが源泉の投入量が多いので少し熱めで、フレッシュさを感じられます。ここで新鮮な源泉を十分に味わうと同時に、体を温めます。
そして、露天風呂に移動。露天は総じて内湯よりもぬるめの泉温なので、ゆっくり1時間近くつかります。何も考えずに、ボーッとする時間は、せわしない現代の生活では貴重です。最後はもう一度、内湯につかって湯のよさを再確認してから上がります。
こうして豊平峡温泉の湯船につかると、日々の生活で疲れていた心身がリフレッシュされ、生き返る気分です。定期的にこのような本格的な湯に入れるのは、札幌に住むメリットのひとつと言っても過言ではありません。
豊平峡温泉のもうひとつの名物
名物の本格派インドカレーに舌鼓。カレーを目的に通う人も
本格派なのは、温泉だけではありません。実はもうひとつ豊平峡温泉には名物があります。それが、施設内の「ONSEN食堂」で提供されているインドカレーです。
施設の建物内に入ると、カレーのスパイスの香りが漂っているので、いつも「温泉に入ったあとはカレーが待っているぞ」と、食欲が刺激されます。
日帰り温泉で本格的なインドカレーというのは珍しい組み合わせですが、もともとは、豊平峡温泉の主人が札幌の中心部で経営していたエスニック料理をたたむときに、はるばる異国から来てくれた料理人に帰ってくれとは言えず、温泉施設でインドカレーを提供することにしたのがきっかけだとか。
数十種類のスパイスとたっぷりのタマネギを使用したインドカレーと、大きくてふわふわのナンは、温泉施設の食堂のクオリティーを超えた本格派で、このカレーだけを食べに訪れる人もいるそうです。
ONSEN食堂では、カレーのほかにも、ジンギスカンや蕎麦などのメニューもあります。なかでも、蕎麦は道内の江丹別産のそば粉を利用した十割そばで、毎朝石臼で挽いています。
十割蕎麦は時間がたつとボロボロと崩れてしまうため、注文を受けてから蕎麦を打つそうです。打ちたての蕎麦は瑞々しく、味や香りも強く感じます。しかも、量が多いのもうれしいポイント。市街地の蕎麦屋だと、量が少なくて物足りないことがありますが、ここの蕎麦は十分お腹が満たされます。
筆者は基本的にインドカレーをいただきますが、ときどきこの十割蕎麦が無性に食べたくなります。
湯上がりにはマッサージや休憩スペースでゆっくりと過ごせる
豊平峡温泉は、ゆっくりと時間を過ごせるのもお気に入りのポイントです。休憩スペースが2ヶ所あり、湯上がりや食後ものんびりできます。中には、横になって昼寝をしている人も。筆者はバスで訪れることが多いので、湯上がりに休憩スペースで飲むビールをいつも楽しみにしています。
また、館内にはマッサージやエステの店舗も併設されています。湯上がりに、体をもみほぐしてもらったら、蓄積された疲れも消えてなくなりそうです。
豊平峡温泉に通うなら札幌市に住むのがおすすめ
豊平峡温泉は札幌市にあるため、市内からも多くの地元客が通っています。まさに札幌市民に愛される温泉です。
札幌は都市と自然のバランスがとれた街
約3年前に東京から札幌に移住してきた筆者が印象的だったのは、札幌市は都市と自然のバランスが絶妙な街だという点です。
札幌駅周辺の繁華街に出れば百貨店や専門店が揃っていますし、JRだけでなく地下鉄や市電(路面電車)も走っているので、中心地へのアクセスも悪くありません。
一方で、少し中心部から離れれば自然や田畑が広がり、子どもが元気いっぱいに遊べる大きな公園もあります。子育てをする家庭にとっても、魅力的な都市といえます。
札幌の生活で無視できないのは、やはり雪です。冬は大人の身長を超えるほどの雪が積もりますし、気温も氷点下が当たり前です。
筆者も移住前は、冬の寒さと雪の多さに懸念を抱いていましたが、実際に住んでみると、想像していたよりも難儀ではありませんでした。というのも、札幌の住宅の多くは二重サッシになっているので、ガスヒーターをつければ室内はポカポカです。また、地下鉄が通っているうえに、街の中心地は地下街が発達しているので、あまり外に出ることなく買い物もできます。
もちろん、雪国ならではの不便はたくさんありますが、「住めば都」とはよく言ったもので、白い雪に覆われた街が美しく見えることもあります。
札幌市の定山渓温泉は人気の観光スポット
札幌市民の特権のひとつは、大自然が魅力の観光地にアクセスしやすいこと。支笏湖や洞爺湖、登別温泉、富良野などは日帰り圏内ですし、市内の定山渓温泉や豊平峡温泉にも気軽に出かけられます。
特に豊平峡温泉の手前にある定山渓は、温泉だけでなく、近年オープンした「山ノ風マチ」というエリアにオシャレな店舗が並び、人気の観光スポットになっています。豊平峡温泉を訪ねたついでに、定山渓温泉に立ち寄れば、一日楽しめます。これからの季節は紅葉も見事です。
なお、札幌駅と豊平峡温泉、定山渓温泉を結ぶバスを運行する「じょうてつバス」では、豊平峡温泉をはじめとした温泉施設1カ所の温泉入浴券とバス1日乗車券のセットを2,200円で販売しています。豊平峡温泉の入浴料金が1,000円なので、お得なパック券といえます。雪の日の運転が苦手な人は、こうしたバスを利用すれば安心です。
生活圏に「秘湯」がある暮らし
現在は、大都市でも街中に温泉施設があります。地中深くまで掘削する技術が確立された恩恵といえますが、その湧出量にはどうしても限界があります。
さらに、都市部の温泉施設には多くの人が訪れるので、どうしても混雑して、ゆっくり温泉でくつろぐという気分になりにくいのが玉にきずです。
その点、札幌市に湧く豊平峡温泉は、都市の生活圏に湧いているにもかかわらず、「秘湯」ともいえる自然豊かな環境で、本格的な源泉を堪能することができます。
日々の生活に疲れを感じたら、気軽に温泉で心身をリフレッシュできる。それが可能な札幌での生活を筆者も気に入っています。