独自の美意識で周囲の事物を面白がり、言わずと知れたわび茶の大成者となった千利休は大阪・堺で生涯の大半を過ごしたといいます。
そして現在、同地では、利休よろしく“変わり者”の系譜に属し、歴史ある紡績工場の跡地から町を動かすクリエイター・小野晃蔵さんが活動されていることをご存じでしょうか。「この人となら!」周囲にそう思わせる行動力と、常に面白いことを探す姿勢、ポジティブな生きざま。フォトグラファーとして長年のキャリアを持ちながら写真だけに拘泥せず、積極的に地域に働きかけ、いまや堺に欠かすことのできない存在です。
そんな小野さんに、堺で過ごした10年と、これからのことを語っていただきました。
「自分だけのものにしてはいけない」建物との出合い
—あまりに印象的な建物ですが、いつからここ「SPinniNG MiLL」を拠点として活動されているんですか?
小野さん:「2013年からなので今年(取材は2023年11月)で10年経ちました」
—フォトグラファーとしても27年のキャリアがありますね。いまここでやられていることも含めたとき、なんと紹介させてもらったらよさそうでしょう。
小野さん:「いまもフォトグラファーではもちろんあるんだけど、『コトグラファー』っていうのはどうですか?(笑)『事を興す人』ってことで」
—いいですね!では本日はその「コトグラファー」としてのご活動、なかでも町とどのように関わってきたかについてお話を聞かせてください。まず2013年に「SPinniNG MiLL」を始めるまで、堺とはどんな接点があったのでしょうか?
小野さん:「何もなかったです(笑)」
—え!?どんなきっかけがあって堺に来られたのですか?
小野さん:「きっかけは事務所の場所を移したいと思ったことです。ここに来る前は大阪・港区に拠点がありました。室内で写真のことをやっている分には全然よかったのですが、本当の下町だったので一歩外に出ると現実!というね……(笑)。いわゆるクリエイティブな空気とは無縁の地域でした。それと友人が有名なレトロビルに写真事務所を持っていたのが羨ましくて、同じようなテイストの場所があればいいなと思っていたんです」
—こんな素敵な場所がよく見つかりましたね!
小野さん:「夜な夜なネットサーフィンをする日々でした(笑)。ある日、とあるブログに『この建物も潰されちゃうのかな』って寂し気に書かれていたのを見つけました。ダメ元で不動産のサイトを探したら、なんと、売りに出ていたんです。すぐに知り合いの不動産会社に連絡してオーナーさんとつないでもらって、家族総出で見に行く約束を取り付けました。人生で何回か本気を出さないといけないときってありますよね。実際に見たとき、ここを手に入れるのは、間違いなくその1回やと思ったんです。と同時に、僕だけのものにしてはいけないとも。絶対に残して、みんなから愛されるような場所にしなきゃいけないなって」
—そう思われたのはなぜでしょう?
小野さん:「こいつの面構えからの直感です。実際、ここを手に入れてから挨拶に行ったとき、向かいの包丁屋さんが『残してくれてありがとう』って言ってくれました」
—地元の方も気にかけていた建物だったんですね。
小野さん:「明治後期に立てられた紡績工場ということで、歴史もありますからね」
紡績工場の跡地で地域の糸を紡ぐ
—ご自身のスタジオでもあり、レンタルスペースでもあり、ご家族とのお住まいでもあるんですよね?
小野さん:「はい、職住一致です。普段は、1階部分をちょっとしたスタジオとして使っていて、2階にはメインスタジオとレンタルスペースを兼ねた大きなホール、家族の生活空間、ゲストの控室、倉庫、僕の事務所があります」
—古いよりクラシックという形容の方がふさわしい素晴らしい空間ですね。でも写真スタジオらしくはない気もします。
小野さん:「一般的なスタジオは白い箱が多いですからね。でも僕がやるんだったら、ちょっとちゃうよねってところがよかったんです。ふつう大っ嫌いやから(笑)。結婚する前に2年間くらいロンドンにいたのですが、古い建物の窓からストロボの光が見えたことをよく覚えています。すごくかっこよくて、いつか自分もそんなスタジオを日本で持ちたいと思っていました。とはいえ、やっぱりレンタルスタジオとしては扱いづらいのか、ここで撮影したのは10年間やっていて20組いないくらいかな」
—被写体より場の力が勝ってしまうということもあり得そうです。一方で小野さんが仕掛けるイベントの会場にもなっていますね。これまでどんなイベントを企画してきたんですか?
小野さん:「最初はマーケットイベントから始まりました。フォトグラファーという仕事柄、スタイリストの知り合いが多いので、彼らに不要なものを出品してもらうフリーマーケットのような形でした。でも週末の2日間の開催でお客さんは30人だけ。出店者もお客さんより僕と話す時間のほうが長かった(笑)。だから『いまは知られていないけど絶対続けていくから、次また出てな』って」
—最初から集客がうまく行っていたわけではないと。
小野さん:「そうやね。やっぱり大事なのは続けていくことです。絶対諦めへんぞって気持ちで。SNSだけじゃなくて、チラシを作って自分で撒きに行くなど、発信の部分も工夫しましたが、何が何でも続けたことがその後の集客につながったと思います。集客の部分だけでなく、色んな人が知り合いを紹介してくれて、僕自身が周りのことをどんどん知っていくこともできました。そうやって認知度が上がるにつれて企画の持ち込みも出てきたので、写真のレンタルスタジオと用途を限定しなくても、より広くレンタルスペースとして使ってもらえばいいんじゃないかと思いました。レンタルスペースにしてから反応してくれたのはミュージシャンですね」
—ライブ会場としても使われ始めたんですね。
小野さん:「しかもほとんど海外からです。知人の知人くらいの関係だったんだけれども、ベルリンで活動しているミュージシャンが来たときにYouTubeにその様子をアップしてくれたのをきっかけにして、それを見た外国人が日本ツアーで使いたいとメールをくれるようになりました。僕は誰かわからんかったけど『ええよ』って言って(笑)。コロナ禍以前はほぼ毎月、外国のミュージシャンがライブしに来てくれていました」
—梅田や難波に行かなくても海外のミュージシャンを見られるってとてもよい環境ですね。地域のお客さんが聴きに来たのですか?
小野さん:「いや、前衛的な音楽をやらはるから、なんぼ宣伝してもお客さんを呼ぶのは難しかったです。でもそれは寂しいやん。だから小学生は無料にして僕の子どもに友だちを連れてきてもらったり、ご近所に直接声をかけたり。だって誰の琴線に触れるかもわからないじゃないですか。だから『僕も彼らがやっている音楽はよくわからないけど、よくわからない音楽が世の中にはあるってことを知ってください。それを外国からわざわざ来てくれて演奏してくれている。もしわからなくても、それを見て、聴いて、知るだけで十分です』と。こういう音楽イベントの展開はコロナ禍で止まってしまったので、改めてまたこれから再スタートですね。イベントで言えば、ほかは展覧会、展示会、アーティストの個展を企画したり、使ってもらったりしています」
ポジティブに、オモロイほうへ!小野晃蔵さんの生きざま
—「SPinniNG MiLL」でのマーケットイベントが町内のイベントと連動するという動きもありました。
小野さん:「僕は町会の役員でもあります。堺の外から来たよそ者なのに進んでそうなったのは、正直、自分の子どものためっていうところが大きいです。彼らが大きくなったとき『小野さんちの子ね!』って周りの大人がポジティブな反応をしてくれるような環境を残したくて。役員なので集会に参加するんですけど、ある日、町会費を値上げするという議題があがりました。もともと住まわれていた地域の人が亡くなっていくのと同時に、新しく町に来た人が町会に入らないのが理由で、町会費が集まらなくなったんです。だから値上げもしょうがないなと思う反面、それだったらマーケットイベントでも企画した方が面白いんじゃないか。そう思って提案しました」
—どのように話が進んでいったのでしょう?
小野さん:「当然、町会としてマーケットイベントを打つなんて初めてなので、みんな戸惑うわけですよ。だからもう全部僕がやりますと。前々から気になっていた七道西町公園を会場に、『SPinniNG MArkET』と同日にぶつける。出店者は『SPinniNG MArkET』で募るときに公園側も案内して割りふる。当日のごみ箱設置などの細かい業務は町会の皆さんに協力してもらいました。そしたら出店者さんも集まるわ、天気はいいわ、お客さんも来るわで大成功やったんです(笑)。町会のほうにもいくらかお金が入りました。普通は催し物をやると町会がお金を出すんですけど、今回は逆に入ってきた。だから次の役員会のときはみんな『次はいつやるん?』って前のめりやねん(笑)。それで先日二回目を開催したんですけど、『SPinniNG MArkET』と切り離したにもかかわらず、ちゃんと出店者もお客さんも集まって大成功でした」
—イベントに及び腰だった町内会の空気も変えてしまったと(笑)。地域で動いた企画はほかにもあるんですか?
小野さん:「これからって感じかな。いまは色んなことを整えている段階です。『ファーマーズマーケット』も実現させたいし、あとは『紀州街道マーケット』やな。うちの向かいを通っている紀州街道は北浜から和歌山県までずっと続いているんですけど、端から端までガレージセールみたいにしたいなって。いつもそんなことを考えてワクワクしています」
—常に面白いことを探してらっしゃるんですね。
小野さん:「堺に来たばかりのとき、知人と『千利休ってどんな人だったんやろうな』って話をしたことがあります。絶対変わり者やろと。だってそこらへんに落ちている竹を拾って、ええなって言ってるんですよ(笑)。だったら僕は現代の千利休になろうと思いました。お茶はしないですけど、みんなが想像もできないくらいの変わり者でいたいですね」
—堺と接点を持って行くなかで、町に対してどんな印象をお持ちですか?
小野さん:「周囲と線を引きたがる人が多くて、なんか面倒くさい町やと思います(笑)。昔は南蛮貿易があって特区、自治区だったでしょ。『ものの始まり何でも堺』って言葉もあるくらい、堺が最初に始めたものは本当に多いんです。その誇りを受け継いでいる子孫がいるわけやないですか。でもそれは昔のことであって、いまのあなたたちではないやろと(笑)。僕はよそ者なのであえて空気を読まずに色んなことを言っています。みんなが忖度して言えないようなことでも、よそ者だからこそ言えるんです」
—話す内容には立場の違いが表れているのかもしれないですが、きっと皆さんの前でも小野さんはとても楽しそうに話されるのだろうと想像します。だからこそ話を聞きたくなるし、相談もしたくなるのではないでしょうか。
小野さん:「僕は相談されるとノーって言えないんです。自分ができることを探すし、紹介できる人がいればする。基本的に何かをやりたいって人がいたら絶対に背中を押します」
—こうしてお話ししているだけでポジティブな気持ちになります。
小野さん:「ポジティブに生きるのがどんなに大事か、かっこいい生きざまではないかもしれないけど、僕の周りにいるみんなには見てほしいと思っています」
—小野さんがいてくれることが、町にとってすごくありがたいことのように思いました。
小野さん:「もし皆がそう思ってくれていたら僕もありがたい。頼ってくれてありがとうって、いつも思っています」
◆今回取材したお店
「SPinniNG MiLL」
住所:大阪府堺市堺区並松町45
電話:072-370-4545
営業時間:イベント情報等はSNSで確認
Instagram:@spinning_mill
先人たちだけじゃない!大阪・堺は進行形で面白い!
小野さんが運営する「SPinniNG MiLL」は南海本線・七道駅が最寄り駅。歴史的には鉄砲鍛冶が多く住んでおり、現在も近くに「堺鉄砲館」のある同地域らしさのあるエリアです。「SPinniNG MiLL」のすぐ周辺は工業地帯の趣がありますが、閑静な住宅街もすぐそば。大型のショッピングモールもあるので生活に不便はないでしょう。
小野さんを中心に、堺には腕利きのクリエイターが多く住んでおり、地域を盛り上げようという機運が感じられます。もちろんクリエイターだけでなく、小野さんが役員を務めるような各町会の動きにも注目です。
平均家賃は5.58万円。古き街並みを近くに感じるだけでなく、地域民とともに町の未来を考える前向きな生活ができそうです。
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◆本記事の担当者
取材・文:石川宝 写真:三宅愛子