子どものころ、100円玉を握りしめて向かったまちの駄菓子屋。そこは私にとってキラキラした宝物がいっぱいつまった宝箱のような場所でした。限られた予算の中で1円も余すまいと何度も計算して、どれを買うか真剣に悩んだり、アタリくじ付きの駄菓子をドキドキしながら買ったりした記憶は今でも鮮明に残っています。
今回は、名古屋市西区・明道町(めいどうちょう)にあるお菓子問屋街をピックアップ。駄菓子の世界に迫ってみようと思います。たまには童心に帰って、昔懐かしい駄菓子とともにおうち時間を楽しんでみるというのはいかがでしょうか。
お菓子問屋がひしめく名古屋市西区・明道町
おばちゃんやおばあちゃんが切り盛りする、駄菓子屋の景色。懐かしいですね。今では少子化の影響もあってその数は激減。もはや風前の灯か? と思われていましたが、昨今のレトロブームもあり再び活気が戻ってきている兆しもあります。
今はコンビニやスーパーでも駄菓子が買える時代。それでも、お菓子がい~っぱい並んでいるあの雰囲気を味わいたい!という人にぜひ訪れてもらいたいのが、名古屋市西区にある通称・明道町(現在は新道・幅下)エリア。かつて日本最大規模を誇っていたお菓子問屋街です。
名古屋市西区の賃貸物件を探す
名古屋城築城をきっかけに誕生した菓子問屋街
駄菓子屋さんの黄金時代は昭和30年代~40年代。名古屋市西区では先駆けて昭和23(1948)年には中京菓子玩具卸市場、昭和26(1951年)には中央菓子卸市場がつくられ、多くのお菓子問屋が軒を連ねていました。
地域の有志「那古野一丁目まちづくり研究会」が建てた解説看板によると、この場所に菓子問屋が並ぶようになったのは、名古屋城築城がきかっけだとか。築城のために集まってきた労働者たちにお菓子を作って販売したことがはじまりといいます。その後、大正12(1923)年に関東大震災がおきます。甚大な被害を受けた首都圏の子どもたちへのお菓子の供給を担ったことが、全国的なお菓子問屋に発展していった理由のようです。
名古屋市西区発!メイド・イン・ナゴヤの駄菓子
駄菓子の前身は一文菓子。明治時代に一文で買えたことからそう呼ばれるようになったといいます。その後、時代の流れによって一厘、五厘、昭和に入ってからは一銭菓子と称されるようになりました。当時高価だった上白糖を使用したものが上菓子。それに対して、安価な黒砂糖などを使ったもののことを一文菓子や駄菓子と呼んでいたそうです。オマケ付き、アタリ付きなど、お菓子メーカーのアイデアと工夫で、今日まで駄菓子はどんどん進化してきました。
名古屋市西区周辺には、こうしたお菓子メーカーもたくさん拠点を構えています。その中から、私が独断でピックアップした駄菓子を紹介してみたいと思います。
マーブルガム:丸川製菓株式会社
定番中の定番、マルカワの「マーブルガム」。くじ付きでアタリが出るともう1個もらえるとあって、ハズレを引くと悔しくてもう1個、もう1個と買ってしまった子ども時代を思い出します。
製造しているのは丸川製菓さん。明治21(1888)年の創業当初は、落花生菓子を販売していたそうです。戦後になってからガムの生産をスタートし、マーブルガムは昭和34(1959)年に発売開始。今では箱入りだけではなく、袋入やボトル入などさまざまな商品が販売されています。
クッピーラムネ:カクダイ製菓株式会社
昭和25(1950)年からラムネ菓子を作っているカクダイ製菓さんの、超ロングセラー商品。ウサギとリスのパッケージでおなじみですね。パッケージにデザインされているウサギとリス。名前は決まっていないそうですが、カクダイ製菓さんが出している絵本「たのしい森のピクニック」にはクッピーとラムという名前で登場します。ラムネのパッケージにも通ずるお話になっているので興味のある方はぜひチェックしてみてください。
実は私が一番思い入れのある駄菓子が、このクッピーラムネ。小さいころ電車の中などでぐずると母から「ハイ」と手渡されていました。音やにおいがしないということから、お出かけのときにはいつも母が常備していたようです。
セブンネオン:丸義製菓株式会社
カラフルな「セブンネオン」も懐かしの駄菓子のひとつ。歯でガシガシしたり口の中でむにょむにょして中身を柔らかくして食べたり。いろいろな食べ方をしている子がいた気がします。
中に詰められているものはラムネに似ていますが、正確にいうと“マンボ”と呼ばれるもの。液状のコーンスターチをポリエチレンのチューブに詰めたお菓子を総称して“マンボ菓子”といいます。パッケージにウサギが描かれた「うさぎマンボ」もよく見かけると思いますが、こちらも丸義製菓さんで製造されている商品。スプーンがついた「さじ付きマンボ」や、カットして残った端っこを集めた「切り落としマンボ」も販売されています。
実は、チューブにラムネを入れる機械は丸義製菓さんにあと1台残っているだけなのだそう。この機械が壊れたら、セブンネオンも消えてしまうのでしょうか―。
名古屋市西区発の駄菓子はほかにもたくさんあります。
「花串カステラ」(鈴木製菓)、「トンガリ」(井桁屋製菓)、「きなこちゃん」「ジャンボネオンゼリー」(ヤマヨ製菓株式会社)などなど。やはり名古屋市西区エリアは駄菓子の聖地といってもよさそうです。
番外編:これも名古屋メシ? 名古屋が誇る駄菓子メシ
駄菓子好きな私としては、どうしてもこちらも外せない! というわけで番外編。
昔は駄菓子屋の店先に鉄板があって、おばちゃんが「たません」を焼いてくれたという記憶をお持ちの方もいらっしゃるのでは? 番外編では、この鉄板を使って作る駄菓子のアレンジメニューをご紹介しようと思います。
訪れた場所は名古屋市北区上飯田。国道19号沿いにある「お好み焼き・やきそば つねかわ」さんです。
引き戸を開けると、そこには懐かしい駄菓子屋さんの風景が。
自宅の入り口を改装して作られた空間。小さいけど夢がいっぱい詰まっていそうなこの感じは「ザ・駄菓子屋」。こちらは今も近所のお子さんがお小遣いを握りしめてやってくるそうで、10円~70円という子どもにも買える価格の駄菓子をラインナップしているとのことです。
駄菓子のアレンジメニュー
駄菓子を使ったメニューのなかで一番人気があるのは「スナックロール」とのこと。「うまい棒、好きな味を選んできて」と言われ、めんたい味をチョイス。お母さんは、その間に手際よく溶き卵を鉄板に流し入れています。ほどよく卵に火が通ったところでうまい棒をのせ、くるくるっと巻いてソースと青のりをかけたら完成!
ほかにも駄菓子を使ったアレンジメニューがたくさん。「子どもたちが喜んでくれるでしょう。そうするとやめられないわねぇ」とにこやかに話してくれたお母さん。つい世間話なんかもしてしまって、なんだかホッとする時間でした。
おうち時間に駄菓子パーティはいかが
子どもも大人もワクワクする駄菓子。お菓子にまつわる思い出話はだれでも1つは持っているもの。大人も盛り上がりますよ。つねかわさんのメニューをまねて、親子で駄菓子をアレンジしてみるもよし、新たなメニューを開発してみるのも楽しそうですよね。
アタリが出たらもう1個!子ども心をくすぐるアタリ付きの駄菓子もおすすめです。「子ども会のイベントや、おうちでのパーティなどに購入する人も多い」(お菓子問屋・桜井商店さん)とのこと。みんなで挑戦したら盛り上がりそう。
名古屋市西区の魅力
紹介した名古屋市西区のお菓子問屋街は、名古屋駅から徒歩20分ほど。地下鉄鶴舞線「浅間町」駅からだと徒歩6分ほどとアクセス良好。市バスも走っていて、名古屋高速道路「明道町」出入口がある便利な場所です。
名古屋市西区の賃貸物件を探す
隣接する「円頓寺商店街」も魅力的
お菓子問屋街のすぐそばには、名古屋で最も古いとされる円頓寺商店街があります。商店街には名古屋市の街並み保存地区に指定されている「四間道(しけみち)」と呼ばれるエリアも。江戸時代からの蔵や町家が残っていて、散策にもってこいの場所です。有志による街並み保存プロジェクトが功を奏し、今では新旧のお店が並ぶ活気あふれる町となっています。
駄菓子問屋がある街 名古屋
100円でどれだけ買えるか、足し算引き算を覚えたのも駄菓子がきっかけでした。どうやったらあの子のおまけと交換してもらえるかという交渉術、ひもアメのアタリを当てるときのおばちゃんとの駆け引きとか、お菓子を分けあっこする思いやりとか…。今思うと、駄菓子屋さんは子どもの社交場だったんだなぁと感じます。
だれもが一度は体験したことがある駄菓子屋さんのワクワク。思い出をたぐりよせながら、懐かしのお菓子を食べてみてください。きっと幸せな気分になれると思いますよ!
取材協力:丸川製菓株式会社、カクダイ製菓株式会社、丸義製菓株式会社、桜井商店、菓子問屋たつや、お好み焼き・やきそばつねかわ
参考文献:「駄菓子大全」(とんぼの本)、「駄菓子大百科」(カタログハウス)、「ニッポン駄菓子工場」(雷鳥社)