皆さんは、「禅」や「禅語」にどのようなイメージがあるでしょうか。
もしかしたら難しいもの、ハードルが高いもの、と思っている方も多いかもしれません。
禅とは、仏教の一つの宗派である禅宗の教えや思想のこと。そして、禅宗の僧侶が語ったとされる言葉が禅語と呼ばれています。
禅語には、日々の生活の中で心がけたいことや、心を整え、悩みを解消するヒントになるような言葉がたくさんあるのです。
禅は、世界的な大企業の著名人が生活に取り入れていたこともあり、注目されるようになりました。また、最近は「マインドフルネス」という、瞑想による心の落ち着かせ方を推進する企業などもあるようです。
実はとても身近な禅の世界。私もまだまだ勉強中ですが、日常に取り入れやすく、わかりやすい禅語をご紹介します。
禅語とは
禅や、禅語と聞くと少し難しいイメージを持つ方も多いでしょう。私が学んだ内容を含め、まずは禅語そのものについてお伝えしたいと思います。
禅とは
禅とは、禅宗の略称。中国から日本に伝わった、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などの宗派をまとめた総称として禅宗と呼ばれています。
禅が目指すものは、精神の統一、そして人間本来の生き方をするというものです。禅宗には精神統一の修行のために坐禅を行うという共通点があります。
禅という言葉は、インドのサンスクリット語の「デイヤーナ」、パーリ語の「ジャーナ」を漢訳したもの。「禅那」という漢字を当てはめ、那が落ちて、禅という言葉になりました。 また、「ジャーナ」とは、「定(禅定)」「思惟」などとも意訳され、それは精神の統一、つまり瞑想と同じような意味と捉えられました。仏教における瞑想とは坐禅を行うことを指すので、禅と坐禅は同様の意味になります。
坐禅は、静かに姿勢を正して座り、自分自身を見つめ直します。一つのことに心を注ぐことで、執着することや思い込みを捨て、真っさらな心で自分や物事を捉えられるようになることを目指すのです。
仏教の創始者である釈迦(ゴータマ・シッタールダ)は坐禅を組み、瞑想する中で悟りを開き、仏陀となりました。仏陀は、すべての生きるものには生まれながらにして仏性が備わっているということを悟ったのです。
もともとは清らかで罪などない真っさらな心(仏性)を皆持っているのに、迷ったり悩んだり悪事を働いたりするのは、執着や思い込みなどにとらわれているからだと気づき、何にもとらわれない、ありのままの心を説きました。
禅では仏陀の教え(仏法)を、坐禅や修行を通して追体験をし、学び、受け継いでいきます。さらに師匠から弟子、禅僧から修行者へ心と心を通して仏法が受け継がれます。その教えを伝える過程でできたの「禅語」というわけです。
禅語とは
禅語とは、短い言葉の中で禅の教えを説いたものです。禅、特に臨済宗では、禅問答という、師弟が禅の理解度を問うやり取りがあります。
禅宗では修行者に対して、優れた禅僧などの先人と同じことを体験させ、その悟りのきっかけと同じ心境を体感させようとします。この禅の悟りを確認するためのものが禅問答であり、この禅の悟りとなるきっかけである問題は公案と呼ばれています。
禅語とは、この公案から引用された言葉をはじめ、禅僧の言葉やエピソードなどを表したもので、禅の世界が凝縮されています。
禅語の歴史
前述のように、禅語とは、禅宗の教えを伝える言葉です。禅の教義や禅問答の公案、禅僧の残した著述から引用されています。
禅宗の歴史を、ざっくりとではありますが説明しましょう。
・紀元前 釈迦がインドで悟って仏陀となり、法を説く。
・5世紀ごろ 釈迦から数えて28代目の弟子・菩提達磨が中国に渡り、禅を伝える。
・7世紀ごろ 中国が北宗と南宗に分かれる。禅宗は中国全土に広まり、大流行する。
・13世紀ごろ(鎌倉時代) 南宋に渡った栄西が帰国して臨済禅(臨済宗)、道元も中国に渡って帰国し曹洞禅(曹洞宗)を伝える。
以降、各地に禅寺が建立され、武士から庶民まで、禅宗は広く日本全国に広まり、日本文化や芸術の分野にまで染み込んでいきます。途中、江戸時代ごろに臨済宗から黄檗宗が独立しました。
この禅の歴史の中で、「無門関」などの禅僧の残した著述、禅の教義、師匠と弟子のエピソード、禅問答の公案などが禅語として伝えられていきました。「挨拶」「以心伝心」「初心」など、普段使っている日本語の中にも実は禅語があるのです。
禅の世界は日本文化のあちこちになじんでおり、言葉としても残っているのです。
禅語の魅力
私たちは日々の暮らしの中で、常に悩んだり迷ったり、嫉妬したり怒ったり、くよくよしたりと心はせわしなく、ストレスもたまりがちです。いろいろ考え過ぎて心が疲れてしまうこともありますよね。
禅語にはそんな心の疲れに寄り添い、乱れがちな心を整えて、穏やかに前向きに過ごすためのヒントになる言葉があります。
禅語を好きになったきっかけ
私は、禅に興味こそあったものの、「お寺に行って坐禅を体験し、揺れたり寝たりと邪念があれば背中や肩を叩かれるもの」というくらいのイメージしかありませんでした。宗教の一環であることから、ハードルが高いという考えがあったことも否めません。
しかし、実際に触れてみると、「そんなに頭でっかちに考えず、もっと気楽に親しんでもいいものでは?」と思うようになりました。
大学で哲学の一分野である「現象学」を学んでいくうちに、テキストとして、「禅と日本文化」(鈴木大拙著)が取り上げられました。鈴木大拙は海外に禅を広めた人です。
よく読んでみると、禅に対するイメージが変わりました。禅とはお寺で厳しい修行をしたり、一心に信仰したりするものだけではなく、もっと暮らしに身近なことなのかもしれない、と。
理解するのに難しい禅語はたくさんありますが、わかりやすく解説されている書籍やサイトもたくさんあります。何かあったとき、自分の悩みに合った禅語を探して参考にするだけでも、心が軽くなるような気がします。
また、もやもやするときは瞑想をして、ただそのやり方をなぞるだけでも、よくわからないながらも心が清々しくなるような、落ち着く感じがあります。海外でも人気の瞑想やマインドフルネス、坐禅にはリラクセーション効果もあるようです。迷いや雑念を一旦捨てることで、クリアな心で仕事や物事に向き合っていけるからなのでしょう。
禅語にまつわるエピソード
私は、社会に出て料理人の世界に飛び込み、一からの修業で仕事にも対人関係にも毎日疲れていました。料理経験や知識、技術を身につけたいとがむしゃらにやっても失敗の連続で、怒られ、自信がなく、余裕もない日々でした。
悩み、疲れたとき、この気持ちをどう立て直したらいいのだろう、何かヒントが欲しいと思っていたとき、ふと禅を思い出したのです。和食には、懐石料理のように、禅の思想を取り入れたものがあります。料理につながり、心が軽くなるならと、禅語の本を読みあさりました。
最初は正直、心が疲れていることから内容を素直に受け入れられませんでした。そんなとき、「主人公」という禅語に出合ったのです。そのときの私は、「皆、この世界の主人公、人にだまされず(惑わされず)心は自由自在で尊い存在だということを自覚しよう」という意味だと受け取ったことを覚えています。
それからは、失敗や自信のなさにおじけづかないで、精いっぱい、目の前の仕事や料理に向き合おうと思えるようになりました。真っすぐな気持ちで料理を続けて、店を持てるまでになり、夢が叶いました。
心がふっと軽くなる! 親しみやすいおすすめの禅語一覧
少し知るだけでなんとなく心が軽くなるような、おすすめの禅語を集めました。
日日是好日(にちにちこれこうじつ)
直訳すると、毎日が好(よ)い日ということです。公案集「碧巌録」の禅僧雲門の言葉。毎日を、いい、悪いなどと判断せずに、一日一日がかけがえのない、尊い日だという心で大らかに日々を暮らそうということです。
平常心是道(びょうじょうしんこれどう)
日常に働く心のあり方が、そのまま悟りということ。馬祖道一の言葉。私たちが普段使っている「平常心(へいじょうしん)」は、落ち着いて普段どおりに冷静に努めることですが、禅語の平常心は、真っさらなありのままの心を素直に受け止めることです。忙しくしていると自分自身を置き去りにしがちです。無理をせず、惑わされず、悲しい、うれしいなどの気持ちや、自然に感動する心の動きを肯定してあげてもいいのではないでしょうか。
知足(ちそく)
足ることを知る、という意味。原始仏典「スッタニパータ」より。他人と比べて不満を持ったり嫉妬に苦しんだりすることなく、自分の境遇や持っているものを「自分に見合ったもの、これで十分」だと思えば、日々心安らかに過ごすことができるということです。あれもこれもと欲張っても、なかなか満たされないものですよね。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)
よくよく足元を見なさい、という意味。履物をそろえる、自分の心を見つめ直す、ということです。禅僧、孤峰覚明の言葉。永平寺の玄関にも掲げられています。また、禅寺の玄関によくこの言葉が掲示されており、「照顧脚下」「看脚下」とも言われています。
足元を見る、履物をそろえるということは、まずは身の回りをきれいに整頓して清潔に過ごすことの基本を忘れないということ。また、自分を顧みるということは、何事もおろそかにせず、自分を見失わないようにという意味でもあります。
和顔施(わがんせ)
いつでも笑顔で人と接しましょうという意味。「無罪の七施」といって、仏教では、眼施(温かいまなざし)、和顔施(笑顔)、言辞施(厳しく愛のこもった言葉)、身施(身体を使って奉仕すること)、心施(心配り、思いやりを持つこと)、床座施(座席や地位などを譲ること)、房舎施(住まいや部屋を提供すること)という教えがあります。
見返りを求めず人に施す(いい行いをする)ことで自分も他人も幸せな気持ちになろうというものです。なかなか難しいことですが、ニコニコしている人を見たら気持ちもいいし、自分も上機嫌に過ごせますよね。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
事物はすべて本来、空(くう)であり、執着するものは何一つない、ということ。六祖慧能大師の言葉。人は何も持たずに生まれてくるのに、地位や名誉、物欲や承認欲求などいろいろな執着にさいなまれて悩んだりするもの。本来は何もないのだから、執着を捨ててありのままに素直に生きてみよう、ということです。
いろいろ背負ってつらいこともありますが、ふと肩の荷を下ろしてありのままで生きられたらいいのに、と思いますよね。
放下着(ほうげじゃく)
一切の執着を捨て去りなさい、ということ。「五家正宗賛」の趙州和尚の言葉。煩悩や妄想、欲や見栄、自分は悟ったという自負まで捨てよ、という意味です。自分に嘘をつき無理をしてでも、認められたい、良く思われたいという願望はなかなか捨て去れませんが、とらわれて、思いが叶わずにストレスをためてしまうのもつらいことです。そんな煩わしい思いの一切を手放し、清々しく過ごせたらいいですよね。
柔軟心(にゅうなんしん)
柔らかい心、ということ。道元とその師匠・如浄の「宝慶記」より。物事にとらわれない柔軟な心を持てば、広い視点で物事を捉えられ、自分も他人も受け入れられるようになる、という意味です。他人に柔らかい心で向き合えれば、正論か否かに左右されずに人の意見も聞き入れられるというのです。
主人公(しゅじんこう)
主体的な自己を持ちなさい、という意味。「無門関」瑞巌和尚のエピソード。瑞巌和尚は、いつも坐禅をしながら「主人公!」と自分に呼びかけ、「はい」と答えた後、「目を覚ましているか」「人に騙されるなよ」と呼びかけます。そのたびに「はいはい」と答えた、という逸話によるものです。
忘れてしまいがちな本来の自分に呼びかけ、確認することで、自分を見失わずにいようということです。自分の人生を主体的にしっかりと歩いていきたいですね。
初心不改(しょしんふかい)
初心を改めず変わらずに持ち続けるということ。「碧巖録」より。何かを始めようというときの、真っさらで純粋な心を持ち続けようという意味です。スティーブ・ジョブズの愛読書「禅マインド ビギナーズ・マインド」でも初心の大切さが説かれています。
何事も慣れてくると、驕(おご)ったり、評価されたいと願ったり、おろそかにしたりと、始めたての頃のひたむきで真っすぐな気持ちを忘れがちですよね。初心を保ち続けることで、余計な考えに惑わされずに物事に真摯に向き合い続けられるのです。
禅の習慣を日常に取り入れやすい住まい
禅や禅語を学び、日常生活に取り入れるのにぴったりな住まいについて紹介します。
勉強や読書をしやすい環境がある住まい
家の中に落ち着いて勉強や読書ができる環境があると、読んだ言葉がスッと頭に入ってきますよね。集中できる椅子や机、適切な照明と、そのためのスペースが必要です。在宅ワークなどがある人の仕事の環境を整えることにも共通していますね。
また、整理整頓、掃除、片付けやすさなどを考慮すると、余裕のある収納も必要でしょう。
瞑想や坐禅をしやすい空間がある住まい
サービススペースやベランダ、リビングなどに瞑想や坐禅をするスペースがあることも禅を生活に取り入れるときに必要です。本当の禅僧なら、どこででもすぐに姿勢を正して座ればできるのかもしれませんが、慣れていないうちは落ち着いて座り、瞑想や坐禅、集中ができる場所を確保したいところ。
さらに発展して、ヨガなどをしたいときにもヨガマットを敷けるくらいのちょっとしたスペースがあるといいでしょう。
禅語を取り入れて、健やかな心で暮らそう!
禅と禅語の魅力についてご紹介しました。禅は修行や坐禅が大変、禅語は難しい、というイメージを持たれがちですが、実はもっと身近に気軽に触れられる世界だということがお分かりいただけたかと思います。
禅はありのままの心で、何にもとらわれずにしなやかに生きることを目指しますから、禅語を味わい、実践することで人生が豊かになるような気にもなります。
また、禅を生活に取り入れたいと思ったときに適した住まいづくりも大事です。脚下照顧という禅語に表されているように、まず自分の身の回りや生活を大切にすることから始めてみましょう。
ストレスや悩みに疲れたら、禅語に親しんでみませんか? 心を楽にする、思わぬ解決のヒントが見つかるかもしれませんよ。
※参考文献
「禅と日本文化」鈴木大拙
「禅マインド ビギナーズマインド」鈴木俊隆
「心がまぁるくなる禅のお話』高田明和
「禅語事典」平田精耕
※参照サイト
曹洞宗公式サイト
https://www.sotozen-net.or.jp/syumucyo/20200722_1.html
臨黄ネット
http://www.rinnou.net/