「養子にはなってあげるけど、僕の人生は好き勝手やらせてもらう」

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名古屋のおばあちゃんからは「後継(養子)になって墓を守って欲しい」「月に1度くらい顔出すだけでいい」。僕からは「後継(養子)になって墓を守る」「テレビの仕事がしたい」…これだけの約束をして後継になることを決めました。
「養子にはなってあげるし墓も守ってあげるけれど、僕の人生は自分の好き勝手にやらせていただきますよ」と強気な感じでしたね。

いろんなメディアで、3度目の食事の後にそのまま区役所に行って養子縁組届け提出と書かれていますが、3度目の食事で結納式をきちんと交わしました。
結納式のちょっと前に養子になるって決めてから母親に伝えたので、ちょっとバチバチしましたが(笑)。
婚約届と同じで、紙切れ一枚で養子縁組届けを完了し、二度目の苗字変更をしました。よくどんな気持ちなの? と聞かれますが、昔一度変わっているからこれくらいではなんとも思いませんでした。

毎月会計士さんが来る。名古屋暮らしスタート

ここから名古屋で養子の人生がスタート。毎月、月末に会計士さんが来ること・ヘルパーさんの体制・かかりつけのお医者さん・不動産管理会社が自宅まで書類を届けに来ることなど、東京と名古屋を何度も往復し、だんだんと時間をかけて、おばあちゃんがやっていることを知りました。

名古屋のおばあちゃんは頑なに「ミュージシャンは苦労するからやめたほうがいい」と言ってきました。相続後、不動産オーナー会で近隣で名古屋のおばあちゃんをよく知る方から、若い頃おばあちゃんには芸者さんの経験があり、苦労したという話を聞いて反対される理由を知りました。

完全アウェイの状況で、少しずつ不動産管理の勉強をはじめる

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そのころの僕は名古屋の養子入りのため音楽ユニットを休止し、ソロでNHKの動画投稿番組にカスタネットパフォーマンスでテレビに出演したり、所属事務所のオスカープロモーションが決まったり、東京の仕事ばかりしていました。名古屋に顔を出すのは月に一回だけでした。

ただ、慣れてくると「もっと名古屋に来て欲しい」「名古屋に住んでくれ」「名古屋の不動産事業を覚えて欲しい」「名古屋のすべての管理をやってくれ」と、さすがおばあちゃんって感じのわがままが出てきました(笑)。

2008年から2012年、僕の20代後半は、名古屋のおばあちゃんとのやりとりばかりでした。大阪の実母でもこんなにやりとりしませんよ(笑)。
しばらくは、月・火・水・木曜日は名古屋、金・土・日曜日は東京にいる生活が続きました。

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名古屋での暮らしは、どうしても、おばあちゃん中心の生活リズムになります。夜勤バイトをしていた僕にはとても辛く、朝に顔を出してヘルパーさんが来たら交代をして、お昼はたまに車で外食やドライブに連れて行って、またヘルパーさんと交代して入浴させてもらって夕食。
合間をみて不動産管理の勉強をしたり、おばあちゃんのスケジュールを立てたり、わからないことだらけでした。
会計士さんやヘルパーさん、まわりの人は、僕より前からいるので気もつかいました。みなさんの名前も、どこに何があるかすらわからないんですもん。

大阪と名古屋の文化も違うし、おばあちゃんが、わけあって追い出した甥っ子さん家族も頻繁に家に来るので気まずい気まずい。一言でいってアウェイです。
でも人っておかしなもんで養子に入ったら後継の自覚もだんだん湧いてきて、責任みたいなものが出てきて、やらなきゃいけない状況を理解してくるんです。

おばあちゃんの日記

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とは言え、頑固者同士でぶつかることもあり、60歳の年の差、なかなかおばあちゃんの思い通りにはいかなかったみたいです。

「今後敬さん(※編集註:前田けゑさんの本名)に、不動産管理会社が直接用事を電話してもらうようにと言うことにした。それが出来たら、私は心がやすまると思う。そうでなければ敬さんのやり方とすれば、私は敬さんは家を継げる人とは思えなくなってしまう」「どうしてくれるのか、ますます敬さんのような人と私はどうしたらいいのか、分からなくなり、なるべく心をゆたかにしていなければならない。私の命の長さを考えれば、ますます私は情な心になってゆく」。など、歯がゆい気持ちが、亡きおばあちゃんの日記に書かれていました。

僕も当時は身内や友達のまわりの死に直面したことがあまりなかったので、おばあちゃんはまだまだ元気でいるから、ゆっくり自分のペースで考えて学んで覚えて継いで行こうとのんびりした考えでした。でも、おばあちゃんは心配事だらけやったんやな…。

でも、日記にちょいちょい出てくる「敬さんも、今日は1日私の家へいてくれてうれしかった」という言葉が、養子に入った赤の他人を、家族として認めてもらえたようで嬉しかった。

通帳・印鑑・不動産管理帳面を任される

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ある日おばあちゃんが、通帳とハンコ・不動産管理の帳面を「もう全部任せた」と言って僕に預けてきました。ここから、本格的な不動産事業や、家賃管理・不動産業で使用する通帳・貯金用の通帳や外資通帳などを管理する、いわゆる資産管理が始まりました。

最初に、うちの資産は何がどこにあるのか気になり、自分の足で土地と建物を見に行きました。そして通帳のお金の出入りはどこからきて、どこへ行くのかなどの確認をし、ここからここまでが所有している山なのか、などと土地建物の場所が把握できてきました。
出て行くお金・電話代などの一般的なものはわかるのですが。県民税・市民税や収入税・保険料はちんぷんかんぷん。入ったり出たりする金額はわかるのですが、なんでそんな金額なのかは0の桁が多くて、よくわかりませんでした。

道路に面した看板代は別の管理で、土地で使用している街灯代・ヘルパー代・病院代・不動産の賃料・管理費・入居者さんに出入りがあった場合の契約金・クリーニング代・修繕代・植木代…、植木代だけでも年間100万円です。一気に覚えるのは簡単じゃないです。

何を勉強したらいいのか、わからない

電気料金の支払い明細書が10枚くらい送られてくるのですが、どれがどこの電気代わからん! 本当は会計士さんに、一から時間をかけて教えてもらいたかったのですが、古くからの会計士さんで僕の理解力も乏しく全然相手にしてもらえませんでした…。
高校が商業科で多少簿記はできたのですが、そんなレベルでは足りないくらいの勉強の量、というより何を勉強したらいいのかも手探りで必死でした。結局怠けてしまい、会計士さんに細かいとこは任せっきりで、不動産の収入と通帳の残高のみを確認していました。

これが相続後になって自分の首をしめてしまうことになるんです。資産管理は、他人にまる投げしていいことはありません。


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