北海道に移住し、「裏山」で土と向き合う

工藤さんが購入した当初の旧旭川温泉工藤さんが購入した当初の旧旭川温泉

北海道旭川市の郊外にある、突哨山(とっしょうざん)というなだらかな「裏山」。その麓で浮世と少し離れるように暮らし、粘土に対峙する陶芸家・工藤和彦さんがいる。作業場とアートギャラリーを兼ねた工藤さんの拠点は「ウラヤマクラシテル」と呼ばれ、「〇〇窯」や「△△陶苑」と違って焼き物を連想させない不思議な響きをもつ。他に例を見ないのが、そのバックグラウンドとストーリーだ。地元に親しまれていた元温泉旅館の大ぶりの建物を譲り受け、2002年から自らの手でリノベーションを継続。陶芸という枠を超えた、ものづくりや自然への思いに突き動かされている。

神奈川県出身の工藤さんは高校卒業後、「信楽焼」で知られる滋賀県・信楽で修業し、滋賀県内の福祉施設で作られたアウトサイダー・アートに興味を持ったことをきっかけに陶芸の職業指導員となった。その後、旭川市から北に50kmほどの剣淵町で福祉施設がオープンすることを知り、1993年に移住した。

偶然出合った、廃墟同然の温泉旅館。「活動や夢が広がる」と惹かれて

現在の自宅そばに建てた旧作業場。剣淵町での経験を生かし、屋内に窯を構えた現在の自宅そばに建てた旧作業場。剣淵町での経験を生かし、屋内に窯を構えた

八畳間の手狭な作業場をこしらえ、屋外に窯を設けていたが、冬に肝心の粘土が凍って割れてしまった。空間が小さいほど断熱性と熱効率を高めやすいが、窯を屋内に置けるような広い空間が必要だと痛感。作陶のしやすい環境を求め、後にウラヤマクラシテルになる、旧温泉旅館に隣接する一軒家に巡り合った。

2002年に旭川へ移り住んだ工藤さんは、一軒家の自宅横に廃材をかき集めて、粘土が凍らないよう、複層ガラスと断熱材を入れた作業場を自作した。喧騒はおろか、近くの家とも距離が離れた環境は焼き物づくりに集中するには最適だったが、ほぼ廃墟となっていた隣の旧「旭川温泉」の存在が気にかかっていた。

まさに幽霊屋敷然とした佇まい。若者が深夜に肝試しで出入りし、窓ガラスが割れ、障子が破れ、食器の破片が海のように広がっていた。ただ作家として、大きな拠点を持つことに憧れがあった。「スペースが広いほど、活動と夢が広がる。いつかはわがものに」と機会をうかがった。

深夜に若者が出入りする状況は改善されなかったため、旧温泉旅館の所有者に相談。「管理してくれるなら」と使用を許され、散乱した物の片付けから始め、5年ほど後に取得した。

鉄骨造、大ぶりな建物だからこそのギャラリーに

旭川の奥座敷のようなロケーションにある旧旭川温泉は、工藤さんによると地元の人の宴会会場などとして親しまれ、1994年まで営業していた。2階建てで本館が鉄骨造、別館が木造だった。床面積は1,000m2を優に超え、土地まで含めると4,000坪もあった。

手に入れたはいいものの、個人で所有・管理するにはあまりにも大きく、費用が膨大になってしまう懸念もあった。「建物がどれだけ傷んでいても固定資産税は払い続けないといけません。面積が大きいと、消防法で消防設備も多く必要になります。しっかり活用できる管理方法はなにかを考えました」と工藤さんは振り返る。そして浮かんだのが、この建物の構造や広さを生かしたギャラリーだった。

作品を引き立たせるスペースとしてのポテンシャルがあった。かつての受付や食堂などがあった本館一階は、床を剥がせばコンクリートが露出。天井を壊せば高さがあって開放感が出て、インダストリアル感が漂う。「鉄骨造なので、構造体である柱が中央部になく、アレンジしやすい。重量物の作品もコンクリートに置け、上から吊るして見せるのにも良い。木造と違って、アートギャラリーとしての活用の幅が広がると感じました」と工藤さん。

陶芸を想起させない「ウラヤマクラシテル」という名前にも表れているように、「焼き物だけの展示に特化したくなかった」というこだわりがあった。作陶を続ける中で、さまざまなものづくり、歴史や民俗、宗教といった多くの知識や人に出合った工藤さんは、「日本らしい芸術の主軸は、自然への畏怖や、自然を中心に捉えたものづくりです。陶芸だけでなく、自然に根付いた作品も紹介できればいい。自分の器が食卓に置かれるのをイメージしたときに、木のスプーンや器だってある。それも一緒に提案したいと考えました」。陶芸にとどまらない、自然をベースにしたものづくりを紹介する場。そんな広い「活用の幅」を具現化する上で、広大なスペースがギャラリーにうまく符合した。

ギャラリースペース(左上、下段の左から2枚目)、外観(右上)、作業場(左下)、元大浴場にできた登り窯(右下)ギャラリースペース(左上、下段の左から2枚目)、外観(右上)、作業場(左下)、元大浴場にできた登り窯(右下)

廃棄物の処理から電気工事、浴場の解体まで。「自分たちで」のこだわり

大浴場だったスペースを解体し(上)、登り窯を作る工藤さん(下)大浴場だったスペースを解体し(上)、登り窯を作る工藤さん(下)

工藤さんは作陶の合間に片付けを始めていたが、まず悩まされたのは山のように積まれた不法投棄物の処理だった。1~2年かけて、散乱していたタイヤを200本処分したという。周囲の木々は鬱蒼としていたが、廃墟感が出ないように手入れをした。

室内で最初に手掛けたのは、もともとの宴会場。森の木々を眺めながらロクロを回す仕事場にした。それまでは自宅横の作業場を使っていたが、元温泉旅館とあって断熱性が確保でき、厳冬期でもストーブ一つで打ち込めるようになった。

本館1階はギャラリースペースとし、コンパネや石膏ボードを使って壁を作り直した。訪れた人が周りの森の斜面を見渡せるように、木造だと簡単にはできない、窓の移設も手がけた。頭上に開放感が出るよう天井を壊し、家族総出で白一色に塗った。単管パイプで作業用のやぐらを組み、ローラーで移動できるようにし、雨合羽を着た妻や子どもがペンキを塗った。工藤さんは電気工事士の資格を取り、配線を自分で自在に組んだ。

ギャラリースペースに隣接した元大浴場では2015年に地元の薪で焼く登り窯を完成させた。

木造の別館1階は作品の撮影場所にもなる事務所、2階の1部屋はゲストルームとし、ボイラー取り付けや配管も自身で手がけ、シンクなど器具類は人づてに不要になったものを譲ってもらった。現場で出た廃材は、窯の土台にするなどできる限り再生した。プロの手に委ねたのは、外壁の工事や屋根のメンテナンスなどごく一部だった。

こうして2017年、旧旭川温泉はギャラリーのある「ウラヤマクラシテル」として新しいスタートを切った。

これだけの工事を自分や家族で手がけた狙いは、費用を抑えることだけではなかった。「専門の人に任せた方が完成度は高いけれど、自分でやる面白さがある。自分の世界を具現化する、世界観を創り上げるのにつながる。完成しなくても、完成度が悪くてもいい。コツコツやっていくことに意味があるんです」と工藤さんは言う。

工藤さんは剣淵町にある2億年前の粘土をシャベルで手掘りし、白樺を焼いた灰を釉薬に使ったり、道内の川の石や貝殻などを色付けに活用したりと、自ら足を運んで素材を集め、試行錯誤して北海道ならではの独自の表現を追い求める。そんな作品づくりと、ウラヤマクラシテルという場所づくりの根っこが同じだ。

「良い状態で次の世代へ」。時間をかけて建物を生かし切る

今後の活用への思いを話す工藤さん今後の活用への思いを話す工藤さん

建物に手を入れてから20年弱がたった。進ちょくは4分の1ほどという。地下室の改修は手つかずで、ギャラリースペース上階にある、かつての大宴会場も途上。手をかけるべき場所が多いが、「まだまだスタート段階で、自分の代では終わらないですね」と工藤さんに気負いはない。

工藤さんの関心はハード面にとどまらず、建物のある環境を含めた価値を残し、高めていくことにもある。ロクロを引く作業場やギャラリーからは、ありのままの「裏山」を感じることができる。春はカタクリの花、秋には深い赤のモミジを楽しめる。突哨山には、険しくなく身近で、気持ち良く散策できる森が広がる。「この場所をつくった人も、こういった魅力を感じていたはず。そんな思いもつないでいきたいです。場をつくり変える、新たに価値のある場をつくるというのは、この森と自分がどう接するかということでもあります。どこまでもっていけるか、試されている気がしますね」と言う。

偶然の出合いで所有することになった元温泉旅館。壮大なセルフリノベーションではあるが、工藤さんは自ら地道にものをつくる過程を楽しんでいるように映る。「一から自分で造ったわけではなく、この場所を預かっているヤドカリみたいなものなんです。僕は建物が自然と生きてくるように、建物に合わせる形で、コンセプトをしっかり固めるだけです。良い状態で次の世代へ引き渡したいですね」と、工藤さんは屈託ない。

たとえずっと未完成でも、それが「ウラヤマクラシテル」らしさなのかもしれない。

2020年 06月14日 11時00分