昭和20年から使われ続けてきた「銅菊」をオフィスとして残す

外観とかつての歴史を伝える「銅菊」の札。かつては三崎坂にあり、移転してきたそうだ外観とかつての歴史を伝える「銅菊」の札。かつては三崎坂にあり、移転してきたそうだ

日暮里駅から谷中銀座に向かう通りを左折。現在の谷中5丁目にある、霊梅院や長明寺がある一帯が「初音の森」と呼ばれていたことに由来する「初音の道」を行くと、朝倉彫塑館の手前、右手に2軒の町家がある。1軒は吉川錻力店(よしかわぶりきてん)。ブリキを屋根や壁に貼ったり、雨どいを取りつけるような仕事だろうか、今は廃業されているが、当時の姿をそのまま残している。

その隣にある、しばらく空き家になっていた町家がある日、きれいになった。姿自体はあまり変わってはいないが、暖簾がかかり、建物の前にはベンチ。なんだろうと内部を覗きこんでみると古い道具類がたくさん置かれてはいるが、売っているわけでも、展示して見せているわけでもないらしい。道行く観光客も首をかしげては立ち止まって見ていく。そんな不思議な建物が大丸松坂屋百貨店が2018年にオープンさせた未来定番研究所のオフィスである。

建物自体は明治末期に建てられたものと推定され、当初は広い土間を持つ平屋だったようだが、その後、大正から昭和初期には土間を店舗に使った洋品店となり、2階が増築された。1945(昭和20)年5月には谷中で三代続く銅細工店「銅菊」を営む大沢家が移り住み、作業場兼自宅として使ってきた。戦中のことで、防空壕も掘られている。昭和30年代から平成にかけては浴室が作られたり、洋品店時代のタイル貼りの土間が和室になったりと時代によって変化してきた建物で、空き家になったのは2016年12月のこと。幸い、歴史ある建物を残そうと親族や地元の人たちがNPO法人たいとう歴史都市研究会(以下、たい歴)に相談、そこから建物を残すための計画が立ちあがった。

アイディアはユニークな場所から生まれる

今谷氏(中央)を囲み、研究所の皆さん。こんなオフィスで働きたいと思う人も多いのではなかろうか今谷氏(中央)を囲み、研究所の皆さん。こんなオフィスで働きたいと思う人も多いのではなかろうか

そこに目をつけたのが未来定番研究所の所長である今谷秀和氏だ。未来と定番という一見相容れない単語を組み合わせた名称には未来は作り出すものであり、今から5年先に花が咲くかもしれない定番の種を蒔き、育てていく研究所であろうという意図が込められている。

「かつて流行は百貨店から生まれていました。ところが、バブル期以降、売れ筋中心の顕在需要刈り取り型へシフト。必需品がすべての家庭に行き渡った現在においても、市場創造型マーケティングへの移行ができていない。そこでこの研究所では歴史に学び、未来を生み出すため、遠くに目線をやり、目利きのできる存在になろうと考えています」。

その意図から研究所のあり方を考えた時、ごく普通のオフィスビル内の1室という選択は無かった。ユニークな部署はユニークなオフィスにあるべきと考えたのである。その観点で、かつ会社の歴史を踏まえ、そこから新しいものが創出する地として思いついたのが谷根千エリアだ。

「松坂屋は元々上野にあった店で、それを尾張藩の呉服御用だった名古屋の伊藤屋が江戸進出時に買取り、いとう松坂屋とし、大正14年に全店名を松坂屋としたもの。上野の松坂屋は寛永寺にお出入りしており、谷中は当時から馴染みのある土地です。また、谷根千には職人も多く居住し、芸大もあってものづくりのまち。そうしたことを考えると、場を構えるべきは谷根千と思ったのです」。

ご近所さんは「ウチも残せば良かった」とため息

その今谷氏が頼ったのが前出のたい歴に所属する椎原晶子氏だ。銅菊保存をきっかけに株式会社まちあかり舎を立ち上げたメンバーの一人である。椎原氏の案内で谷根千エリアの空き家をいくつか見学した今谷氏は最終的に「銅菊」のあった建物を選んだ。間口が広く明るい、歴史のある町家であることに加え、銅菊が大丸とも付き合いのある日本橋の鳥料理店「玉ひで」で使う鍋を作っていたり、見学に訪れた時に住戸内に松坂屋の紙袋が置かれていたことにも縁を感じたという。

見学した時点では家は傾いており、上司には安全を危惧されたというが、7ヶ月かけた改修で銅菊は生まれ変わった。といっても、残せる部分は極力残しており、特に1階は明治末当初の土間、大正モダンの洋間、昭和の座敷と、それぞれの時代を味わえる形になっている。土間には作業場に置かれていた道具類が残されており、中には今どき、目にすることもなくなったふいご(ざっくり言えば送風機)も。作業台の板には深い傷が残されており、当時のものづくり職人の息吹が感じられる。

一方、2階はオフィスとして畳を檜のフローリングに替え、2室を1室にするなど大幅に改修、14畳の広い空間に。コピー機、私品を入れるロッカーなどは格子の仕切りの向こうに置かれており、室内はすっきりした今風の和と言ったところ。とても築100年には見えない。また、昭和に入ってから増築された浴室、洗面所は取り払われ、庭が広く見えるようにもなった。

こうしてきれいに改装された建物を見たご近所さんの中には「ウチも取り壊さずに使えば良かった」と言った人もいたとか。開発が進む谷根千の、古い建物活用に一石を投じたようである。

左上から時計回りにかつての作業場、以前は洋品店だったスペース、壁にある様々な道具はそのままに飾られている、2階のオフィススペース左上から時計回りにかつての作業場、以前は洋品店だったスペース、壁にある様々な道具はそのままに飾られている、2階のオフィススペース

古民家が持つ「場の力」のすごさ

1階の和室。床の間には季節に合わせた軸が掛けられ、庭も望める。リラックスした打ち合わせができそう1階の和室。床の間には季節に合わせた軸が掛けられ、庭も望める。リラックスした打ち合わせができそう

さて、谷中オフィスをスタートして1年余の未来定番研究所には商品や売り場構成、ブランディングその他の相談事でわざわざ来訪する人が増えている。その要因のひとつに場の力があると今谷氏。打ち合わせには1階の座敷が使われているのだが、ちゃぶ台、掘りごたつを囲んで座ると相手との距離が近くなる。スチールの机をはさんで話し合う時とは全く違う距離感で、物理的に近くなると精神的にも近くなるのだろうか、率直な会話が弾むという。初めて来た人とも仲良くなれ、「また、来ますね」という言葉が出るほど盛り上がることもしばしば。会議室より、よほどに役立つ会話ができる場なのである。

いつものオフィスとは異なる雰囲気の場にいることで発想も変わる。リラックスしているつもりでもどこか緊張を強いられるオフィスからは生まれないような自由なアイディアが寛いで過ごす畳の上から生まれ、会話の中で成長し、具体化する。古民家オフィスでは創造性が高まるのだ。モノを考える際の期間も長くなる。100年を経てきた建物内では来年のことではなく、もっと先の、将来のことを考えたくなるのだろう。

こうした場の力を活かし、研究所ではトークショーやワークショップのようなイベントも開いている。それほど広くない場所のため、定員は最大でも20人ほどというが、研究所のFacebookページで告知をしている。普段は非公開の、でも、とても魅力的な場を体験してみたい人ならチェックしておいて損はないはずだ。

古い建物がこれまでにない新しいビジネスを育む

相談事に対応するだけではなく、新たなビジネスもここを舞台に生まれつつある。研究所ではオフィスのオープン前からオウンドメディアをスタートさせており、そこを通じた人的なネットワークが各種相談事に対応するだけでなく、新たな発展を始めているというのだ。

「5年先の暮らし、仕事をしていると思われる人を1年間で120人以上、今では200人を超えているでしょうか、インタビューしてきており、その関係がアイディアに繋がっています。新しいことをやっている人たちと付き合っていればアイディア、企画が出てきやすくなりますし、アイディアを実現しようとした時にも役立つ。人のネットワークはある意味、事業の引き出しなのです。もちろん、それをどこの誰とどう繋げるかが大事なので、引き出しがあるだけではダメ。引き出しを開けた時に何が見えるか、想像力も大事です」。

今はまだ公表できないものの、近々これまでに全く無かったビジネスがいくつか生まれそうだと楽しそうな今谷氏。新しいビジネスが空き家になっていた古い建物から生まれるのは不思議なようだが、それがこの研究所が目指すもの。まちづくりでも、悩んだらまちの歴史を辿り直すのは基本だが、ビジネスもまた同じように自社の歴史を辿り直すことで発見できるものがあるようだ。

個人的に一番迫力を感じたのはこの作業台。自分の身体でモノを生み出していた人がいた場なのだと強く感じた個人的に一番迫力を感じたのはこの作業台。自分の身体でモノを生み出していた人がいた場なのだと強く感じた

2019年 04月01日 11時05分