「池の話」で3時間

「なぜ、池なのか」。わかる気もするがわからない気もする「なぜ、池なのか」。わかる気もするがわからない気もする

以前取材に伺ったお宅で、ご主人から「庭に池をつくるんだ」というお話を聞かされたことがある。気が付けば3時間、池について語り合っていた。

ご主人によると、趣味も持たず仕事ひとすじで定年まで勤め上げ、相続した田舎の土地をどうしようか考えていた時に、ふと「そうだ、あそこに池を作ろう」「ついでに家も建てよう」という気持ちが湧き上がってきたのだという。
庭好きでも、鯉好きでも、DIY好きでもない。まして池に興味があったわけでもないのに、である。

話は、どのくらいの穴をどう掘るか、それをどう固め、どんな石を入れ、周りにどんな植栽を施し、最後に魚を放すかどうかまで、事細かに池をどう手づくりするかということに終始した。
そう、ご主人は池をDIYしていくというのだ。3年計画で。

こちらも庭には関心があったので、ああすればこうすればと応酬する。でも本当に聞きたいのは「なぜ、池なのか」である。3時間向き合ったのはそのためでもあったのだが、理由は最後まで教えていただけなかった。

自分で全部つくるのは楽しい

ただ、ヒントはお話の中にあった。
「私は組織の歯車でしたから」、そのようなことを何度もお聞きしたのだが、確か市役所で事務方をやっておられたと記憶している。
また、最初の家は分譲住宅で、「家を作るのは実質初めて。なかなか思い通りにはいかないもんです」ともおっしゃっておられた。

ここからは筆者の想像でしかない。

ご主人は、最初から最後まで、自分で、ものを作ってみたかったのではないか。
大半の仕事では、一人ひとりのスタッフは歯車でしかなく、ものづくりから疎外されている。楽しさややりがいを感じる機会は少ない。
リタイアされてからそのことに気付き、その気持ちがなぜか池に反射して、「そうだ、池を作ろう」となったのではないか。確かに池なら全部一人で全行程をやり遂げることができる。

この時、家で遊ぶというか家を遊ぶというか、遊びというものがもっと家と、家づくりと結びつけばいいと思った。
そのお宅は、専門紙が取材で伺うくらいなので、ご主人の遊び心がそこここに散りばめられた小粋な平屋だった。でもご主人は、もっと自分でやりたかった、もっと遊びたかったのだと思う。その思いを池づくりに向けようとされていたのではないか。

家で遊ぶ。家を遊ぶ

消費者は「消費をする人」として消費の歯車と化し、与えられたモノやサービスを買うだけになっている。消費したいものはあとどれだけあるか消費者は「消費をする人」として消費の歯車と化し、与えられたモノやサービスを買うだけになっている。消費したいものはあとどれだけあるか

今の日本は遊びができるところがあるようでない。
ロードサイド店やショッピングモールに行っても、消費の歯車の一部となり、与えられたモノやサービスを買うだけで、それも心から欲しいと思って消費しているモノ・コトは少ないはずだ。

であれば、家づくりを、家をもっと遊んでみませんか。

家は最初から最後まで自分たちで関わることができ、また完成後も池はともかくいろいろ手をかけて楽しみ続けることができる。
遊び=楽しいことは自分で探すしかない。それはソトではなくウチにある。

ぜひDIYを含め家を遊んで欲しいと思う。それは家族の豊かな時間となり、その蓄積は思い出となり、思い出は愛着に変わり、かけがえのないマイホームとなっていく。

取材に伺った際、池の話で盛り上がる私たちを見て、奥様は呆れ顔だった。でもそれもいい。
家族みんなで遊ぶことはもちろん、一人でこもって遊ぶ。それも家ならではだと思う。

あの池はできたのか、どうなっているのか。
訪ねたいような、訪ねたくないような。たまにふと思い出すエピソードだ。

2013年 10月21日 10時17分