日本の国土面積の73%が中山間地域――鳥取県の中山間地域がチャレンジする”住民自治”と”森活用”

宿場町『智頭宿』の雰囲気が色濃く残る鳥取県智頭町宿場町『智頭宿』の雰囲気が色濃く残る鳥取県智頭町

住民自治の先進をいく町として注目を集める町がある。鳥取県東南に位置する智頭(ちづ)町だ。参勤交代の道であった因幡街道と備前街道が合流する地にあって、かつては宿場町『智頭宿』として栄えた。町の面積の93%は森林という典型的な中山間地域で、他の例にもれず、日本林業の衰退によって主要産業を失い、少子高齢化と人口減少に悩まされている。

一方で、智頭町には県外から子どもの集まる森がある。2009年に開設した『森のようちえん まるたんぼう』だ。園舎がなく、雨の日も雪の日も屋外で遊ぶという北欧の保育をお手本にした森のようちえんは、「子どもが本当の自然に触れ多くのことを学べる」と他県から通う子どもも少なくない。手がけたのは東京から移住してきたお母さんで、『百人委員会』と呼ばれる組織の活動を通じて事業化された。

今回は、6地域・87集落がそれぞれの地形や伝統を生かしながら、『百人委員会』『ゼロ分のイチ村おこし運動』など、次々に住民自治活動を生み出している智頭町の“同時多発的町おこし”をレポートする。

“横ならび”の行政サービスをやめて「やる気のある地域を応援しよう」

”楽しく、社会性をもって遊んでいる”という山形地区振興協議会事務局の大呂さん”楽しく、社会性をもって遊んでいる”という山形地区振興協議会事務局の大呂さん

日本の森林率は約67%――実は日本は、先進国では有数の森林大国だ。
日本の林業は、戦前から戦後直後にかけて“伐れば高値で売れる”という繁栄を極めたが、1964年以降に自由化された外材輸入と、1960年代に起きたエネルギー革命以降、衰退している。杉(智頭杉)の屈指の産地として栄えた智頭町も、林業を廃業する町民が増えいつしか町は主要産業を無くし、過疎化・少子高齢化が進んでいる。

この林業衰退期に「智頭杉100%の一戸建てを売ろう」と活動した智頭町民がいた。智頭杉をつかった木造住宅の設計者を公募し、最優秀賞のモデル住宅を建築販売したのだ。

「高度成長期、日本の経済は高い成長率を維持してきました。ただ、この状況は普通ではない、いつかは終わると感じていました。林業もしかりで、外材が入ったり木の文化が廃れたりと社会のシステムが変わっても林業は変わらなかったんです」と智頭町山形地区振興協議会事務局の大呂佳己さん。主要産業を失いつつある智頭町の将来を憂う大呂さんを含めた有志の住民約30名が『智頭町活性化プロジェクト(CCPT)』を結成したのは1988年のこと。やがてCCPTの活動は町の職員も参加し、“半官半民の町おこし団体“の性格を強めていく。
「それまで廃棄していた智頭杉の切れ端を、薄い杉板にして名刺やハガキをつくって販売し、森の活用に努めました。智頭町には森という“道具”と“場所”がある。実は中央からの助成金で“お金”もあった。僕たちは“社会性のある楽しい遊び”をしていました」
CCPTの活動を振り返る大呂さんの言葉は痛快だ。

1997年、CCPTを前身として“住民一人ひとりが無(ゼロ)から有(イチ)の一歩を踏みだそう”と智頭町の「ゼロ分のイチ運動」がはじまる。これは、“平等に行われるべきもの”として広く浅く行われていた行政サービスとは一線を画し、“やる気のある集落を積極的に支援する”という画期的なものだった――。

主要産業無し・進む高齢化と過疎化…それでも「ゼロからイチを生み出そう」

全国的に有名になった智頭町の町おこし「ゼロイチ運動」は、集落機能の再生からはじまった全国的に有名になった智頭町の町おこし「ゼロイチ運動」は、集落機能の再生からはじまった

主要産業を失った住民は町の中心部や他県へ通勤することが増え、結果として今まで共同体の性格を持っていた集落の機能は失われていった。ゼロイチ運動は集落を住民自治の場として再生させるために生まれ、そこから町おこしの性格を帯びていった。
具体的に、1)住民自治 2)交流・情報 3)地域経営 という三本柱が掲げられ、「集落振興協議会」が設立された。いわゆる”寄り合い”と違い自由参加のかたちを取った組織は、女性や若い人の参加を促し、そこに町の職員も入ることで意思決定の早い活性化した活動がなされた。
さらに行政は「やる気のある集落を支援する」というポリシーで、具体的な活動を行う集落に積極的に予算を振り分けている。支援期間は10年、集落の活動運営費として合計300万円を助成するゼロイチ運動がスタートし、森の再活用、伝統行事の見直し・復活・伝承活動、集落まるごとNPO法人化など多くの活動が生まれている。

さて、長く続く集落のマイナス面として挙げられるのが閉鎖性や保守性だ。思い切った改革は住民の不平・不満を生み出さなかったのだろうか――?
「たしかに閉鎖的な側面はありました。田舎の人は現状維持で平穏を望む人が多いと思いますね。この住民意識を変えるために、CCPTでは大学と提携して留学生を智頭町に呼び寄せ、いわば強制的に住民が異文化に触れる機会をつくりました。この変化で、“町はこのままで良いのか?”という葛藤が住民感情に芽生えたと思います」と大呂さん。
ゼロイチ運動が成功した陰には、住民感情というソフト面の意識改革の成功があった。

”集落”から”地区”の活動へ――自然派生するコミュニティ

かつては、森で伐採した木を鉄道で麓までおろしていた。今は観光資源のひとつとして鉄道の展示がされているかつては、森で伐採した木を鉄道で麓までおろしていた。今は観光資源のひとつとして鉄道の展示がされている

1997年からはじまったゼロイチ運動は全87集落中16集落が参加し一定の効果をあげていたが、2001年頃から新たな活動が生まれている。ゼロイチ運動に参加していた集落が協働して、各集落の特産品を持ち寄って朝市を行う等の活動をはじめたのだ。集落という単位を飛び越えて、集落間のコミュニケーションが生まれた好例だ。

これを受けて智頭町は2008年2月に小学校区を単位にして町を6地区に分け、ゼロイチ運動に参加していない集落も強制参加させる「地区振興協議会」を発足し、ゼロイチ運動で生まれた新たな住民自治システムを持続・発展させていく組織をつくっている。さらに、同年4月には地区振興協議会の活動でカバーできない、住民が身近に感じる課題を行政に直接進言し、予算案までも提案する「智頭町百人委員会」を発足、”究極の住民自治体制”とも言える町おこし組織をつくり上げた。

さて、林業が主要産業として成り立っていた1960年、智頭町の人口は14,390人だったが、2014年には7,184人と約半数にまで減少している。少子高齢化で人口の自然減が進み、主要産業を失い職を求めて他県へ移住する人が増えた結果だ。
集落→地区→町と、徐々に住民自治システムを広げ、27年におよぶ町おこしを行った成果はどこに表れているのか――? 実は、数々の住民自治による町おこし運動で智頭町の居住者は増えているのだ。2006年から2013年までの8年間で56世帯・128名が智頭町へ移住している。ただ、居住者に対して人口減が上回っているため人口総数の減少に歯止めがかからない、これが主な産業を持たない中山間地域の現状だ。

”ないない尽くし”の町が見つけた“宝物”

廃校になった小学校は、その集落の住民につかい方を決めさせた。旧山形小学校は、町民へ木工室を時間貸ししている廃校になった小学校は、その集落の住民につかい方を決めさせた。旧山形小学校は、町民へ木工室を時間貸ししている

「町の面積の93%が森です。智頭町の活性化に森の活用は欠かせません」と話すのは智頭町役場企画課の米本勝彦さん。廃校になった山形小学校では、教室のひとつを林業紹介コーナーにし、森に入ることのない現代の子どもが森林に触れる機会を増やしている。また、家業を継いで林業を生業とする若者も出てきた。

さて、1988年に始まったCCPTの活動から27年、町おこしのパイオニアとして前線に立ってきた大呂さんの後継者は見つかるだろうか?
「広い智頭町ですが大半は山なので、実は可住地面積は狭くて集落ごとの人口密度は高いんです。地域に溶け込んで関わっていると、集落の人たちが興味をもって話かけてくれます。そこで”実はこんなこと考えててね”って巻き込んで、興味を持ってもらえたら、もう勝ちですね(笑)」と大呂さん。

自分ごととして町の将来を憂い、自発的に行動する人材を排出する仕組みは、補助金や行政頼みでは生み出せない。強力なリーダーとそれに付いていく人こそが智頭町の宝物だ。
「楽しく社会性のある遊びをしているだけです」という大呂さんの言葉は、各地の住民自治のヒントになりそうだ。

2015年 06月06日 10時18分