「平成の大合併」を拒み、自主自立の道を選んだ村

「平成の大合併」を拒み、自主自立を選んだ十津川村。日本一広い村がとった村おこし作戦とは?「平成の大合併」を拒み、自主自立を選んだ十津川村。日本一広い村がとった村おこし作戦とは?

十津川郷士――歴史の表舞台にたびたびあらわれる彼らが歴史上最初に登場するのは、660年代後半に起きた日本ではじめての内乱戦争「壬申の乱」。後の天武天皇である大海人皇子(おおあまのみこ)に加勢したと言われ、彼らがあげた功績と、米づくりに適さない急しゅんな山に囲まれた地形で、十津川郷はその後1,200年にわたって免租地になった。その後も十津川郷士の名はたびたび日本史に登場し、源平合戦・南北朝の乱・幕末動乱期の天誅組蜂起にも深く関わっていたとされる。他藩に頼らず自治を続けた歴史的背景が、現代の“十津川気質”といわれる自主自立の精神を培ったのかもしれない――。

十津川村は奈良県の最南端に位置する日本一広い村。東京23区よりも広い面積があり、その96%は森林で1,000mクラスの山が100以上ある急しゅんな山なみが特徴だ。村の中心に十津川が流れ、川に沿うように交通の要である国道168号線が通っている。2015年3月時点で54の集落があり、主要な集落は平地に集まっているが、山の頂上や山中にも村民が暮らす集落がある。
主要産業は林業・農業・川魚養殖業と加工業、それに以前から行政が力を入れてきた観光業だ。2004年、ユネスコ世界遺産の「文化遺産における遺跡および文化的景観」に、十津川村内にある熊野古道と玉置神社が登録され脚光をあびた。また、豊富な湯量をほこる天然温泉があり、日本ではじめて「源流かけ流し宣言」をした“秘境の温泉”として注目をあつめている。

2015年3月現在の十津川村の人口は3,651名、最大15,000人あった人口は主要産業の林業衰退にともない人口流出が加速し、少子高齢化と過疎化が進む。しかし、「平成の大合併」で多くの山間地の村が合併するなかで十津川村は自主自立の道を選び、行政と村民あげて村おこしを行ってきた。
今回は、苦難に立ち向かい続ける十津川村の活性化の取り組みについてレポートする。

十津川村にやってきた「世界遺産登録」と「悪夢」

世界遺産に登録された高野山から熊野本宮までを結ぶ「熊野参詣道・小辺路(こへち)」は、十津川村の果無(はてなし)集落にある。世界遺産登録後から人気の観光スポットになった世界遺産に登録された高野山から熊野本宮までを結ぶ「熊野参詣道・小辺路(こへち)」は、十津川村の果無(はてなし)集落にある。世界遺産登録後から人気の観光スポットになった

「2004年6月、十津川村は日本の温泉地ではじめてとなる『源泉かけ流し宣言』をしました。その後、同年7月に熊野古道が世界遺産に登録され、2004年は十津川村の観光業にとって重要な年になるはずでした。『かけ流し宣言』後、入浴者数は対前年比で約40%も上がっていました」と話すのは、十津川村役場観光振興課の増谷良一さん。

十津川村には泉質のちがう「湯泉地温泉」「十津川温泉」「上湯温泉」の3つの高温天然温泉が湧いている。いずれも湯量が豊富なため、日本の温泉地としてはじめて、湯を循環せず沸かさず薄めない「源泉かけ流し宣言」を行った。
また、世界遺産に登録された高野山から熊野本宮までを結ぶ「熊野参詣道・小辺路(こへち)」と、現在も修験者が修行する「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」が十津川村の両脇を縦断するように通っている。公共交通機関は最寄駅から1日数本、乗車時間4時間超のバスのみという交通の便に恵まれない村は、温泉と世界遺産で注目され“日本の秘境”として賑わうはずだった。

「2004年8月、大規模な地すべりが発生して、大阪方面から十津川村への主要道路である国道168号が通行止めになりました。復旧に3年7ヶ月かかり、そのあいだ観光客数はがくんと落ちました」

2004年は十津川村の観光業にとって、まさに栄光と悪夢が訪れた年だった。自然から受けた恩恵と災害は村の観光業を直撃したが、それでも十津川村は、村を活性化する様々な取り組みにチャレンジしている。不通になった国道に迂回路があったように、十津川村の観光にも様々な道があったのだ。

住民の生活道路が、観光地になった

十津川村一番の観光スポットになった「谷瀬の吊橋」。住人は自転車やバイクで走り抜けるという十津川村一番の観光スポットになった「谷瀬の吊橋」。住人は自転車やバイクで走り抜けるという

十津川村南部に、谷瀬集落と上野地集落をむすぶ長さ297メートル・高さ54メートルの「谷瀬の吊橋」がある。1954年に架橋されたこの吊橋は、この集落の村民が800万円という自費を出して架設したもので、現在もつかわれる生活用吊橋だ。この吊橋ができるまで住民は川に丸太橋を架けて行き来していたが、洪水のたびに丸太橋が流されるため、当時の教員の初任給が7,800円という時代に、住民が1軒あたり20~30万円を出し合って建設したという。十津川村民の自主自立の精神がうかがえるエピソードだが、この住民にとって当たり前の生活道路である吊橋が、現在大きな観光資源になっている。

「私たちにとっては当たり前の風景だったのですが、急しゅんな山にかかる生活用吊橋や村の風景に観光客が集まることに驚きました。現在、谷瀬の吊橋は十津川村で一番の観光スポットになっています。村の観光資源は世界遺産と温泉だけでは無いと気がつきました」
山々に囲まれた地形に点在する集落をむすぶために、現在の十津川村には生活道路用の吊橋が60以上あるという。村民が気がつかない観光資源は、まだまだ眠っている可能性がある。

自主自立精神で民間から立ち上がる「村おこしプロジェクト」

官民あげた村おこしプロジェクトで、観光客数は増えつつある官民あげた村おこしプロジェクトで、観光客数は増えつつある

少子高齢化と過疎化で村の人口は減り続けている。行政は、空き家バンクや地域おこし協力隊を利用して若い移住者を増やす努力を続け、空き家バンクでは約10名の移住者を生んだ。ひとつ十津川村が特徴的なのは、Uターン者が多いこと。現在約100名いる村役場の職員は、半数程度がUターン者だという。

民間主体の活動も活発だ。2011年、十津川村にある神納川集落で、民間による村おこしプロジェクト「かんのがわハッピー・ブリッジ・プロジェクト」が立ち上がった。廃校になった学校を利用し、農村体験のできる林間学校や、農家に宿泊し田舎暮らしを体験できる農家民宿などの活動をおこなっている。また、世界遺産の熊野参詣道が通っている集落では、熊野古道を熟知した地元住民が「語り部とゆく世界遺産ウォーク」を開催し観光促進に取り組んでいる。
ピーク時に120万人あった観光客入込客数は、国道通行止めと紀伊半島大水害で64万人にまで減少したが、2013年には約76万人にまで回復している。

行政頼りではなく、集落ごとに村おこしを行う活動は十津川村だけに見られることではないが、村民が村おこしの傍観者になることなく、村の現状に問題意識を持ちながら公民あげて取り組む姿勢は、過疎化が進む他の地域のお手本になるだろう。

「2011年の紀伊半島大水害で十津川村は大きな被害を受けましたが、村民は集落ごとに助け合い自主避難をしていました。役場の職員が駆けつけると、“役場は大丈夫だった?”と逆に聞かれて頼もしかったですね。今でも田んぼをつくるときは集落で手助けするのが普通ですし、昔から集落ごとの自治が成り立っている村だとおもいます」

森林に寄り添って暮らす――自然そのものが観光資源

2012年にスイスで開催された「第65回ロカルノ国際映画祭」で、映画『祈-Inori-』が新鋭監督部門の最優秀グランプリを受賞し、映画の舞台になった十津川村神納川地区が注目を集めている。また、世界遺産の熊野古道小辺路がある「果無集落」には、週にバス2本という交通の便ながら多くの人々が観光に訪れる。
観光業は少しずつ成功事例が増えているが、注目される集落があっても過疎化が止まらない現実がある。最大時の5分の1に減少した人口をこれ以上減らさず、安定した地域社会にするために知恵を絞っていかなくてはいけない。

「雨が多いので災害もありますが、静かな良いところです。都会は人が多くてごちゃごちゃしていて怖いし、やっぱり十津川村が好きです」とは、村で出会った住人談。
村を歩いてみると、その気持ちが理解できる。森林からつくられる清涼な空気と、気さくで人柄の良い村民、夜は暗く静かで、山の向こうから朝陽がのぼる姿は本当に美しい。
自然から感じる匂いや味は人間の原点であり、その感覚への渇望は消えることは無いだろう。人間は自然に寄り添って暮らしていくもの――この感覚に気付かされる自然こそが、十津川村最大の観光資源だ。
この観光資源に気が付き、観光客を増やした経緯で萌芽は見えてきた。平成の大合併にも、バブル期のハコもの中心主義にも乗らず、賢くしたたかに生き残ってきた村の今後に注目だ。

村民が口を揃えて言う「十津川村が好き」。この景色を見れば納得するのではないか――世界遺産のある果無集落から撮影村民が口を揃えて言う「十津川村が好き」。この景色を見れば納得するのではないか――世界遺産のある果無集落から撮影

2015年 04月02日 11時09分