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STOCK & RENOVATION 2014

ストック型社会への転換を中心的に牽引する中古住宅のリノベーション。ここ数年存在感を強くしていて、今後もさらなる拡大が予想される市場について、2014年時点での到達点と課題をまとめました。

2014.06.17

モモが問いかけること

現在という時間は刻一刻と未来に進みながら、現れたまさにその瞬間に流れ去って過去になっていく。一瞬たりとも立ち止まったりはしない。だから、今というこの瞬間をつぶさに眺めることも存分に味わい尽くすことも、私たちには出来ない。私という身体が感じている現在の世界は、神経の伝達速度で流れ去った過去の世界なのだ。

現在を知覚する私という存在が、絶えず現在を過去に変えながら未来へと進んでいく運動体であるならば、時間という概念に対して、私たちはもう少し慎み深くなければいけないのではないか。タイム・イズ・マネー。時間を無駄にするな…、いや、そういうことではない。

むしろ、私たちはそういうことに囚われすぎて、時間を少し粗末にしてはこなかっただろうかという反省である。「意識を後方へ、ある過去の行動あるいは思想へ及ぼせる限り、それだけ遠くその人物の同一性は達する【1】」とジョン・ロックは言う。人格の同一性は記憶によって担保されるということである。人格とは記憶として堆積した時間でもあると、言い換えることもできよう。児童文学作家のミヒャエル・エンデは「時間とは、生きることそのもの」と言った。このことに、私たちはどれほど自覚的でいるだろうか。

エンデは、彼の代表作である『モモ』の中で、ひとりひとりの人間の持つ時間をどれひとつとして同じものがないユニークな花として表現した。「ナンバーワンではなくオンリーワン」というメッセージを歌った「世界で一つだけの花」は、まさにマイスター・ホラが支配する時間の国でモモが見た、咲いては散っていく唯一無比の奇跡の花である。またそれは、サン=テグジュペリが『小さな王子』の中で提示した、自分だけのかけがえのない存在になったバラの花にも通じるところがある。

『モモ』に出てくる時間泥棒の灰色の男たちは、言葉巧みに人々をそそのかし、彼らの花をこっそり搾取することで生命を維持していた。将来のために時間を節約したつもりの人々は、創造性を失い、人と人のつながりは切り捨てられ、世界は画一化され、そうして彼らの暮らしはやせ細っていったのである。

死すべき者の在り方・居方としての住まい

ひとりひとりの個性が花で隠喩されるように、そこには人間の時間における有限性の前提がある。「存在」を主題に哲学をしたハイデッガーは、「人間だけが死ぬことができる」という有名な命題で、人間を「死すべき者」と表現する【2】。そしてハイデッガーは、死すべき者である人間が「ある・いる」という存在性について、「《私がある》というのは『私が住まう』であり、《君がいる》というのは『君が住まう』ことである」、「住まうことは、死すべき者がこの地上に存在する在り方である」【3】と、ドイツ語の「建てること(バウエン)」という言葉の奥底を掘り下げることで、人間の在り方と住まいがもともと不可分に重なっていることを見出した【4】

—「死すべき者は〈住まうことを、まず、学ばなければならない〉。住まうことに〈固有の〉危機、それは人間の『故郷の喪失』ということになる。この危機を〈そのようなものとして〉よく考えないとしたら、いったいどういうことになるのだろう。」 (中村 1990、p46)

私たちが、よく「住まい」を考えることがいかに重要かを説く、非常に深い問いかけだが、困ったことに少々難解だ。誤訳を覚悟でもう少し日常的な感覚で言い換えると、「その人の家は、その人そのもの」という表現になるだろうか。引っ越し好きの不動産フェチを自認するミュージシャンの大江千里が自分の住まい遍歴を振り返る言葉が、私たちの肌感覚に近い。

—「今まで住んできた家は僕の人生そのものである。僕が何を選び何を捨ててきたか。何を大事にして生きてきたか。そういうことだと思う。家相みたいなものがもしあれば、それは僕の額の皺とどこか似ているだろう。」 (大江千里(2003)『僕の家』、角川書店、p12)

私が私らしく在るためには、空間とその中に流れる時間を私らしく操らなければならない。私たちの誰もが「自分らしく」ありたいと願うならば、それは「住まい」の在り方を問うことを避けては通れない。私たちがそれぞれ個性的である時、本来「住まい」もそれぞれ個性的である。私たちのアイデンティティが記憶によって作られているなら、それは住む場所に蓄積した時間である。私たちが時間に無自覚ではなかったかという反省は、こういうことを意味している。

エンデは『モモ』の中で繰り返す。

—「時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。」

日本人は本当に豊かなのか

クオリティ・オブ・ライフの3要素と言われる衣食住のうち、「衣」と「食」については、少なくとも国民の平均的水準で比べれば、日本人は世界最高水準の豊かさを手にしていると言い切っても大きな異論は出ないだろう。ミシュランの星付きレストランを数えるまでもなく、日本の食文化のレベルは、バリエーションの豊かさ・技術・安全性・コストパフォーマンスのどれをとっても、世界のどの国にも決して負けないと自負出来る。ファッションも、最先端のモードはヨーロッパで作られるとしても、街の若者のファッション・センスは決して欧米人にも負けてはいない。バブル期のようにこれみよがしなブランド物をありがたがる風潮も少なくなった。それだけ私たち日本人は豊かになったのだ。

それに比べて私たちの住まいはどうだろう。欧米の住宅事情と見比べると、平均的な生活水準の国民の住生活の貧しさが目立つことは否めない。かつて欧米人からうさぎ小屋と揶揄されさた狭さのことだけを言っているのではない。日本では誰もが欲しがる新築の住宅は、耐震性能と充実の住宅設備機器以外で、欧米の古い住宅に対して誇れるものがあまり見当たらない。

例えば、スマートハウスや次世代エネルギー基準と宣伝される日本の新築住宅の多くは、ドイツの基準では建てることすら許されないレベルの断熱性能しか持ち合わせていない【5】。不動産という面では特に遅れが大きい。日本のように中古住宅が流通せず、建物が築20年超でほとんど無価値になってしまう不動産市場など、先進国においては考えられない。海外取材の際、「価値がなくなっていくと分かっているものに金利を乗せて買うなんて、日本人はどうかしているんじゃないか?」と真顔で言われたことがある。返す言葉がなかった。

ハード面、ソフト面ともに、ごく普通の国民が享受する住宅のレベルは未だに欧米先進国に追いつけていない。しかし、それよりも何よりも見劣りがするのは、住まい手の住まいに対するマインドであると思う。

私たちは食やファッションを語るように、住まいを語る言葉を持っているだろうか。食材を選ぶように住宅の建材に注意を向けることがあるだろうか。栄養バランスを気にするように住宅のコンディションに気を配ることがあるだろうか。料理人を賞賛するように建築家や大工の仕事を愛でることがあるだろうか。毎朝の身だしなみに気を使うようにインテリアについて心を砕いているだろうか。ワインのヴィンテージを楽しむ関心を、住まいに対して持てているだろうか。

根本的な問題は、日本人が住まいを手に入れる仕組み、̶経済成長期のモデルと価値観から脱し切れていない日本の住宅不動産市場にあると考えている。量的拡大を命題とする大量生産システムでは、供給者の論理=効率の良さが住まい手の個別性に優先する。数百世帯の大規模マンションでも数パターンに集約されたプランがあてがわれ、ユーザーはそのようなものとして均質化された住まいを受け入れる。売り文句はマンションポエムと皮肉られる意味不明の言葉だ。戸建住宅では、南欧風だとか北欧風だとかの風味をまぶした珍妙なファサードが、南欧や北欧とは似ても似つかぬ地域に個性として売り捌かれる。どちらにせよ内部空間は施工性の良さが支配する世界で、私たちの住まいの内側は、エイジングすることはなくただ劣化していくだけのフェイクの新建材で覆われる。新築至上主義の市場は、竣工の瞬間が最高・最良の状態であるという価値観を密かに徹底し、時の流れを否定的な要素にしてしまう。

住宅の数が充足した中で追求される着工数の量的拡大は、スクラップアンドビルドと並走しなければならないことも大きな問題である。何気なく毎日通り過ぎていた建物がある日突然解体されたことで、それが自分にとってささやかなお気に入りの風景であったことに気付かされることはないだろうか。それは、例えそれが見ず知らずの誰かが所有する建物であったとしても、自分の中に確かにあった何かが破壊されたという小さな痛みなのである。

大江千里は、いつもの散歩道の途中に建っていた大好きな白い家が解体されていく現場をたまたま見かけた時のことをエッセイに綴っている。

—「その白い物体が、本当にある日突然、忽然となくなったのだ。まずトラックが3台その家の前にきた。家は全体に囲いを被せられ、瞬く間に粉塵をあげながら消えていった。囲いの隙間からおそるおそる覗いてみたら、シャベルカーがおもちゃを壊すようにどんどんオートマチックに破壊していった。僕の好きだったすりガラスをはめた玄関先の小窓も、光をいっぱい吸い込みそうな南向きの窓も、あっという間に綺麗さっぱり消えていった」 (前掲書p173)

新たに建てることが絶対的正義であるシステムは、既存建物が蓄積していた時間の「取り返しのつかなさ」について一瞥もくれることなく解体していく。私たち日本人は誰でも、自分が住むまちで、わりあい日常的にこのような喪失を経験しているはずである。さらに悲しいことに、このような心の痛みに対して鈍感になってしまっている。

私たち日本人は、平均的な国民なら誰でも、望めば新築住宅を手に入れる自由を手に入れた。それは細心の注意で傷ひとつなく仕上げた、完璧にパッケージングされた住まいだ。しかし果たしてそれで国民は本当に幸せになれたのだろうか。日本人が努力して築いてきた経済力や文化的水準に見合うだけの豊かな住生活を手に入れられたのだろうか。私たち日本人の「住まうこと」は、本当に自由なのだろうか。この点に関する強烈な違和感が、HOME'S総研の問題意識であり、本報告の主発点となる。

文:HOME'S総研所長 島原万丈

【1】ジョン・ロック(1974)『人間知性論 2』大槻春彦訳、岩波文庫 p313

【2】信太光郎(2012)『死すべきものの自由—ハイデガーの生命の思考』東北大学出版会

【3】中村貴志訳・編(1990)『ハイデッガーの建築論 ̶建てる・住まう・考える』、中央公論美術出版 p12

【4】漢字の「住」の「主」は、燭台で静止する火の象形文字で、「住」は人が動きを止めて留まることを意味し、(心が)「澄む」「清む」に通じる。

【5】村上敦(2012年)『キロワットアワー・イズ・マネー エネルギーが地域通貨になる日、日本は蘇る』いしずえ、p164~166

報告書

全データ

報告書全体(67.3MB)

各章データ

  1. PROLOGUE(1.5MB)

  2. 1:リノベーションを広める(60.8MB)
    1. 1-1

      [概論]日本の住宅市場の課題と成長可能性

      HOME'S総研所長 島原万丈

    2. 1-2

      既存住宅関連の住宅政策動向

      不動産コンサルタント/リックスブレイン代表 平野雅之

    3. 1-3

      リノベーションに関する調査レポート

      株式会社アンド・ディ 代表取締役 橋口理文

    4. 1-4

      企業レポート]リノベーション業界の現状から見る、市場拡大の可能性

      フリーエディター&ライター 介川亜紀

  3. 2:リノベーションを深める(5.0MB)
    1. 2-1

      リノベーションの物語論/試論

      ペピン結構設計 石神夏希

    2. 2-2

      「住まい」の幸せ論

      SFC 制作・メディア研究科博士課程 小野有理

    3. Photo Report「BROOKLYN&PORTLAND」

    4. 2-3

      リノベーション事例レポート2014① —6組の住まい手のリアルボイス—

      エディター 佐藤可奈子

    5. 2-4

      リノベーション事例レポート2014② —カスタマイズ賃貸住宅に住まう人たち—

      HOME'S事業本部 賃貸・流通営業部 石川 唯

  4. 3:リノベーションを語る(5.2MB)
    1. 3-1

      リノベーション・クロニクル ver.1
      ―日本のリノベーション住宅はどのように広がってきたか―

      HOME'S総研所長 島原万丈

    2. 3-2

      [座談会]リノベーションはどこに向かうのか
      ―むかし、いま、未来。リノベーション・クロニクル再論―

    3. EPILOGUE

      住まうことの自由へのリノベーション

      HOME'S総研所長 島原万丈

DATA編

リノベーション年表(1.4MB)

リノベーション市場実態調査
(33.3MB)

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