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【月刊ニシアワー4月号】ミツマタ咲く、甚太郎ひのきの森


この4月からニシアワーレポーターを務めることになりました、西原貴美です。

西粟倉にはミツマタの花が咲く美しい森があります。延東義太(えんどう よした)さんの森もそのひとつ。この森に足を踏み入れると、満開のミツマタの花が出迎えてくれました。辺りには、かすかに甘い花の香りが漂っています。前から、どこかで嗅いだことのある香りだな、とずっと気になっていたのですがミツマタは沈丁花の香りをずっと薄くして、少し甘さを抑えたような香りがするんです。甘い花の香りに包まれ、木から差し込む木漏れ日の中をのんびり歩いていると、春だなぁとしみじみ嬉しくなりました。

義太さんの森の中には「甚太郎ひのき」と、私たちが呼んでいるとても立派なひのきがあります。「甚太郎ひのき」は現在、樹齢85年。真っ直ぐに立つ美しい樹、木漏れ日の射す明るく豊かな林床。今まで、いくつものひのき林を見てきましたが、ここよりも美しい森を私はまだ見たことがありません。

このミツマタの木を植えたのが義太さんのおじいさんである延東甚太郎(えんどう じんたろう)さん。甚太郎さんが85年前(1927年/昭和2年)に木を植え、お孫さんである義太さんが受け継ぎ、丁寧に手入れされてきた美しい森です。実は、今、こんな風に春にミツマタの花を楽しむことが出来るのも、甚太郎さんのおかげです。昔、甚太郎さんがひのきを植える時に一緒に植えたミツマタがどんどん増え、長い年月を経て、現在の風景が出来上がったのです。ミツマタの樹皮は、紙幣の原料としても有名。昔は冬の貴重な収入源でもありました。冬、雪で山仕事ができなくなると、ミツマタを伐り、皮を剥いて出荷して収入を得ていたそうです。

トリイテーブル制作のために伐採された、甚太郎ひのきの切り株

甚太郎さんが生まれたのは、1871年(明治4年)。江戸から明治へと、日本が大きく動き始めた時代です。甚太郎さんは、昔には珍しく背が高くて恰幅のいい大男だった、と義太さんは言います。甚太郎ひのきが植えられて数年後に初孫の通(とおる)さん(義太さんの兄)が生まれています。おそらく孫のことを想いながら真夏に下刈り作業をしておられたのだと思います。甚太郎さんの息子さんであり、義太さんの父親である貞雄さんは、1944年(昭和19年)に義太さんが4歳の時に病気で亡くなられており、義太さんの11歳年上のお兄さん、通さんも、義太さんが中学生の時に病気で亡くなられたそうです。漠然と、父の代わりに山を継ぐのは兄だと思っていた、という義太さんですが、中学生の時にお兄さんが亡くなられたのをきっかけに、甚太郎さんと一緒に山に入り、山の仕事を覚えることになります。



「まさか自分がやると思っとらんかったから、アワアワした。でも、(山の話を)聞いとってよかったんじゃろうなぁ」

義太さんは言います。小さい頃から、毎日のように夕飯時に聞いていた山の話が、とても役に立った、と。甚太郎さんが亡くなられたのは義太さんが17歳の時。高校生が山を継ぐなんて、今では考えられません。

印象に残っているエピソードがあります。夏、高校の友人同士で海に遊びに行く話で盛り上がったときのこと。行きたい気持ちはあるけれど、義太さんは下刈りの仕事があって行けそうにありません。仕方なく諦めようとした時、友人達がみんなで下刈りを手伝ってくれて、一緒に海に遊びに行くことが出来たそうです。その時は、ものすごく嬉しかった、と。このお話を聞いて、少し考えさせられました。私は今まで、義太さんが若くして山を継いだという事実を当たり前に受け止めていました。でも、当時、高校生だった義太さんが一体どれだけの覚悟で山を継いだのか、もし自分だったら、と考えると途方にくれてしまいます。

「先祖から預かったものを粗末にする訳にはいかんがな。預かったものだけえな」という義太さんの言葉。山は、貰ったものではなく、預かったものであり、受け継いでいくものだという想いが垣間見えた気がしました。

「さみしいけど、(次には)繋がらんじゃろうなぁ」

『義太さんが手入れされてきた山は、次の世代に繋がっていくのでしょうか』と聞いたときの答えです。「山仕事は、今の勤め人には出来んですわ。時間がないし、儲からん」とも。息子さんである省典(よしのり)さんが山に入ることを期待していない訳ではないけれど、無理強いはできない、だから諦めたつもりでいる。私にはそんな風に聞こえました。

最近になって、義太さんが山について語るテレビ番組を見た省典さんから「ちいとは(少しは)親父の言葉が分かるような気がしだした」と言われたそうです。「ほんまに分かっとるんかなぁ」と、嬉しそうに話す義太さんを見て、なんだか私も嬉しくなりました。

例えば、省典さんが定年後、山に入り、木を植えるかもしれない。私の勝手な想像だけれど、可能性は充分にあるはずです。形が変わっても、木を植え、伐るという時間のサイクルが変わっても、かつて大切にされていたものがこれからもずっと続いていく、それが、ニシアワーな暮らしなのです。

義太さんのお孫さん、現在3歳。甚太郎さんからすると、孫の孫、玄孫(やしゃご)にあたります

彼は、高祖父(おじいちゃんのおじいちゃん)である甚太郎さんが植えた「甚太郎ひのき」が山から伐り出され、製品になるまでを自分の目で見ることが出来ます。木を通じて、会えるはずのなかったご先祖さまに会うことが出来る、それは、私からすれば信じられないくらい贅沢なことです。

丁寧に積み重ねられた時間が生み出す、豊かな暮らし。その百数十年の時間を想うと、私なんかが決して軽率なことは言えません。それでも、それを自分の目で確かめることのできる彼が、羨ましくて仕方ありません。そして、その豊かな暮らしが、これからも続いていくことを願うばかりです。

「甚太郎ひのき」の森を歩く義太さん


義太さんの山からの帰り道でのこと。林道を歩いていると、ふと隣のひのき林が目に入りました。ちらっと見ただけで、思わず声が出ました。

「こんなに違うんや・・・」

間伐が不充分で、密集して立っている木々。そのために林床は暗く、もちろんミツマタも生えていない。それは、森林について学んできた大学時代によく見ていた、一般的な植林地の姿でした。だからといって、一概にそれらを責めることは出来ないし、手遅れなわけでもありません。今からきちんと手入れをすれば、見違えるような美しい森に変えていくことが出来るからです。



西粟倉村の木を使い家具を作っている「木工房ようび」では、いま「甚太郎ひのき」で作る「トリイテーブル」製作の真っ最中です。「木工房ようび」の家具職人である大島さんは言います。「ものづくりというのは、自分だけで完結するのではなく、誰かと誰かの間にあって、バトンを渡されているのだ。」と。

さまざまな想いを持った人たちが、さまざまな形で繋ぐ想いのリレー。ひのきの木に宿る想いのバトンは、甚太郎さんから孫の義太さんへ。そして木工房ようびの家具職人、大島さんへとリレーしてゆきます。

85年前「甚太郎ひのき」が植林されたのは、ちょうど今頃、ミツマタの花が咲く頃でした。


(画像をクリックすると大きくなります)

春、雪が溶けて暖かくなってくると、山では前の年の冬に伐った木を山から降ろして、地拵え(じごしらえ)をします。そうしておいて、田んぼが忙しくなる時期までに木を植える。春に植林を行うのには、ちゃんと理由があります。田植えが終わると、やがて梅雨が来て山に恵みの雨を降らせます。雨のおかげで土には充分な水分が行きわたり、幼木が枯れずにきちんと根付きます。そして夏には、どんどん伸びてくる下草を刈り、秋、冬になれば枝打ち、間伐を行う。こうして、昔から私たちは、季節がめぐる中で四季の移り変わりに寄り添い、田んぼや畑を耕し山の手入れを行ってきました。
木を植え、育て、伐り、また植える。ぐるぐるめぐる、めぐるめく時間。ニシアワー。

レポーター : 西原貴美(株式会社 西粟倉・森の学校)

今後も、ニシアワーレポーターとして、心をこめてニシアワーをお伝えしていきます。



人が、森の生き物の一員になり森の時間に寄り添って暮らす。
季節がめぐる、命がめぐる、ぐるぐるめぐる。ニシアワー。



ゴールデンウイークに、このトリイテーブルのひのきが生えていた、甚太郎さんの森に行くツアーがあります。詳しくはこちらから。
トリイテーブルのひのきが生えていた、延東甚太郎さんの森を歩こう

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