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【月刊ニシアワー1月号】冬のごちそう「火」



1月。二十四節気でも小寒から大寒という、1年で最も寒い季節です。西粟倉村はこの時期、雪に埋もれています。本当にとっても寒いので、何をするにもまず暖をとることから始まります。

私のお隣には、みんなから「小松先生」と呼ばれて慕われている、もともと中学校の先生をされていた84歳のおじいちゃんが住んでいます。凍てつく寒さのこの時期、小松先生は外仕事の前には必ずたき火をします。小松先生は、「冬はたき火が一番のごちそうじゃからな。」と仰います。寒い冬にみんなで囲む火というのは、それくらいありがたくて大切なものなのです。

今、ほとんどの人が電気や化石燃料を使って暖をとっていますが、まだ電気や化石燃料が普及する前はどのようにして暖をとっていたのでしょうか。昔の暖のとり方を小松先生に聴いてみると、ある時期に火の使い方がガラっと変わったということ、そして人々の暮らしも一変したということがだんだんとわかってきました。

昔使っていた炬燵を、今はテーブルとして使っている小松先生。



暮らしの中心にあった「火」

「昔は、暖房器具といえば炬燵と囲炉裏じゃったなあ。今はもうみんな電気ごたつになっとるけど、昔はみんな火鉢じゃったからなあ。」
炬燵といっても今みたいな電気ごたつじゃなくて、火鉢を置くんです。火鉢の上にやぐらを置いて、布団をかけて、四方から脚を突っ込んで寝る。炭に灰をかけておくと火の持ちが良くて、中でも藁の灰が一番良かった。電気ごたつのような目盛りは付いてないけれど、灰のかけ方で温度調節をすることができました。



また、当時はどの家にも囲炉裏がありました。
「囲炉裏には網を置いてな、芋や魚や餅を焼いたりしたし、角には五徳というのが置いてあって、そこにも鍋を置いてたんじゃ。大抵のものは囲炉裏で煮炊きできるし、生活の中心に囲炉裏があったなあ。」
昔の子どものおやつと言えば、たき火で焼き芋なんかをしていたのかなあと勝手に想像していましたが、家の中心には囲炉裏があり、芋くらいならわざわざたき火をしなくてもすぐに焼けたようです。

囲炉裏を囲むときの座席は、横座に家長、隣に息子。反対側に奥さん、正面の下座にはお嫁さんと行った具合で決まっていました。男が座るのは畳、女が座るのはむしろだったそうです。このころ、女性の職場は家庭の中にありました。男性も、外とはいえ、自分たちの地域で生業を営んでいました。
「昔の女の人は、よう耐えとったもんじゃ。井戸端会議というのがあるけど、内容はろくなもんじゃない。ほとんど愚痴だったんじゃろう。女の人は職場に寝泊まりしとるようなもんじゃったからなあ。」

いつも家族は家の近くにいて、食べるものもエネルギーもほぼ自給。そして家族で火を囲むということが当たり前の暮らしが、そこにはありました。


「焚きもんがいっぱい貯まったら、これでこの冬は越せると豊かな気持ちになってなあ。」

炬燵にあたるにも、囲炉裏を囲むにも、たき火をするにも、必要なのは薪や炭などの「焚きもん」。焚きもんを良く使っていた頃、農村には薪炭備林(しんたんびりん)と呼ばれる薪や炭をとってくるための山がたくさんありました。また、当時の農家は田んぼを耕したりするために一家に一頭牛を飼っていたので、山は牛のエサのための採草地でもありました。今でこそ西粟倉の山もほとんどがスギやヒノキの人工林になっていますが、昭和20~30年代までは採草地と薪炭備林が広がっていたのです。
焚きもんさえれば、とりあえず火を確保することができて、お湯を涌かすこともできました。



「戦時中、平地の方に奉公にいくことがあったんじゃけどな、平地は焚きもんが無いのがかわいそうで。この辺だと薪にするもんはいくらでもあるけど、私は麦を刈るのを手伝いに行ってて、そこでは麦わらを焚きもんにしとった。お風呂の湯をわかすにも、焚きもんが貴重じゃからお湯もほんの少しでなあ。焚きもんがないのはかわいそうじゃなあ。」
たくさん貯まると豊かな気持ちになるほど大切なものだった焚きもん。しかし戦後、電気や化石燃料の普及とともに、農業の在り方も暖のとり方も変わり、牛も薪も炭もその必要性を失っていきました。


「この歳まで生きると思ってなかったしなあ。人生でこんなに変化があるとは思ってなかった。」

先生が生きてこられた84年間は、大きな変化の時代でした。
「この辺りでは昭和38年に水害が起きたんじゃけど、それでここらの人の暮らしが変わってしまったなあ。水害からの復旧工事には女手もかり出されたから、女性が外に仕事をもつようになったんじゃな。」



昭和30年代後半から、社会全体でだんだんとエネルギーが変化していきました。この頃にテレビも一般的に広まり、物と情報が一気に流入して貨幣経済というものが突然始まりました。西粟倉ではそれとほぼ同じタイミングで水害が起こり、暮らし方の変化を加速させたようです。男女ともに外に仕事を持つようになり、いわゆる勤め人になりました。それまでは食べ物もエネルギーも自給していたのに、外で働いて貨幣を得て、外から買うようになったのです。そうして働く場所が家族でばらばらになり、大人が家にいる時間はどんどん短くなっていきました。

小松先生は、このような時代の変化を教師として見つめて来られました。昭和30年代後半からの転換期、「あの頃は教師も本当に困った。」と言います。
「女性が外に仕事を持つようになって、鍵っ子が増えたんじゃ。この頃から村の外へ子どもたちが出ていって、万引きなんかをしてくるようになった。どうしたものかと本当に大変じゃったなあ。」
水害による働き方の変化に加えて、社会全体の近代化による情報の流入。そんなことが、当時の西粟倉の子どもたちの教育に大きな影響を与えていたようです。先生曰く「子どものお守を金にさせるようになったんじゃ。」と。

「災害というのは世の中を変える働きをするものじゃ。」「一生の中に、大きな変化があったなあと思う。」と話す小松先生は、昭和2年生まれです。先生が還暦を迎えた年に、私が産まれました。1人の人生の中で、こんなにも変化がある時代なのかと、そのスピードに改めて驚かされました。


エネルギーを見直す

冬のごちそうである「火」の扱い方について改めて考えてみると、農村で食べ物もエネルギーも自給していた時代の暖のとり方は、山を管理して、伐り出してきて、薪割りをして、火のお世話をするといったもの。そうせざるを得ない時代だったとは言え、暖のとり方1つとっても、森と寄り添い丁寧に暮らしてきた様子が伺えます。これから先、限りある資源を分け合いながら暮らしていかなければならない私たちは、エネルギーの在り方、それこそ火の扱い方を見直していくべきなのかもしれません。

2011年の3月に起こった震災、そしてそれによる原発事故。このことをきっかけに、多くの人がエネルギーの在り方について考えたのではないでしょうか。私もあれから、少なからず自分の生活や将来について悩み続けています。さらに今回小松先生のお話を聴きながら、エネルギーについて改めて考えるようになりました。




田舎も石油依存度は高いんです。

とても大きな変化が求められているのは感じるけれど、あるべき姿を思い浮かべて実践しながらも、矛盾を抱えながら日々を過ごしている人も少なくないと思います。例えば、今回の事故をきっかけに原発に頼らない生活や持続可能な生活を求めて田舎に移住した人も少なくありません。しかし私はこの西粟倉村で、つまり人口1600人足らずの山村で、いわゆる今の田舎の暮らしというものは必ずしも持続的というわけではないということを、実感しています。

家での暖房には石油ストーブやハロゲンヒーターを使っていますし、また、田舎では自家用車が必需品です。1人1台所有している家庭も珍しくありません。出勤にしろ、買い物にしろ、車がないと生きていけないのです。さらに農業をするにも、林業をするにも、石油は欠かせないしくみになっているのです。エネルギーも自給できたらと思いつつ、石油依存から脱出できていない現実があります。たとえ少しでも食べ物を自分で作れたとしても、燃料に関して言えば、都市部よりも断然消費量が多いのが田舎なのです。

どこにいても、石油依存の暮らしからは離れにくいのが今の社会だと思います。増え続けてきた人口、それにともない急激に上がったエネルギー需要、そして、エネルギー源。何からどう対策をとって良いのかも、どのくらい技術開発が進んでいるのかも、そもそも現状がどのくらい危機的状況なのかもわかりません。よくわからないけれど、今のままの暮らしが続けばこの危機を乗り越えられないという気が、なんとなくしています。


これからの暮らしを考える

「ニシアワーな暮らし」というのも、実はまだ誰も明確な答えは持っていません。けれど、自分が使う分のエネルギーは自給できるような、そんな暮らしなんじゃないかと思います。そしてそのエネルギーの源は、地域の生態系を壊さない程度に自然から頂くものなんだと思うのです。まだ明確な答えは誰も持ち合わせていないけれど、なんとなくそっちなんじゃないかという方向の先に、明るい未来があるような気がします。
不安でいっぱいの未来。それでもなんとか笑って暮らせる未来をつくっていけたらと思います。


「冬はたき火が一番のごちそうじゃからな。」という小松先生の名言に、エネルギー問題、そして将来のことまで考えるきっかけを頂きました。60歳も年上の人生の大先輩のお話が、私にとっては一番のごちそうだったのかもしれません。


レポーター : 熱田尚子(株式会社 西粟倉・森の学校)






人が、森の生き物の一員になり森の時間に寄り添って暮らす。
季節がめぐる、命がめぐる、ぐるぐるめぐる。ニシアワー。

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