元遊郭・元耳鼻咽喉科、昭和の変遷を見てきた建物を「福祉×カフェ」に

山口県下関市は歴史ある港町であり、古くから海運・貿易・金融・水産業が盛んで、近代捕鯨の基地としても大変栄えた。現在は、一般人にも開放された唐戸市場が観光地として人気で、海響館(しものせき水族館)やカモンワーフなどウォーターフロント再開発事業に力を入れている。

伺ったのは、下関駅を挟んでその唐戸地区とは反対側にある新地町。明治初期に芝居小屋ができ、大正〜昭和の戦後しばらくは映画館などのある市民の娯楽の中心地だった場所だ。「新地遊郭」と呼ばれる遊興の地でもあり、遊郭や置屋が多数あった。戦災を逃れ、戦後は都市計画や大きな開発から外れたため、複雑に路地が交錯し、その頃の趣深い建物が多く残る。現在はドーナツ化・高齢化が進みつつある住宅地になっている。
今回は、下関で障がい者のサポートを行っているという「mimi hana カフェ」にお邪魔し、mimi hana カフェオーナー・NPO法人シンフォニーネット理事長の岸田あすかさんにお話を伺った。

「この辺は昔、マルハ(現マルハニチロ)さんのおかげですごく潤っていて、人もたくさんいて、船乗りさんの遊ぶ場所がたくさんあった地区だそうです。この建物は築年数もわからないんですけどね、元遊郭と元質屋の建物で、その2つをぶち抜いて昭和の中頃から平成10年代くらいまで耳鼻咽喉科として営業されていました。」(岸田さん)

カフェの名前の由来は、元耳鼻科だからだそう。外観は、リノベーションした今どきのカフェにしか見えないが、ここは実は「障がい者福祉事業所」である。

元遊郭と質屋だった建物。築年数は不明。2つを合わせて数十年耳鼻咽喉科として営業していたものの、閉院して空き家となっていた。改装の際はその珍しさから、地元山口大学から学生達が実地研修と称したお手伝いに来てくれたそう元遊郭と質屋だった建物。築年数は不明。2つを合わせて数十年耳鼻咽喉科として営業していたものの、閉院して空き家となっていた。改装の際はその珍しさから、地元山口大学から学生達が実地研修と称したお手伝いに来てくれたそう

mimi hana カフェの仕組み

2階ふれあいコーナーの動物たち。うさぎには「たかすぎ」「よしだ」「いとう」「くさか」と下関にゆかりのある人物の名前がつけられている。動物たちのお世話も利用者さんの仕事2階ふれあいコーナーの動物たち。うさぎには「たかすぎ」「よしだ」「いとう」「くさか」と下関にゆかりのある人物の名前がつけられている。動物たちのお世話も利用者さんの仕事

柔らかい光の差し込むカフェスペースには、乳幼児向けの椅子が多数用意され、ボールプールのある部屋では、小さな子どもを遊ばせながらお母さん達がゆっくりと食事ができる。2階には併設の動物ふれあいコーナーがあり、うさぎやリスと遊べる。入り口には物販スペースや、冊子・フライヤーを置いた場所があり、冊子の細部に目を通すと、やっとここが福祉関係の施設だとわかる。

mimi hana カフェは「就労継続支援B型」の福祉サービス事業所だ。
自閉症や発達障がい等の方で、就労に向けて準備したい人や、一般就労を目指すのはまだ厳しいけれども社会とのつながりを持ちたい人が利用者として就業体験を行う。仕事内容はカフェでの接客や調理、動物のお世話、手芸雑貨製作など。
現在、定員26名のところ、下関市内などから20名ほどの登録があり、約10名がコンスタントに通っているそうだ。その他スタッフが8名在籍している。就労支援サービスを受ける期間に特に制限はない。最長65歳までずっと通うことができる。

「中には、ここに通いだして3ヶ月位で新しい就職先を見つけてくる利用者さんもいます。」(岸田さん)
利用料は、障害者総合支援法による自己負担額が発生する場合はその自己負担分と、食費のみだという。

「カフェ運営での利益分は、利用者さんへの工賃として還元します。そこをもっと上げられるようにしたいですね。」(岸田さん)

この子たちの「居場所」を。はじまりは障がいと真摯に向き合う親の想い

代表の岸田あすかさん。やわらかな笑顔は、そこにいる人を優しく包み込む代表の岸田あすかさん。やわらかな笑顔は、そこにいる人を優しく包み込む

岸田さんは、1999年から月に2回ほど、地元の小学校を借りて、「自閉症・発達障がいの子どもと親が集う会」を始めた。活動のきっかけは、岸田さん自身の子どもが自閉症だったことだ。

「自閉症スペクトラムと今は言うんですけどね。どんどん症例名は変わります。その頃は発達障がいという言葉もなくて、自分の子どもが何なのかわからなかったんです。なんとなく障がいに対してクローズなイメージもあって。
だから、ボランティアさんに子どもを預けて遊ばせて、その間に親が症例について勉強する、お医者さんや大学の先生を外部から自分たちで呼んで来て、一緒に勉強する、そんな機会を作りました。人とコミュニケーションをとるのが難しい子達なので、親が繋がりを作ってあげなくちゃと必死でしたね。」(岸田さん)

特別支援学級のお母さんたちの口コミで、下関市内から家族会員が70会員ほどに。一時はボランティアさんも合わせると100名近く集まることもあったそう。自閉症や発達障がいのある子たちは、親の同伴なしに外出することが難しいとされてきた。けれどこの会では、子ども達が高学年になると、どんどん子供たちだけ(ボランティアさんは同伴)で外の世界に出る機会を設けたという。

やがて子どもたちは大きくなり、高校を卒業した。今まであった学校という社会との繋がりがなくなってしまう。会の子の中には成人を迎えた人もいた。そこで岸田さんたちは、2007年にNPO法人化し、就労支援活動と啓蒙活動にシフトした。事業というよりは「障がい者が社会で働くということについて街に問いかけてみよう」というスタンスだ。各地へ講演に回ったり、地域のイベントのお手伝いや、企業と連携した障がい者の就労機会を作った。

しかし、メンバーの高齢化に伴い徐々に活動が縮小化していった。もうNPOも閉じようかと考えていたところ、たまたま中心市街地活性化事業の説明会に誘われたそう。

「以前は市役所の近くに事務所があったので、ぷらっと説明会に顔を出しました。説明会後、地元のまちづくりグループから「申し込んでみないか、手伝わせて欲しい。」と声をかけられて。気後れしたけど、無我夢中でみんなで準備をして申し込んだら、なんとプレゼン、通っちゃったんです。それが2013年の8月でした。」

そこからは、資金調達や物件調査、工事など、目まぐるしく物事が動いたと岸田さんは語る。その間、今までの福祉畑とは異業種の人や学生さんなどいろんな人がここに関わって、新しい繋がりができた。地域交流の拠点として、2014年5月に一旦は通常の営利目的のカフェを開業した。

「シェフを雇って、そこにスタッフを入れて、飲食の修行をしました。横目に福祉事業所の準備をしながら。2015年2月にカフェを閉じて、4月に福祉事業所としてオープンさせたんです。」(岸田さん)

「福祉は弱者ではない」。あるのは究極のバリアフリーへの先行投資

ボールプールの部屋には耳鼻科時代の診察台が残されている(写真中)トイレ扉の手動のサインは、お客さんにもかわいいと好評だそう(写真右下)ボールプールの部屋には耳鼻科時代の診察台が残されている(写真中)トイレ扉の手動のサインは、お客さんにもかわいいと好評だそう(写真右下)

「毎日が本当に大変だけど、楽しい」と語る岸田さん。利用者さんたちは、感情も表現も「包み隠さず」で、毎日格闘のような日々なのだそう。

「ここに来る人達は、彼らなりの曲げられない信念があって、それが社会や既存の施設とうまく合わないだけ。何を大事にしているかをわかって、そこさえ守ってあげれば、その他のことは人と合わせられたりするんです。ここは人生の通過点にすぎないから、しっかり様々なことにぶつかってもらって、彼らが社会に出るサポートができたら…」と岸田さん。

福祉は弱いものだ…と捉えられることが多いが、岸田さん曰く「福祉は強い」そう。その真意は、曲げられないものを持つ彼らは強い信念を通す人たちだ、とも言い換えられるという。さらに、彼らは強い「消費者」にもなり得るのだ。なるほど、mimi hana カフェは彼らにとってバリアフリープレイスでもあるようだ。

訪れる人は老若男女様々だが、特に乳幼児を連れたママのランチ会での利用や、地域のお年寄りの買い物帰りの休憩所としても重宝されている。
「障がいをもった子どもたちが生きやすいまちは、自分が歳をとったときに楽に生きられるまち。だからこれは、あなた自身のためのちょっとの先行投資。」

かつて岸田さんが悩んだ時、何度もそう言って慰められてきたのだという。福祉に関わることは、まちづくりのひとつなのだ。

おもいやりを循環させる、安心・安全・安楽なまちへ

「働くところというか、居場所は作ったから、次は『住』かな」と岸田さん。

自分達の子どもたちが社会に関わっていく手段として、「ご飯は毎日つくっているから、喫茶店とかならできるかな。」そんな漠然と描いていた妄想を、ふとしたきっかけから形にできた。既存にある障がい者施設が合わなかった人も来られるように、mimi hana カフェは作ったという。自宅に引き籠っていた人たちも、ここなら通うことができるようになったそう。同じように、既存のグループホームが苦手な人のために、シェアハウスやゲストハウスを作れたら、と新たな夢を語ってくれた。

「自閉症や発達障がいのある人たちは、個を重視する人たちで、世の中は『好きで好きで、それがすべての事』と『どうでもいい事』のふたつなんです。好きで仕方ないものさえ崩されなければ、大丈夫、合わせられる。でも、施設の合理性から朝10時にお風呂だとか、厳しい門限があるとか、ちょっと嫌ですよね。まだぼんやりとした妄想だけど、作れたらいいな」(岸田さん)

mimi hana カフェができた後、近所の廃業した元旅館を改装したカフェや、フォトスタジオなど、若い人が店を構えた。高齢者の一人暮らしが多いこのまちは、福祉施設の出現や若い人の出入りに寛容だそう。また、近所の校区で「子ども食堂」のような取り組みをする団体もできた。互いに賛助会員になっているという。「3000円(賛助会費)が行ったり来たりしてます。うちもイベントを手伝ったり、彼女たちの会議の場所としてうちが使われたりしています。」

地域に仕事をつくり、お金と安心を循環させる。岸田さん達がまちに蒔いた種は、芽を出しつつあるのかもしれない。

mimi hana カフェ http://sympho.jp

15:00になったら、送迎車を利用して帰宅。この日は明日から連休ということで、心なしか利用者さんもソワソワ15:00になったら、送迎車を利用して帰宅。この日は明日から連休ということで、心なしか利用者さんもソワソワ

2017年 06月05日 11時05分