年間2万人が訪れるリノベーション物件

どちらも5階建てのAとBの2棟は、1階と屋上がつながっている。地下室を含めると全25部屋があり、23のテナントが入居中だどちらも5階建てのAとBの2棟は、1階と屋上がつながっている。地下室を含めると全25部屋があり、23のテナントが入居中だ

祇園町、上川端町、天神など、福岡には、京都に由来する地名が多くみられるが、今回の舞台である「冷泉」もその一つである。なんでも、鎌倉時代はじめの貞王元年(1222年)、漁師の網に人魚がかかり、その報告を受けて都から勅使として冷泉中納言(れいぜいちゅうなごん)が下り、しばらく浮御堂に滞在。このあたりの海を"冷泉の津"というようになったことが冷泉町の起こりと言われているそうだ。
この冷泉町のすぐ近くにある、昭和30年代の戦後復興の真っ只中に建てられたビルに、アーティストや文化人などの人々が集まる「冷泉荘」がある。この建物には、現在全25の部屋に23のテナントが入居中。原状回復不要の各部屋は、間取りに大差がないにも関わらず入居者の個性が表現されており、どれ一つとして同じ部屋はない。その様子は、まるでリノベーション物件が一同に集まる"ミュージアム"のようだ。

若手クリエイターやアーティストなどの「チャレンジの場」という中古物件のリノベーション活用の先進事例として、いまや見学者が年間2万人にのぼる冷泉荘を、管理人として冷泉荘に常駐し、自身もアーティストでもある"サンダー"の愛称で親しまれる杉山さんに案内していただいた。

住居としての限界だったアパートが、まちの文化発信拠点になるまで

もともと住居用アパートとして使われていた冷泉荘。1958年(昭和33年)の竣工当時は、敷地内にあまり風呂がない時代に、大きな共同浴場があった高級物件だったが、その後、こまめなメンテナンスがされず老朽化が進行。気づけば、借り手がつかず、家賃の滞納者も多い状態になっていた。住居としての限界を感じ、一時は取り壊しも検討したという当時のオーナーである吉原住宅有限会社の吉原勝己氏。
しかし、「子どものときに遊んでいた場所を残したい」と思う吉原氏がモデルにしたのが東京青山の同潤会アパートやヨーロッパの古い集合住宅だった。同潤会アパートがもつ集合住宅における長屋的コミュニティの形成や、築年数が経過しても価値が下がりにくい"ビンテージ"という概念を取り入れ、2006年にオフィスビルへと用途変更し、ビル一棟を集合アトリエとして再生した。

2006年~2015年の期間中、大きくわけて2つの実験的な取り組みをした。
1期目(2006年~2009年)のコンセプトは「3年間の限定プロジェクト」だ。月3万5000円という低家賃、敷金なしの条件に加え、内装も入居者のセルフリノベーション、現状回復義務も課さない」という条件で、若手クリエイターをターゲットに入居者を募集。この際、20部屋の枠に対し、約100組の応募があったという。築年が経過したビルが、リノベーションによってコミュニティやビジネスが生まれたのだ。
続く2期目(2009年~2015年)は、耐震改修工事によって、築100年を目指すと共に、冷泉荘のコンセプトを「まち」に根付き、「ひと」が集まり、「文化」を育む場であるという建物に対する吉原住宅の考えを明確化した。この理念を共有できる入居者を面談などを通じて募った結果、その後も冷泉荘は高い稼働を維持し、現在の年間収入はプロジェクト開始前から約3倍に向上しているという。

2010年から年2回開催している冷泉荘のイベントの様子。管理人による冷泉荘案内ツアーや洋服の作品展、小物・雑貨の展示販売、講座などが気軽に楽しめる他、当日は自由に冷泉荘内の部屋を見学することもできる(画像提供:株式会社スペースRデザイン)2010年から年2回開催している冷泉荘のイベントの様子。管理人による冷泉荘案内ツアーや洋服の作品展、小物・雑貨の展示販売、講座などが気軽に楽しめる他、当日は自由に冷泉荘内の部屋を見学することもできる(画像提供:株式会社スペースRデザイン)

冷泉荘に集う様々な個性

現在、冷泉荘にはざっと挙げるだけでも、ベーグル専門店、韓国語教室、ヨガ&ピラティススタジオ、音楽制作事務所、バー、博多人形工房、まちづくりNPOなど、多種多様なテナントが入居している。
中でも特徴的な部屋が、A棟2階にあるシェアオフィス「引力の間」である。2畳の専有空間4ブースと共有テーブルが1つ用意されたこの部屋は、かつて居住者専用の共同浴場として使われていた。デザインコンセプトには、同じ湯船に浸かり、リラックスしながら語り合う"裸の付き合い"をビジネスの場に置き換えたいという思いが取り入れられている。
2017年1月現在、九州工業大学発ベンチャー企業など多様な3社が入居中だ。賃料は1ブース月3万5000円で光熱費、インターネット利用料込み。

(写真左上)博多人形の絵付け体験もできる「田中勇気博多人形工房」。(写真右上)引力の間<BR />
(写真左下)写真スタジオ「テトラグラフ写真室」、(写真右下)「Laule’a ヨガ&ピラティス スタジオ」<BR />
(画像提供:株式会社スペースRデザイン)(写真左上)博多人形の絵付け体験もできる「田中勇気博多人形工房」。(写真右上)引力の間
(写真左下)写真スタジオ「テトラグラフ写真室」、(写真右下)「Laule’a ヨガ&ピラティス スタジオ」
(画像提供:株式会社スペースRデザイン)

入居者に聞く冷泉荘の魅力とは?

今回インタビューに応えてくださった信濃設計研究所 信濃康博さん。吉原住宅が管理する山王マンションの305号のリノベーションの設計で、福岡県美しいまちづくり建築賞を受賞している今回インタビューに応えてくださった信濃設計研究所 信濃康博さん。吉原住宅が管理する山王マンションの305号のリノベーションの設計で、福岡県美しいまちづくり建築賞を受賞している

実際に入居している方は、冷泉荘の魅力についてどう感じているのだろうか。冷泉荘A棟5階に事務所をかまえる信濃設計研究所 信濃康博氏にお話を伺った。

「入居したのは2016年の4月です。もともと、冷泉荘と同じ吉原住宅が管理する山王マンションに入居していたのですが、この立地の魅力に惹かれて転居してきました。博多祇園山笠や博多どんたくのコースになるなど、伝統的なお祭りの起点になる場所ですし、中洲や天神という博多を象徴する場所が徒歩圏内なのも素敵です。当時、この冷泉荘が住居の限界を迎えていた時代を知っているので、手を入れ始めてここまで変わったことを振り返ると非常に感慨深いです。街なかにある建物の再生事例として福岡では先進的なこの建物に入居することで、福岡のビルの住設機器の歴史などがわかるのも楽しい部分ですね」。

さらに、まちの発展に必要な、個性的で情報を自ら発信しようとする人を呼び寄せる現在の冷泉荘のブランディングについて、管理人の杉山さんの存在も大きいという。
「冷泉荘が求める人物像を分かりやすく体現していて、こういう人たちがいるビルなんだというのが一目でわかる。そのせいか、イベントに来る方は大変個性的な人が多いです。東京だったらたくさんいるのかもしれませんが、福岡でこうした人々に出会える機会はそうないと思います」。

"冷泉荘"を媒体として捉える管理人

そんなテナント入居者からの信頼も厚いサンダーさん。今回、冷泉荘を案内していただく中で感じたことの一つが、この入居者の方々とサンダーさんの親密さ、距離の近さである。サンダーさんは、冷泉荘の管理人として心がけていることとして、
「入居者の皆さんが考える"やりたいこと"の実現に向けての情報発信をお手伝いしたいと思っています。そのためには、各入居者さんとのコミュニケーションは必須です」と語る。また、それぞれの入居者の個性を掛け合わせ、新しい可能性を発掘するための"橋渡し役"としても日々研究しているそうだ。一般的なマンションの管理人が行う清掃や管理業務だけでなく、冷泉荘を一つの媒体として捉え、入居者の気持ちを掴むことが大切なのであろう。この背景にあるのは、オーナーや管理人による「こんな人に住んでほしい」という入居者のこだわりだ。築年数が経過した物件を、賃料を下げることなく価値ある場として維持しようとする場合に、こうした信念が必要なのだということ学ばされた。
こうした取り組みが行政からも評価され、2012年には、福岡のまちの魅力を創りだしている建物や通り、企画や活動に関係している人たちの努力を讃える「福岡市都市景観賞」の活動部門にて部門賞を受賞している。

賃料相場が都市圏と比較して安く、改修コストもかけられない…。どうにか自分たちで価値を高めて賃料を維持をできる方法はないかとはじまった吉原住宅をはじめとする福岡のDIYリノベーションの動き。この先、どんな個性的な入居者を引き寄せるのかが楽しみである。


取材協力:リノベーション・ミュージアム冷泉荘
http://www.reizensou.com/

今回、冷泉荘を案内してくださった杉山さん。冷泉荘の管理業務だけでなく、ディレクターとしてアートやサブカルチャーなどクリエイティブな面からビルのブランディングも行なっている。管理人室には楽器やフィギュアなどが所狭しと並べられている今回、冷泉荘を案内してくださった杉山さん。冷泉荘の管理業務だけでなく、ディレクターとしてアートやサブカルチャーなどクリエイティブな面からビルのブランディングも行なっている。管理人室には楽器やフィギュアなどが所狭しと並べられている

2017年 03月02日 11時00分