ユニークなまちづくりと、人口増加の町

北海道の東川町が注目を浴びている。
北海道のほぼ中心部、旭川市の東隣にある人口約8,000人の町。農業と木工業が町の主要産業で、三つの道=「国道・鉄道・水道」のない町として有名だ。旭岳などを擁する大雪山連峰の麓に広がる田園風景は素晴らしく、町民自慢の景観である。
1985年に『写真の町宣言』を発表以来、写真関連の様々な取り組みを地道に継続。それが町全体にしっかり根付き、『写真甲子園』という、映画にまでなった熱いイベントなどにも広がり、写真関連イベントには全国から多くの人たちがやって来る。
また、生まれてきた子ども達に手作りの椅子を贈る『君の椅子プロジェクト』、本来事務的な書類にしか過ぎなかった届出書類を記憶に残る記念品として贈る『新・婚姻届』『新・出生届』など、目から鱗のユニークな施策を次々と連発。それらが功を奏したのか移住者も増え続け、なんと20年にもわたって、この東川町の人口は増加傾向にある。

日本政府が地方創生を主要政策に掲げる昨今、この東川町の元気さについては、まちづくりの専門家なども含め、たくさんの人がその秘密に迫る分析を行っており、書籍も幾つか出版されている。
本稿ではそういった研究結果や、東川町役場へのヒアリングも踏まえ、「移住」ひいては「住む場所」を考えるヒントに迫ってみたい。

東川町の田園から望む大雪山連峰(写真提供:東川町)東川町の田園から望む大雪山連峰(写真提供:東川町)

「住む町」であり「働く町」でもある東川町

東川町の人口がどのように伸びているのか見てみよう。1994年に約7,000人だった人口が、1995年を境に増加傾向に転じ、2015年には8,000人を超え、約20年間で14%強の伸び。しかも、どこかで大きく伸びたのではなく、1年あたりの伸びは50-100人程度の伸びだ。
東川町は住宅関連の施策も充実しているし、何より西隣は人口約35万人の北海道第二の都市・旭川市なので、そのベッドタウンとしての伸びだと普通は想像する。
ところがそうではないようなのだ。1995年からの人口増加期間の昼夜間人口比率は100%を少し超えている。今回伺った話でも、東川町から旭川市に働きに出る人が約1,200人に対して、旭川市から東川町に働きに来る人が約1,300人とのことで、東川町にも仕事がちゃんとある、ということがわかる。東川町の場合、古くから木工関連の産業が集積していたというのが大きいだろう。そして、まちづくり諸施策が功を奏して人がどんどん集まるようになってきた昨今では、サービス業のニーズもあるだろうから、そういった仕事も増えているはずだ。

自然環境や景観が素晴らしく、旭川市に隣接、旭川空港からは10分程度という、旭川都市圏内の便利さを存分に享受できる上に、こういった「雇用される仕事」があれば、移住を考える上でのハードルは一気に下がる。筆者自身も、約二十年前に東京から北海道に移住して、そして多くの移住者と接してきた。その経験でわかるのだが、北海道の自然豊かな地への移住を考えた場合、住みたい町では仕事がない場合がほとんどだ。東川町の「住む」と「働く」のバランスの良さは移住をイメージするときに理想的なのだ。
近隣市町から働きに来ていて気に入って、東川町に移り住む人がいるというからさらに興味深い。

多様な生業(なりわい)がある町

「東川町らしさ」を「東川スタイル」として分析した一冊。個性的な起業移住者も数多く紹介されている「東川町らしさ」を「東川スタイル」として分析した一冊。個性的な起業移住者も数多く紹介されている

前段では雇用があるので移住しやすいことを示したが、町の起業支援が充実していることもあって、個性的な起業移住者の存在も目立つ。毎年10件レベルでの起業があるという。それが積み重なって、木工・写真・陶芸などのアーティストの工房、アパレルショップ、個性的な飲食店など、移住者が始めたスポットが町内に点在し、それらが有機的につながりあって成立している。その結果として、彼らが町の新たな「文化価値」を生み出して町の魅力を増幅させている。役場へのヒアリングでも話題にのぼり驚かされたのが、商売がかぶっていないことと各店のクオリティの高さ。札幌からお目当の店にやってくる人たちも多く、彼らはそこを起点に町内を回遊するという。

もうひとつ、忘れてはならないのが農業という生業がきちんと成り立っていることだ。町全体で農業を守っていく姿勢に支えられ、『東川米』ブランドの成功など、ハイレベルな生産体制を維持している。また、ここでは後継不足という問題は全く存在せず、後継者たちは将来を見据え自らが経営継承に必要なノウハウを身につけ、Uターンして戻って来ると聞く。町外で多様な経験を積むことによって、東川の農業に新鮮な風を送り込んでいるのだろう。

東川町では、基幹産業である農業や木工業がしっかり成立していて、そこを起点とする経済循環ができている。それをベースとして、起業者たちが別のレイヤーで新たな経済循環を生み出している。この重層的な経済循環が、多様な生業の存在を可能にしている。すべてが好循環である。

東川町役場が体現する「自分たち文化」

「自分たち文化」がしっかり根付く東川町役場「自分たち文化」がしっかり根付く東川町役場

この注目を浴びている東川町だが、「東川町役場」という行政機関自体も興味深い存在だ。
とある資料では「ウエルカム精神が強い町」とあったが、役場自体が先頭を切ってウエルカム体制である。役場に電話を入れると、誰がとっても「写真の町、東川町です」と出る。取材対応もスピーディで柔軟。質問への対応もこなれている。役場全体にサービス業的レベルの高さが感じられ、すべてに前のめりな感じがする。そのせいもあるのだろう、この役場ほど町民に評判のいいところはあまり出会ったことがない。ある移住者の人に話を聞いた時、東川町の自然に魅せられて移住してきたのは確かだけれど、この役場の存在がなければ来なかったかもしれないと語ってくれた。この手の話は他にも耳にした。そのぐらい役場自体に存在感があり、魅力的だというのだ。

この役場の特徴をふたつピックアップしておこう。
ひとつは「自分たち文化」と呼べるようなものがしっかり根付いていること。東川町とはどんな町で、どんな方向に進んで行こうとしているのか、それを「自分たちで」考え尽くして、「自分たち流に」動いている。
もうひとつは、町の施策のビジョンがしっかりと共有されて口に出せること。ウエルカム精神の源泉はここにある。移住の問題に関しても、東川町はどんな町でどんな人にきて欲しいかをはっきり伝えることができる。自分たちで考え尽くした町の向かうべき姿には、愛着が湧かないわけはない。
だから「写真の町」というようなハードルの高い文化施策を長年継続できたし、それがまた「自分たちの町」としての更なる愛着につながる。これまた好循環だ。

人を呼び込む「正のスパイラル」

町民総出で高校生たちを迎える『写真甲子園』(写真提供:東川町)町民総出で高校生たちを迎える『写真甲子園』(写真提供:東川町)

東川町はなぜ住む人が増えているのだろうか?なぜ多くの移住者を迎え入れることができているのだろうか?
自然の魅力、仕事、移住・定住施策の充実などなど、確かに魅力的なものは揃っているのだが、理由はそういう条件的な部分だけではないと思われる。それを筆者なりに分析すると、町全体が「正のスパイラル=好循環の連鎖」で動いている結果だと思う。ほとんどの町が「負のスパイラル」で苦悶する中、こういった事例は非常に珍しい。そして「正のスパイラル」の原動力は、東川町の「自分たち文化」なのだ。

「自分たち文化」を身につけることができたのは、「写真の町」関連の取組みを地道に続けた成果に違いない。
2005年、「写真の町」関連のイベントを企画運営していた会社が倒産するというピンチに陥ったことがある。その時東川町はイベントを中止とせず、なんとか自分たちだけの力で実施することを選択する。おそらく、これは「自分たち文化」を身につけていく大きなターニングポイントだったのではないだろうか。自分たちでそれを乗り切れたという手応えは、その後のユニークな施策を自分たちで考え実行する基礎体力、すなわち「正のスパイラル」の原動力となったはずだ。

そして、役場の「自分たち文化」は町民に伝播した。農業を守ること、地域コミュニティを守ること、移住者を受け入れること、すべて自分たちでどうしたいか考えて行動する。移住者は、移住する前からその「自分たち文化」に共感してやってくる。だから、移住後も「自分たち文化」を担う一員としての自覚がとても強い。そして、彼らすべてが一体となって、新たな共感者を呼び込むのだ。東川町の「正のスパイラル」は今も生まれ続けている。

*今回東川町役場でのヒアリングでは、定住促進課 高木雅人課長と商工観光振興室 朝倉祥貴室長 にご協力をいただきました。

写真の町東川町

2017年 02月23日 11時06分