京都の街中に残る鬼門除け、一つ目は触らぬ神に祟りなし方式

京都の古刹の鬼門除け、荒地のまま放置してあるタイプ京都の古刹の鬼門除け、荒地のまま放置してあるタイプ

鬼門という風習をご存知の方は多いことだろう。鬼の門とは何ともおどろおどろしい名前であるが、日本では古来より、鬼が災害疫病などすべての災厄の元凶であるとして、何より恐れていた。

おかげで古い街並みの中には、いたるところで様々な種類の「鬼門除け」が発見できる。鬼門除けとは名前の通り、鬼を除ける魔除けのことを言う。そこで今回は、京都の街を巡りながら、実際に見ることができる鬼門除けをいくつかご紹介しよう。

ちなみに鬼門とは、北東方向に存在する鬼が出てくる門とされていて、古くから畏怖の対象となっていた。なぜ北東なのか?鬼の正体とは何なのか?ということについては「鬼門との正しい付き合い方、日本人が恐れる鬼の正体とは」の中でご紹介しているので、ご覧頂ければ幸いである。

ではまず、京都で見られる鬼門除けの種類からご紹介しよう。大きく分けて三通りの方式があり、一つ目は、とにかく鬼門には一切かかわってはならないという、放置タイプである。

これは、古代中国の家相書である「黄帝宅経」の中にある、「鬼門は近寄らず荒れるに任せるが吉、触ることは凶。」にならったもので、手入れをしたり近付いたりすれば凶事を招くとして、敷地の北東の「角部分」は雑地のままに放置し、庭として手を入れることもしないというものである。

古くからある諺に「触らぬ神に祟りなし」というものがあるが、まさしくその通りの鬼門除け方式で、同じような禁忌として、開かずの間や禁足地などがある。この方式は、現在でも多く残されており、寺院や旧家、庭園などにその例を見ることができる。

二つ目は鬼門を龍腹徳袋のように敬う方式、災厄を避け幸運を願う

鬼門除け二つ目の方式も同じく「黄帝宅経」の記述からの由来で、「鬼門とは龍腹徳袋のように神聖なもので、大切に敬えば大変な吉を授かり、疎かにすれば貧窮する」にならい、敷地の北東の角に稲荷祠や祝殿、仏堂、枡形の結界などを設ける方式である。

下の左の写真は、四条地区の会社のビルの北東の隅に切られた枡形の結界である。一段高くした黒御影石で四角に区切った枡形の中に、細かい白い玉砂利を敷き詰めて一種の神域としている。黒御影と白砂利は陰陽の太極図を表し、五芒星や九字紋などの魔除け呪符の意味合いも持たせていると思われる。

他に、鬼門の隅を四角に囲って、柊や桃、槐などの植え込みを作る手法も使われている。これらの植物は、魔除けによく使われるもので、節分に門口に刺す柊鰯、大晦日の追儺式の鬼祓いの桃弓などがその代表である。

下の右の写真は、民家の北東の隅に祠を勧請した例である。敷地を巡る塀の鬼門の隅に地蔵菩薩の仏堂を祀り、その霊験を魔除けに使うという方式である。

このように敷地の鬼門に神仏を祀る例は、全国的に見てもそれほど数が多くない。例えば大阪でも、お稲荷様や天神様を祀っている家やビルはよく見るが、基本的には敷地の中にあり、また北側に南面して配するなど、鬼門とは関係なく商売繁盛を願うものが多い。東京に至っては、方位に囚われることなく至るところに稲荷祠が見つかる。

さてこのタイプの鬼門除けにおいて、鬼門の隅を清浄に保つために使用されるアイテムには、種々様々なものがある。例えば陰陽道の呪符であったり、神仏の霊験であったり、破魔・破邪の力を持つと信じられた植物だったり。実はこれらには一貫した思想背景は無い。鬼を恐れるがあまり、その災厄から逃れることだけを目的に、神道や仏教、陰陽道のエッセンスなど、厄除け効果がありそうな、ありとあらゆるものを時々に取り込んで、醸成されていったためである。

左:ビルの鬼門に枡形の結界を作ったもの。右:鬼門に仏堂を勧請したもの左:ビルの鬼門に枡形の結界を作ったもの。右:鬼門に仏堂を勧請したもの

三つ目は鬼門その物を無くす角を削る方式、不完全なものは縁起がいい

鬼門除け三つ目の方式は、敷地や建物の北東の隅に角を作らないように「缺け(かけ)」(凹ませること)を設けるものである。北東に当たる隅を削り落として凹ませれば、角が無くなるので鬼門自体が消滅するという考え方で、そうすることで鬼が出てくる門の存在自体を消すことができると考えた。

この鬼門その物を無くす方式は、京都御所をはじめ、現代の京都でも様々なところで見ることができ、京町家の塀の北東の隅や、旧家の屋敷を利用した文化施設、庭園を囲む堀跡などに「缺け」の片鱗が伺える。

下の写真は、東本願寺の北東の角の様子であるが、御所の「缺け」である「猿が辻」によく似ている。ここまではっきりとした缺けタイプの鬼門除けを寺院で設けた例は珍しく、京都市内にある1,608寺中でも、ここくらいでは無いだろうか。インターネットで京都市の航空写真を見ることができるので、ご興味のある諸氏は、検証を試みてみると思わぬ発見があるかもしれない。

また日本では古来より、この「缺け」そのものにも大きな魔除け効果があると信じられていた。司馬遷の歴史書『史記・蔡沢伝』に「語に曰く、日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧く、と。物盛んなれば則ち衰うるは、天地の常数なり。進退盈縮、時と変化す。聖人の常道なり」とあるように、満月は欠ける、満ちた物は必ず衰えると考えられ、完璧な物より欠けた物は縁起がいいとされたのである。有名なところでは、日光東照宮の陽明門の逆さ柱などがあり、他にも古の内裏造営の時には、必ず建て残す所があったそうである。

東本願寺の鬼門に作られた「缺け」。生垣を回して人が入れないようにしている東本願寺の鬼門に作られた「缺け」。生垣を回して人が入れないようにしている

平安時代を表す古地図には、鬼門除けらしき物は見当たらず

古地図は製作年代の街並みが描かれているとは限らない。一枚の地図の中に多くの歴史が同時に存在する楽しみがある古地図は製作年代の街並みが描かれているとは限らない。一枚の地図の中に多くの歴史が同時に存在する楽しみがある

では、このような鬼門除けの習慣は、いつ頃から始まったのだろうか?京都の古地図に残された手がかりから、その変遷を探ってみよう。古地図とは、科学的な測量や図法が成立する前に作られた地図のことであり、かつては切絵図と呼ばれ、その用途の違いで絵地図や見取り図、鳥瞰図など多くの種類の地図が残っている。

まず、平安京を記した古地図の中でも、かなり古い年代を描いたと思われる「花洛往古図」を検証してみよう。大内裏の場所や平安京の外郭の位置や形状から、都の人口増加による都市の膨張が見られる前の様子を描いた地図であろうと推察される。

これを見る限りにおいて、鬼門除けらしき物は見受けられない。大内裏の中の建物の記載はないが、城郭と門は詳細に書き込まれており、北東の隅にはいずれの魔除けも施されてはいない。ただし都全体を見ると、その外側の鬼門に近い位置に、鬼封じとして上御霊社が配され、その延長線上には延暦寺も置かれていた。

次に、同じく平安時代の街の様子を表したとされている古地図の中で、御所内の宮殿の形状や配置まで記されている「古今都細見之図」を見てみる。この時点でも、大極殿、紫宸殿、神嘉殿に、後年の猿が辻に見られるような「缺け」は確認できない。

興味深いのが、一条と京極の交わるあたりに紫式部邸が描かれていることである。この地域は、いわゆる都の北東の角、鬼門にあたる場所で、本来なら荒れ地のまま放置されるか、禁足地として神聖に隔離されるはずである。

しかし地図を見ると、紫式部邸の他にも後冷泉三代帝や鷹司倫子(上東門院の母)の屋敷や、倫子が建立した西北院なども描かれている。西北院とは最晩年の道長の終の住処として建立された無量寿院の名残の一部である。つまりこの時代、都の鬼門にあたる場所には様々な住居が見られることから、鬼門に対してそれほどの禁忌を感じていなかっただろうことが推察される。

鬼門除けは江戸時代に始まった?北東の角がひと目でわかる京都の街割り

古地図上ではっきりと鬼門除けのための「缺け」が見て取れるのは、元禄九年「京都大絵図」である。元禄九年は1696年、徳川綱吉の治世であり、これは同時代の詳細地図であると言われている。この地図を見ると、禁裏の仙洞御所や大光山本國寺などの鬼門に、はっきりと「缺け」が描かれているのがわかる。

「京都大絵図」における禁裏の場所は、南北朝時代に移転した現在の京都御所の地にあり、地図で見る限り今より少し狭い感じがする。大内裏としての城郭もなく、江戸の街並みの中にある大名屋敷ほどの規模だろうか。

また同じように文久3年(1863年)の「内裏圖」という絵地図でも、禁裏御所、仙洞御所、新御殿、御花畠、一条殿など多くの建物の北東の角に「缺け」が見られる。

このように一斉に鬼門除けが現れるのは、筆者が知る限り江戸時代以降であり、これは天保年間(1830〜1844)に江戸、大阪、京都で起こった家相ブームの影響であろうと考察される。「鬼門との正しい付き合い方、日本人が恐れる鬼の正体とは」でもご紹介したが、この時期、巷で「家相方位指南」と銘打った占い本が大量に売られ、家相が爆発的に流行していた。

このころの京都は、江戸と同じように何度も大火に見舞われていた。人口過密都市であるがための疫病の蔓延、天候不順による飢饉での食糧問題、治安の悪化による凶悪犯罪の増大など、日常的に大きなストレスを抱えた社会だったため、民衆は心の拠り所を求めていた。

京都は、正しく東西南北を指した碁盤の目のような街割りをしているため、他の街と違って、北東の角、つまり鬼門の位置をひと目で判じることができる。そんな中、平安を求めて御所を見本とした北東の角に鬼門除けの方策を行うことは、ごく当然のことだったのだろう。

今でも京都市街のあちこちで見られるこの鬼門除けの風習、他にも焼き物の小鬼像が置いてあったり、弁天様がいたり、なかなか面白いものもある。街歩きの際には、ぜひ探してみて頂ければと思う。

仁和寺の伽藍全景絵図。鬼門の場所は、手つかずの雑木林になっていることが判る仁和寺の伽藍全景絵図。鬼門の場所は、手つかずの雑木林になっていることが判る

2017年 05月27日 11時05分